花にまつわる出来事

「イルシュー、もう泣くなよ……」



 池のほとりで顔を伏せるイルシュエーレに、困惑している自分がいた。



「だって……また襲われたんでしょう?」



「いや…。あいつは初めから狂ってて、話をする余地なんてなかったし。もう寝かしてあるから大丈夫だって。」



 確かについさっき、勝手に家に押しかけてきた奴に襲われたばかりだ。



 あの事件以来、自分は迷い込んできた人間に関わるのを一切やめた。



 周りでうろちょろされても迷惑なので、狂っていようといまいと、一発で昏倒させることにしている。



「でも、そんな怪我をして……」

「あ…。これは……」



 右手に巻かれた包帯を指摘されて、自分はたじろいだ。



「痛かったでしょう…? 人間は、どうしてこんなことを平気でするのかしら。あなたが可哀想でならないわ。」



 イルシュエーレは右手を包んで、痛々しそうに言った。

 彼女の瞳から零れる涙が一つ、二つと手に落ちてくる。



「だー、もう! だから泣くなって!!」



 イルシュエーレがいつまでも泣いているのに耐えきれなくなって、自分は左手に持っていたものをずいっとイルシュエーレの前に突き出した。



 自分の手には、サルフィリアが一輪。

 びっくりしたイルシュエーレが、きょとんとして花を凝視する。



「い……いつも、世話になってるから……お礼に…って思って。いっぱい摘んだら花も可哀想だから…… 一輪だけだけど。その……右手の怪我は………これを摘む時に、切っちゃっただけなんだ。朝露を含んだサルフィリアが一番綺麗だって聞いたから、朝に摘もうと思ってこっそり家を抜け出して。そしたら母さんに見つかって、びっくりしちゃって…。母さんがなんでか、まだ魔法は使っちゃだめって言うから……だから、大したことなかったんだけど、このままにしておいた。それで余計に心配させたのは、悪いと思うけど……」



 言い訳がましく言葉が長くなってしまい、だんだん声が小さくなっていく。



 自分らしくないことをしている自覚はある。



 ただでさえ顔から火が出るほど恥ずかしいというのに、何故いちいちその経緯まで説明しなくてはいけないのだ。



 イルシュエーレが、震える両手で花を手に取る。



 その顔は、信じられないと語っているように見えた。

 さっきまでの涙も、いつの間にか止まっている。



「これ……私に?」

「………うん。」



 照れ隠しで、自分はぶっきらぼうに返した。



「本当は、もうちょっと考えてちゃんと渡そうと思ってたのに…。イルシュが泣くか、ら!?」



 急に抱きすくめられ、顔を逸らしていた自分は変な声をあげてしまった。



 イルシュエーレにしてはかなり珍しく、痛いほどの力を込めてこちらの体を抱き締めて―――というより、締め上げてくる。



「ちょっ……イルシュ、苦しい…っ」

「嬉しい。」



 イルシュエーレが、感極まったと言わんばかりの口調で告げた。



「こんなに嬉しいと思ったことなんて、初めてかもしれない。ありがとう。大切にするわ。」



「………」



 そう言われては、こちらも余計に気恥ずかしくなってしまうではないか。



 たかだか、花一輪だ。

 その一輪に、ここまで喜ぶものなのだろうか。



 どう返したものかと考えている間に、イルシュエーレがすすり泣き始めてしまった。



「ええっ!? なっ……泣くの!?」



 ぎょっとして、言葉がストレートに出てしまう。

 イルシュエーレは、少し慌てて目頭を拭った。



「ごめんなさい…。泣くなって言われたのにね。でも……嬉しくて……」

「……嬉しくても、泣くもんなの?」



 それは知らなかった。



 くすくすと、周りで精霊たちが笑う声が聞こえる。



 それに恥ずかしい気持ちが高まったが、かといってイルシュエーレに泣くなとも言えない。



(俺……どうすればいいの?)



 どうしようもなく助けを求めたい気分になったが、最終的には溜め息をつくしかなかった。


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