【転】桃太郎は息まきます。「この世の王に俺はなる!」

 俺たちは小舟に乗って、ふたたび夜の海原に漕ぎ出した。

 相変わらず波は高いが、風は弱く、追いかける帆船の優位性は小さい。

 傷を負っていないイヌたちが、船を取り囲むように泳いでいる。

 キビ団子の強壮効果で、力強く水を掻く。

 イヌマルもまた、みなぎる膂力で櫂を操る。


「できれば、夜が明ける前に追いつきたいってか……」

『ガハハ、任せとけ! 桃の字の野郎、逃がしゃしねえぜ!!』


 船を漕ぐ狼男は、キビ団子の強壮効果もあってか、鼻息が荒い。

 俺は、目を細めて、進路前方へ視線を凝らす。

 モモタロウの帆船は、まだ見えない。

 代わりに、上空には月と星とは異なる灯火が一つ、瞬いている。

 松明をくわえて、空を飛ぶキジだ。先行して、上空から帆船を追っている。

 俺たちは、キジの明かりを目印に小舟を進める。

 やがて、夜天の満月が、水平線に向かって傾き始めた頃──


「……見えたってか」

「ウキッ」


 俺は小さくつぶやき、肩に乗るモンジも同意するようにうなずく。

 水面のすぐ上に、小さくだが、キジのものとは違う灯火がまたたいている。

 おそらく、モモタロウの帆船のかがり火だ。

 闇の帳に阻まれて、はっきりと視認できないが、船影らしきものも見える。


『サルト、もう後には退けねえぜ?』

「とっくの昔に、そうだってか。イヌマルの旦那」

『ガハハ、腹が据わってきたじゃねえか! ここからは、手はずどおりに行く……抜かるんじゃねえぜ、サルト!?』

「言わずもがなってか……!」


 屈強な狼男は、櫂から手を離し、舳先へと向かう。

 ここから先、イヌマルはイヌたちを率いて海を泳ぐ。

 狼男たちが、奇襲をしかけて混乱させた隙に、サルトは小舟で接近。

 キジ姫を救出しつつ、帆船に火を放つ。

 それが、事前に打ち合わせた俺たちの作戦だ。


「ああ、そうだ。旦那……一つ、頼みたいことがあるってか」


 飛び込み姿勢をとるイヌマルの狼耳に、俺は口を寄せる。

 船上で荒海に揺られながら思いついた、追加の策を伝える。

 大柄な狼男は、一瞬だけ目を丸くし、大きく避けた口元を、にやりとゆがめる。


『悪い案じゃねえぜ、サルト……確かに引き受けた!』

「任せたってか、頼りにしてるっす。イヌマルの旦那」

『お前さんもだ、サルト……それじゃあ、また後でな!』


 小舟の前方に、大きな水しぶきが上がる。

 屈強な狼男を先頭に、犬掻きするイヌたちが、いっそう速度を増す。

 俺は、慌ててイヌマルが手放した小舟の櫂を、両手で握りしめる。

 腕に伝わってくる荒波の感触は、重い。


「あらためて、旦那の腕っぷしの並外れ具合が分かるってか……」


 俺は、腰を落として、櫂を漕ぐ。

 大柄な狼男が握っていたときよりも、目に見えて小舟の速度は落ちる。

 キジともイヌマルとも別れ、いま、俺は夜闇の海原にただ一人。

 急に不安と孤独感が襲いかかってくる。

 俺は、ぶんぶんと首を左右に振り、弱気を振り払う。

 それでも、遅れをとるわけには行かない。


「……俺も、男を見せるときってか!」


 俺とイヌマル、どちらが遅れても、この作戦は失敗する。

 俺は、口に含んでいたキビ団子を呑み込んで、力を付ける。

 強ばり始めた腕の筋肉に血が巡り、熱を帯びる。


──ヒョウッ!


 波音に混じって、風切り音が耳に届く。

 同時に、目印にしていた上空の灯火が落下していく。

 おそらく、キジを矢で射落とされた。

 そして、鬼退治一行で弓の心得があるのは、モモタロウだけだ。


「だが、おかげで大将の船の位置が分かったってか……思ったよりも、近い!」


 びりびりとしびれる手を叱咤して、俺は小舟を漕ぎ進める。

 やがて、剣呑なざわめきが遠くに聞こえ始める。

 イヌの吠え声も混じっている。


「イヌマルの旦那……押っ始めた……ってか!」


 ここまでは、計画通り。

 俺は、息切れしつつ、夜闇の向こうの船影を目指す。

 獣使いとして幼いころから山を走り回り、それなりにスタミナに自信はあるつもりだったが、どうにも船漕ぎは勝手が違う。

 それでも、どうにか小舟は、モモタロウの帆船へ接近を果たす。


「おお、やってるやってる! ド派手ってか……!!」


 剣戟の音に、イヌたちのうなり声が混じる。

 船上では、無数のヒトとオニの影がかがり火に照らされている。

 モモタロウの配下どもが、慌てふためいているのが見て取れる。

 奇襲は、間違いなく成功した。

 オニともヒトともつかぬ人影が、船上から滑落し、海面に水しぶきをたてる。

 狼男の本性を現したイヌマルの奮闘のおかげか、はたまた、俺が施した猟犬たちの調練も捨てたものではなかったか。


「さて……ここからは、俺の仕事ってか……!」


 三隻のうち、中央の帆船に小舟を横付けさせた俺は、ようやく櫂を手離す。

 指を握っては開くを繰り返し、手のひらの感覚を取り戻そうとする。

 手荷物をまとめた麻袋のなかから、鉤付きの荒縄を取り出す。

 山仕事で、断崖や巨木に登るときに使ってきた、長年愛用の逸品だ。


「よ……っと!」


 俺は、荒縄を振り回し、遠心力を付けると、船上へ向けて放り投げる。

 鉤爪が船べりに引っかかったのを確かめると、船腹を垂直に登っていく。

 登り切ったところで、わずかに顔を出し、甲板の様子をうかがう。


「キサマら、まだ敵の頭領は見つけられねえのか!? ったく、なにがイヌの祟りだ……オニと手を組んでおいて、いまさら、そんな臆病者いねえよな!!」


 モモタロウが一人、怒声をあげて、ヒトとオニの混成部隊を指揮している。

 他の船への加勢に向かわせたのか、すぐそばに配下の姿はない。

 船上に乗り込んだ数頭の猟犬が、モモタロウに向かってうなり声をあげる。


「バウッ! バウバウ!」

「邪魔すんな、犬畜生がッ! 迷惑なんだよな!!」


 飛びかかってきたイヌの首を、手にした刀で容易く、躊躇無く斬り落とす。

 モモタロウは冷静だが、そのの手勢たちは、海から飛び出したイヌたちに襲いかかられる、という有り得ない状況で、恐慌状態に陥っているのは間違いない。

 イヌの祟りなどと思い込み、怯えてくれているのなら、好都合だ。


「ま、俺としては置き去りにされたイヌたちのほうに同情するってか……」


 俺は、船上に足を踏み入れる。身をかがみ、気配を潜め、船内を目指す。

 正面切って戦うのは、イヌマルと猟犬たちの担当だ。

 俺は、このままキジ姫を救出し、船に火をつけて、脱出する。

 そう、考えていたとき──


──ヒュンッ!


「うお、っと!?」


 白刃が、かがり火の光を反射しながら飛来する。

 俺は、もんどり打って回避する。脇差しを、投げつけられた。

 そんなことをしてくるのは、この場に一人しかいない。


「まさか、オレ様が気づいていねえとは思ってないよな……飛んで火にいる夏の虫とは、まさにこのこと! 追放された逆恨みか、猿回しィ!?」

「へへ……さすがに、一筋縄には運ばないってか……大将ッ!」


 モモタロウは、さらに飛びかかってきたイヌの胴体を一振りで両断すると、刀を両手で握り直し、こちらへ向かって真っ直ぐ駆け込んでくる。

 俺は、手の震えを抑えて、腰から山刀を引き抜く。


「死ねよな! 猿回し!!」

「そうは行かないってか!」


 刃と刃がぶつかり合う。闇のなかに、火花が散る。

 俺とモモタロウは、互いに刀を引く。

 荒波にもまれ、船が大きく揺れる。


(へへ……俺の腕前も案外、捨てたもんじゃないってか……)


 モモタロウの太刀筋に、迷いはない。確かに洗練されている。

 だが俺も、童の頃から野山を駆けめぐり、足腰を鍛えてきた。

 御前試合ならいざ知らず、足場の悪い船上ならば、俺にも分がある。


「──とでも、思っちゃあいないよな?」


 俺に加勢するように飛びかかってきたイヌを、振り返ることなく二枚おろしにしたモモタロウが、視界から消える。

 モモタロウは、大きく横っ跳びして、船縁を蹴る。

 反応する間もなく、気づけば、敵将は俺の背後に立っていた。


「動くなよな、猿回し。動かば、斬る」


 刃のような冷たい言葉と殺気に、俺は背筋が凍り付く。

 生粋の武人であるモモタロウは、やはり強い。

 一介の獣使いが、正面から組み合って、勝てる相手ではない。


「大将ほどの男が、何故、都に攻め入ろうってか……」

「知ったような口を利くなよな、いけしゃあしゃあと」

「……追放や内通みたいな小細工を弄さずとも、大将なら正攻法で鬼退治を果たせたってか。そうすりゃ、英雄として凱旋できたっすよ」


 なんだそんなことか、と言いたげに、背後のモモタロウは鼻を鳴らす。


「カネを出すだけの貴族様たちは、オレ様を飼い犬程度にしか思っちゃいねえ。そこらに転がっている、イヌっころみたいなもんだよな……」


 声を潜めつつも、モモタロウの怒気が、俺の背筋に伝わってくる。


「命がけで鬼退治したって、できて当然と言われるだけ……だから分からせてやるんだよな……オレ様が都へ攻め入り! この世の王となることでッ!!」


 モモタロウが、吠える。俺は、歯ぎしりする。

 それで、どれだけの人が死ぬと思っている。

 そんなことで手に入れた玉座に、満足できるのか。

 そう言い返そうと思った俺は、言葉を呑み込む。

 首筋に、モモタロウの刀の切っ先が突きつけられていた。


「猿回し。イヌっころどもを止めろよな。そうすりゃ、命だけは助けてやる」

「……濡れ衣を着せて追放しといて、オニとの内通もだんまりだった男の言うことを、はいそうですか、とすんなり信用できるってか。大将?」

「そうか。じゃあ……死ねよな」

「ウッキッキ──ッ!!」


 緊迫した空気を打ち砕くような、猿の甲高い鳴き声が響く。

 俺とモモタロウは、反射的に頭上を見やる。

 帆柱の上で、満月を背負ったモンジが飛び跳ねている。

 弟分の猿の手には、小刀が握られている。

 モモタロウが投げ放った脇差しだ。いつの間にか、拾っていた。


「ウッキキッキーッ!!」


 モンジは、帆柱の上から甲板に向かって飛び降りる。

 落下の勢いを利用して、小刀で帆布を切り裂いていく。

 モモタロウの視界をふさぐように、大きな麻布が舞い降りてくる。


「……間に合ったってか!」


 俺は、倒れ込むように前方へ、背後からの剣筋を逃れる。

 一寸前に立っていた場所で、モモタロウの刃が空を斬る。

 俺はとっさに立ち上がり、必死に走り始める。

 肩の上の定位置に、落ちてきたモンジが着地する。


「よくやったってか、モンジ! ってことは、もう一つのほうも……!?」

「ウキッ!」


 弟分の猿は、前方を指し示す。

 船内と甲板の出入り口に、修羅場には似つかわしくない女人が立っている。

 その麗しさに、俺は一瞬、目を奪われる。

 長く艶やかな黒髪から、小さな角がのぞいている。

 キジ姫だ。間違いない。俺は、足を早める。


「……喰らいやがれでありんすッ!」


 オニの姫君は、手近なかがり火を、鬱憤を込めて蹴り倒す。

 火は、たちまち帆布に燃え広がる。

 布のなかでもがいていたモモタロウが、瞬く間に炎に包まれる。


「ここから先は、逃げの一手ってか! キジ姫様!!」

「はい、でありんす! サルト殿!!」


 俺は、キジ姫を抱きかかえ、モンジを背負い、船縁から跳躍する。

 甲板に炎が広がっていくなか、海面に飛び込み、水しぶきを立てる。

 後は小舟まで泳ぎつき、この場を離れるだけだ。

 別働のイヌマルと猟犬たちも、騒ぎを察知して、離脱してくれるはず。


「いけしゃあしゃあとッ! オレ様から逃げられると思うなよなあッ!!」


 燃えさかる船上から、地獄の底より響くような怒声が放たれる。

 俺とキジ姫、それにモンジは、同時に水面から顔を上げる。

 業火の中から、全身を焼かれつつも、一分の怯みもないモモタロウが姿を現す。


「鬼の目にも涙……とても、この世の光景とは思えないでありんす!」

「ヒトとかオニとかいうよりも……鬼神と呼ぶのが、ぴったりってか!」

「ウキッ! ウキキ!!」


 炎よりも爛々と輝く両目で、モモタロウは俺たちを見下ろす。

 荒波に揉まれながら、二人と一匹は身を震え上がらせる。


「もう、いい。ヒトも、オニも関係ない。頂点に立つのは、オレ様、一人だけで十分だよな! 他のヤツらは、ずんばらりんと皆殺しにして……うッ!?」


 船縁に足をかけ、海に飛び込もうとしたモモタロウは、突然、胸を抑えた。

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