第1章 森の奥

鬼ごっこ

 ザザザザザッ



 下草が絡む木々の間を、一つの影が駆け抜けていた。



 その影は下草に足を引っかけることもなく、入り組んだ木々の中を風のように早く縦横無尽に駆け回る。



 影が通り過ぎたすぐ後に、何人かの別の影がそれを追うように通り過ぎた。



 鬼ごっこは、かなり長く続いている。



 ずっと長い間、互いの距離が近付くこともなく、遠ざかることもなく、一定の距離を保ったままだ。



 さらに時間は流れる。

 しばらくして、少しずつではあるが両者の間に変化が表れた。



 前を走る影が、徐々に差を開いていくのだ。

 後ろの数人も必死に食らいつくが、その差は開く一方である。



 いつの間にか、周りの景色も木々が密集したものに変わっている。



 ふと、前にいる影が急激に方向転換をした。



 影はしばらくスピードを上げて走り、その勢いを利用して適当な木に駆け上がるように登る。



 少しして、遅れてきた数人が木の下を素通りしていった。

 彼らの気配が十分に遠退いてから……



「あー、疲れたぁ……」



 実は盛大に息を吐き出した。



「くっそー…。この辺に来ると、ろくな目に遭わない。」



 太い木の幹にもたれて、シャツの首元をパタパタと揺らして風を送る。



 ここの季節は秋。

 だんだんと厳しくなってきた寒さも、今の火照ほてった体にはちょうどよかった。



 自分という存在がこの世界に戻ってから、ここではまだ半年ばかりしか経っていない。

 それでも、自分の存在は深く中枢に浸透していた。



 この地を統べる神に選ばれた、神が宿る次の器として。



「神の器、ね……」



 ぽつりと呟く。



 自分がこの世界に連れ戻された原因は、それだったはず。



 だが実際には自分は今も器になっていないので、城では水面下で焦りが広がっているそうだ。



 何せ、自分を指名した当人のレティルが自分を好き勝手に泳がせているのだ。



 気まぐれに自分とのゲームを楽しんでばかりで、自分のことを気に入ったと言って器にする素振りもない。



 かといって、別の器の選定には目も向けない。



 城の人間は、やきもきせざるを得ない状況に立たされていた。



 小耳に挟んだ話によると、レティルが今の器に移ってから五年か六年くらいが経つらしい。



 どんなに魔力が強い器を見繕っても、その器がもつのは五年がせいぜいとのこと。



 いつ来るか分からない器の限界を、皆が恐れているようだ。



 彼らにとって、この国から絶対の神が去ることは死活問題。

 だから結局、レティルの気まぐれのとばっちりはこちらに来るのである。



 少しでも神であるレティルに取り入ろうとするやからが、こぞって自分を捕らえようとするようになったのだ。



 自分を捕らえてレティルに差し出せば、株が上がる。

 何故かそう思っているらしい。



 確かに、自分をどうにかできるだけの実力があるのなら、それはすごい話である。



 ただ、レティルが自分を捕らえろという命令を出していない以上、それが出世に繋がるかは分からないけども。



 しかし、意気込む彼らには残念であるが、そう簡単に自分を捕まえることはできないと思う。



 正直なところ、自分にとっては彼らの相手など幼子おさなごをあしらうに等しいからだ。



 とはいえ、少しでも上に気に入られたい彼らは、諦めという言葉を知らない。



 レティルとも互角にやり合う自分を相手にするなんて無謀なのに、懲りずに何度でも向かってくるのだ。



 自分が、世界の存続を脅かす〝鍵〟であるとも知らずに。



 大した度胸である。

 ……いや、ただの馬鹿と言うべきか。



 レティルも、自分が捕まらないと分かっているのだろう。

 騒ぎは耳に入っているはずなのに、何も言わず傍観に徹している。



 その内側で面白がっているのは、まず間違いないだろうが。



「あの野郎……」



 実は恨めしそうに呟いた。



 ついさっきも、そういったやからに追いかけられていたところ。



 こうやって隠れても、城を守る結界内では魔法を使うだけで居場所がばれる。



 それ以外にも不便な点が多いので、逃げながら適度に相手をするならば、魔法は使わない方がいい。



 その結果がこれだ。

 こんな風に、ひどく体力を消耗するはめになる。



 最近こういう展開を狙ったレティルが、ゲームの場を城の近くに移してきた。



 今のこの状況をレティルがほくそ笑みながら見ているのかと思うと、腹が立って仕方なかった。



 一人行き場のない苛立ちに髪の毛を掻き回していると、また人の気配が近付いてくるのを感じた。



 実はすぐさま気配を殺す。



 さっきの奴らだ。

 彼らは先ほどよりもゆっくりとした速度で、こちらが隠れる木に近付いてくる。

 自分を見失ったので、仕方なく引き返してきたのだろう。



「くそ、また逃がしたか。」



 悔しそうな声が聞こえてきた。



「まったくだ。魔法も使ってないくせに、何なんだ? あの逃げ足の早さは。」



 どんな下っ端だとしても、この国では城で働けるだけでエリートだという。

 彼らにもそれなりに、城で働いているという誇りはあるはず。



 エリートである自分たちが、こんな子供一人を捕まえることができないという事実。



 それで無駄に高い彼らのプライドを傷つけてやったかと思うと、少しだけ気分がよくないこともなかった。



「やっぱ、才能ですかね~? あのガキ、エリオス様の子供なんでしょう? 生まれながらに、持ってるもんが違うんですよ。」



「だなぁ。そういやあの人、元はどっかの領主の血筋なんだろ?」



「なんだそれ、初耳だぞ。なんだよ、初めっから金持ちなんじゃねぇか。うらやましいなぁ…。ちょっとでいいから、俺たちを憐れんで分けてくんねえかな?」



「お情けちょうだいってか?」



 ゲラゲラと笑い合う彼らに、一気に頭が冷えていく気がする。



下衆げすが。」



 思わず毒を吐いてしまう。



 こういう風に、中途半端な誇りを持つ奴が一番信用ならない。



 プライドばかり無駄に高いくせに、身に危険が及べば、それをいとも簡単に捨てるのだから。



「そういえば、あのガキのことはどう報告するんですか?」



 のんびりした声で、彼らの中の一人が訊いた。

 そこに、主人の命令を守れなかったことに対する申し訳なさは皆無である。



「どうって、そのまま逃げられたって言うさ。」

「えー…。おれ、怒られるの嫌ですよぉ。」



 聞いていて情けなくなるようなことを平然と言ってのける男に、もはや出る言葉もなかった。



「俺だって嫌だけどな…。あの先まで行ったら、今度は俺たちが帰ってこれねぇかもしれねぇだろ。」



「まあ、そうですけどぉ……」



「あの人も鬼じゃねえんだし、禁忌の森に入られたって正直に言えば、少しの小言で済むさ。」



 彼らは頭上の実には全く気付かず、無駄話をしながら去っていった。


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