どうして、彼女たちは……

 コト…



 手からペンが転がる音がして、実はふと目を開けた。



 辺りは暗い。



 机に置かれた小さなランプがほのかなオレンジ色の明かりで、自分の周囲だけをぼんやりと照らしている。



「あれ…? いつの間に……」



 一つ欠伸あくびをしながら、目元をこすって涙で滲んだ視界からそれを拭う。



 暇を持て余して、少し勉強でもしようかと机に向かっていたはずだ。

 その最中に色々と考え事をしていて、気付けば今だった。



「……実?」



 足元で何かが動いた。



 下を見ると、シャールルが顔を上げてこちらを見ている。



 寝ぼけたように細められている目を見る限り、シャールルも一緒になって眠っていたのだろう。



「あ、ごめん。起こしちゃった?」

「ううん。元々、実が起きたら起きるつもりだったから大丈夫だよ。」



 大きく伸びをして、シャールルは体を震わせる。



「大丈夫?」

「え?」



 唐突に問われて、実は虚を突かれたように動きを止めた。



「何が?」



 訊くと、予想もしない言葉が返ってきた。



「うなされてたよ。悪い夢でも見たの?」

「え? うなされてた? ……俺が?」



 問うと、シャールルは一つ頷く。

 実は、口元に手をやって考え込んだ。



「いや……昔の夢は見たけど、悪い夢は……見なかったと思う。」



 記憶を手繰たぐるが、あまりよく思い出せない。



「でも……なんか、すごいのを見たな。」



 脳裏に浮かぶのは、鎖だらけの本が大量にあった異様な光景。

 だが、あれがうなされてた原因になるかと考えると、それは違う気がする。



「まあ大丈夫だよ。覚えてないなら、大した問題じゃないって。」

「実がそう言うなら、いいんだけどさ。」



 シャールルは地を蹴った。

 その跳躍で、一気に机の上に乗ってくる。



「………ねえ、シャールル。」



 名前を呼ぶと、シャールルは微かに首を傾げてこちらを見上げてきた。



「シャールルは、人間が嫌い?」



 思わず、そう訊ねてしまった。



「うん、嫌い。」



 返ってきた答えには、あまりにも迷いがなかった。

 シャールルは憤然とした口調で続ける。



「だってあいつら、実にひどいことするんだ。実を傷つける奴らなんか、僕は嫌いだよ。」



「ひどいこと……か……」



 実は机の上で組んだ腕に、顔を伏せた。

 目から上だけを腕の中から出して、ふうと息をつく。



「そうだよね……人間なんか信じちゃいけないって、そう思ってたんだもんね。でもなんで……イルシュたちまで、こんなに俺を守ってくれるんだろ…?」



 自分を守ると決めたのだと、イルシュエーレはそう言っていた。

 きっとそれは、精霊たちやシャールルの総意でもあるのだろう。

 その前提があるのなら、皆が自分をここから出したくない理由もなんとなく分かる。



 ここは人間が来られない場所。

 ここにいる限り、自分の安全は事実上確保される。



 でも、何故なのだろう…?



 彼女たちは何故、ここまでして自分を守ろうとしてくれるのだろうか。



 ただでさえ人間嫌いなイルシュエーレや彼女に従う精霊たちが、唯一自分を特別視する理由はどこにあるのだろう。



 何か、きっかけがあるはずだ。

 彼女たちに、人間である自分を守ると決意させるだけの出来事が。



「だめだ……思い出せない……ねむ……」



 思い出せないもどかしさが、先ほどから急激に襲ってきた睡魔に掻き消されてしまう。



「実……眠いの?」



 シャールルが頬に鼻を寄せてくる。

 実はほぼ無意識に、シャールルの背をなでた。



「うん…。疲れてるのかな? なんか、すごく……眠いや……」



 ベッドに移動する気にもならない。

 シャールルの問いに答えながら、実は深い眠りに引きずり込まれてしまった。



 規則正しい寝息を立て始めた実を、シャールルはじっと見つめる。



「まだ……あの事は思い出していないんだね。」



 少し寂しそうに呟いてから、シャールルは実の傍で丸くなった。



 それからしばらく。

 シャールルの耳が、ふいに何かに反応して立った。



 シャールルが顔を上げるのと同時に、イルシュエーレが部屋に入ってくる。



「イルシュエーレ様……」



 シャールルが体を起こそうとすると、イルシュエーレは静かに人差し指を口元に当てた。



「そのままでいいわ。」



 シャールルを制して、イルシュエーレはベッドに向かう。

 そこから毛布を取ると、それをそっと実の肩にかけた。



 深い呼吸をする実は、身じろぎ一つしない。



 イルシュエーレは、実の透き通るように淡い色合いの髪をなでた。



 母親のような優しい手つきで、何度も。

 しかし、その表情は暗い。



「大丈夫。」



 イルシュエーレは腰をかがめると、眠る実のこめかみに唇を触れた。



「私が、あなたを守るから。」



 その声はとても静かで、強い決意がこもっていた。


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