【承】頼れる仲間は言いました。「実はおいらの正体は……」

「チクショウめ! あと一歩のところで、間に合わねえぜ!!」


 満月が夜闇を照らすなか、俺たちは砂浜にたどりついた。

 直線距離で、海岸線から鬼ヶ島にもっとも近い地点だ。

 いままさに目の前では、モモタロウ一行の乗り込んだ三隻の帆船が、海原に向けて漕ぎ出していく。


『ケーン! あのモモタロウとオニたちが合流したら、あちき……じゃなくて、キジ姫様は、なにをされるか分からないでありんす!!』

「小舟くらいなら、あるかもしれねえぜ! ちょっくら探してくらあ!!」

「イヌマルの旦那。血の気がはやってるってか、気が昂ぶってるってか」

「ウキキー?」


 髭面の大男は、俺の言葉も聞かずに走り出す。

 肩に乗ったモンジが、俺をなぐさめるように頭をなでる。

 混乱状態のキジは、我を忘れて砂浜を駆け回っている。

 熱狂するイヌマルと正反対に、背筋が氷のごとく冷たくなるのを感じる。


「あの大将を相手取って、俺たちで歯が立つかどうかってか……」


 名誉と報酬目当てに、モモタロウのもとに集まった荒くれ者たち。

 人格はともかく、腕っ節に関しては本物だ。

 くわえて、俺自身が調練した屈強な猟犬たちも敵に回る。

 キジの言うことが本当ならば、そこにオニどもも加わる……


「……呆けてるんじゃねえぜ、サルト! 小舟があったぞ!!」

『サルト殿! 行くでありんす!!』


 イヌマルのがなり声が、夜の静寂を引き裂き、俺は我に返る。

 キジに先導されて、髭面の大男のもとへ駆け寄る。

 言うとおり、岩陰には小さな漁船がつないであった。


「四の五の言ってる暇はねえぜ。コイツを失敬して、桃の字を追うぞ!」

『ケーン! 早く、早くでありんす!!』

「ちょっと待ってくれってか……あまりに考え無しじゃねえっすか!?」


 いまにも海に向かって飛び出しそうなイヌマルとキジを、俺は制止する。

 髭面の大男は、船出の準備の手を止め、俺のほうへ振り返る。

 イヌマルの相貌が、月光を反射して、らんらんと輝く。

 まるで、野生の獣のような威容。肩の上のモンジが、総毛立つ。


「……まず懸念その一ってか、人足が圧倒的に足りないっす。モンジとキジ殿を数に入れたとしても、四。モモタロウの大将たちとは、桁が違う」


 俺は、熊男をまっすぐ見据え、努めて冷静な声音を保つ。

 山で獣と鉢合わせになったときに、取り乱してはならない。

 背を見せた相手に襲いかかるのは、野生の本能だ。

 たとえ内心がどうであっても、恐れを態度に現すのは愚の骨頂。

 しばらく俺を見つめ返していたイヌマルは、ゆっくり口を開く。


「なにも、正面から殴り合う必要はねえぜ。俺たちは、こっそり、お姫さんを救出すればいい。それなら、桃の字たちとぶつかるこたぁねえ」

「……イヌマルの旦那が思ったより冷静で安心したってか」

「それに、連中と一緒の猟犬たちを忘れちゃならねえぜ。ほかならぬサルトが鍛えたんだ。桃の字よりも、お前さんの命令のほうを優先するんじゃねえか?」

「……またイヌの話ってか。それじゃあ、懸念その二」


 俺は、指を二本、髭面の大男の前に突き立てる。

 イヌマルは、興味深げにうなずく。


「大将たちは、どこから手配したのか、ご立派な帆船に乗って行ったってか、小さな手漕ぎ船で追いつき、追い越せるっすか?」

「必ずしも、追いつく理由はねえぜ。桃の字がオニどもと内通しているなら、合流したときのどさくさに紛れ込むのが一番いい」

「それだって、間に合うってか……」

「ま、普通の人間なら無理だろうさ。だが……おいらが漕げば、ぎりぎり、どうにかできるかもしれねえぜ」


 髭面の大男は、にやりと笑ってみせる。

 俺は何故だか、背筋に怖気をおびえる。

 イヌマルは、自身の眼前で両腕を交差させて見せる。


「隠し立てしている場合じゃねえぜ。お前さんたち、ビビって腰抜かすなよ!」


 髭面の大男の、ただでさえ長かった体毛がさらに伸張する。

 体格も、一回り大きく膨れあがり、四肢の筋肉が盛り上がる。

 顔の造形すら変化し、鼻が、顎が前へ向かって突き出してくる。

 キジがばたばたと翼を上下させ、モンジは俺の背中に隠れる。

 俺自身も、無意識のうちに一歩、後ずさっていた。

 目の前にいるのが、気性の荒い熊だったら、飛びかかられていただろう。


「旦那、その姿……狼男ってヤツってか!?」

『応よ。イヌマルの名前も、伊達じゃねえぜ!』

「どおりで、ヒトよりもイヌのことにこだわっていたってか……」

『ガハハハ! この性分ばかりは、どうにもならねえぜ!!』

「あー、もう……こうなりゃ、後には退けないってか……!」


 髭面の大男は、オニにも匹敵する体躯を持ち、二本足で立ちながら狼のごとき風貌の、ヒトとイヌの相を持ち合わせた屈強な化生へと変じていた。

 満月を背負う狼男は、小舟を軽々と持ち上げると海の上に浮かべ、乗り込む。

 俺は両手で髪の毛をかきむしると、腹を決める。

 震えるモンジを背負い、暴れるキジを抱え、船へ飛び乗る。


「乗りかかった船ってか……当てにしてるっす、旦那!」

『振り落とされるなよ! おいらの本性、見かけ倒しじゃねえぜ!!』

「ウキーッ!?」

『ケーンッ!!』


 俺は、モンジとキジをなだめながら、小舟の舳先側へ回る。

 イヌマルは、獣毛におおわれた手で、力強く櫂を漕ぐ。

 見る間に砂浜が遠のいていく。


「確かに、これなら追いつけるってか……文字通り、人間離れしてるっす!」

『サルトは前を見てくれ! 方角を間違っちゃあ、目も当てられねえぜ!!』

『ケーン! 鬼ヶ島の場所なら、あちきがにお任せでありんす!!』

「ウッキッキー!」


 モモタロウ一行の帆船に、どこで追いつくことになるかもわからない。

 サル一匹とキジ一羽とともに、俺は前方へ目を凝らす。

 満月が、冷たい光で海面を照らしている。波は、思ったよりも高い。

 ぐらぐらと上下に揺られながら、俺たちは一路、鬼ヶ島へ向かう。


『──ケーンッ!』


 緊張感の張りつめた静寂を、キジの甲高い鳴き声が引き裂く。

 両翼を広げ、ばたばたと音を立たせ始める。


『ケーン! ケーンッ!!』

「どうしたっすか、キジ殿!? 船酔いじゃなさそうってか……」

『無礼者! あちきに振れるなでありんす!!』

『落ち着け、おキジさん! サルトは、敵じゃねえぜ!?』

「海に落ちられると困るってか……鬼ヶ島に着いたら、お姫様が閉じこめられている場所まで案内してもらわないと、いけないっすよ!!」

「ウキッキー!」


 俺は、船上を千鳥足で暴れ回るキジを押さえ込む。

 まるで、ここにはいない何者かと、激しくもみ合っているかのようだ。

 俺の腕のなかでもがくこと、しばし。

 ようやくキジは、ぐったりと脱力する。


『ハッ! あちきは、なにを……』

「……落ち着いたってか、キジ殿?」

『ケーン……お見苦しいところを……』

『いったいどうした、おキジさん。なにがあったか、教えてくれ。鬼ヶ島についたら、お姫さんを助けるんだ。また暴れ出したら、話にならねえぜ?』

『己をさらけ出したイヌマル殿に、そう言われると……あちきも、隠し立てはできないでありんす……』


 俺に解放されると、キジは申し訳なさそうにうなだれる。

 少しばかりの沈黙の後、キジは言葉を継ぎ始める。


『あちきは、キジ姫の使いではなく、本人……というか、一族の秘術を用いて、キジの身体を借りているのでありんす』

「なるほど、道理で。なんとなく違和感があったってか、合点がいったってか」

『思ったほど、驚かないでありんす!? それじゃあ、キジ姫の“キ”は鬼の“キ”……あちきが、オニ族の姫だと言っても……?』

『オニどもは基本、襲った相手を皆殺しだ。さらって身代金を要求するような知恵はねえぜ?』

「鬼ヶ島に幽閉されているってところは、本当ってか。内輪もめっすか?」

『ケーン。その通り……お二人の慧眼、恐れ入ったでありんす』

「ウキキッ」


 首を垂れるキジの頭を、モンジが慰めるようになでる。


「で、キジ姫様。さっきの発作は、なんだったってか?」

『そうでありんす! 狼藉者のモモタロウが、踏み込んできて……!!』

『よくねえぜ、サルト。桃の字、もう鬼ヶ島につきやがった』

「思ったより早いってか。イヌマルの旦那、口を開けて欲しいっす」

『こうか?』


 俺の要請に、イヌマルは狼の口を大きく開く。

 俺は、麻袋のなかからキビ団子を一つ取り出し、放り込む。


「俺のキビ団子は、里の秘伝ってか。強壮効果があるってか」

『確かに……ちっとばかし重くなってきた腕の疲れ、もう感じねえぜ!』

「というわけで旦那! もう少し、速度をあげられるってか!?」

『ガハハ! 任せとけ、是も非もねえぜ!!』

「ウッキキー!」


 巨躯の狼男は、いっそう激しく櫂を漕ぐ。

 船の揺れが大きくなり、波をかき分けながら進んでいく。

 闇のなかに、小さな灯りが見える。鬼ヶ島だ。


 卍 卍 卍 卍 卍


『血の臭いが濃くて、かなわねえ。穏やかじゃねえぜ』


 イヌマルが、狼の鼻をひくつかせる。

 俺たちの小舟は、無事、鬼ヶ島の片隅の砂浜に乗り付けた。

 その名の通り、オニの角のように出っ張った岩が連なる小島。

 海上に浮かぶ要塞のごとき威容だが、田畑を耕す土地は見るからに少ない。

 暮らしにくい場所であることは、間違いないだろう。


「血の臭い、ってことは、争いってか? オニと大将は内通しているのに?」

『土壇場で、仲間割れかもしれねえぜ。それなら、こっちの好機だが……』

「……楽観は、できないってか。慎重に行くっす」


 巨躯の狼男は四つん這いになり、血の臭いを追い始める。

 俺は、肩の上のモンジとともに、周囲の音に対して耳をそばだてる。

 キジは、はやる心を抑えて、ついてくる。


「……こりゃ、阿鼻叫喚ってか」


 海岸から続く坂道を上りきった俺たちを出迎えたのは、地獄絵図だった。

 ヒトと、オニと、イヌの死体が、いくつも転がっている。

 躯の刀傷から、まだ生温い血があふれ出し、月光に照らされている。


『あちきが聞こえた範囲では、ここで斬り合いが起こったようでありんす。オニとヒト問わず、合流を良しとしなかった者たちが……』

『こりゃ、桃の字、ぎりぎりまでオニとの内通のことを口にしてねえぜ』

「毎日、サイコロを振るように追放者を出してたから、驚かないってか……それで、キジ姫様ご本人は、いまどこにいるっすか?」

『ケーン……目隠しされて運ばれたので、わからないでありんす……』


 俺とモンジは、背中合わせで周囲の気配を探る。

 ヒトもオニも、何者かがいるとは思えない静寂だ。


「キキッ!」


 弟分のサルが、小さく鳴きつつ、俺の髪を引っ張る。

 俺は、キジと狼男に目配せする。

 岩の向こうで、小さな影が、いくつか動く。


「ワン!」「バウバウ!」「クーン!」


 飛び出したのは、数日とは言え、兄弟のように世話をみた猟犬たちだった。

 イヌたちは、安堵したかのように俺と、巨躯の狼男にじゃれついてくる。


『おー、よしよし……生き残ってくれたのは良かったが、無傷とはいかねえぜ。しかし、なんで桃の字はこいつらを置いていったんだ?』

「オニには従わないようにしつけたってか、そのせいで置いていかれたってか」


 イヌのなかには、傷を負っているものも少なくない。

 オニと合流したモモタロウに反発して、斬られたのだろう。

 俺は服の袖を破り、包帯代わりに巻いてやる。


『ケーン。サルト殿、慈悲深いでありんす』

「俺の調練のせいでケガしたんだから、責任があるってか」

『肝心の桃の字は、どこだ? 残り香はあるが、薄い。ここには、いねえぜ』

「キッキキ!」


 モンジが、ふたたび俺の髪の毛を引っ張る。

 俺は顔を上げると、弟分のサルが指さす方向を見る。

 海原に、かがり火のものと思しき光が浮いている。


「大将の船、もう鬼ヶ島を離れたってか! だが、どこへ!?」

『ケーン! そういえば、オニたちとともに都へ攻めいる、みたいなことを……』

「はあ!? 大それたことってか、あまりにも拙速ってか……」

『そうでもねえぜ。オニと内通してたってことは、はじめから、そのつもりだったってことじゃねえか? 鬼ヶ島討伐は、建前だったってわけだ』


 巨躯の狼男は、腕組みしながら、モモタロウの帆船をにらみつける。

 荒い吐息から、抑えきれる憤怒が伝わってくる。

 満月を頭上に頂いたイヌマルの瞳が、俺を見下ろす。


『イヌの無事を確かめられたんだ。俺は、ここで降りてもかまわねえぜ……だが、サルト。おまえさんは、どうするよ?』

「そりゃ、放っておけないってか……このままじゃ、都は火の海ってか……キジ姫様だって、あの船に乗せられているだろうし……」


 俺は、言い淀む。都を中心に戦乱となれば、故郷の里も巻き込まれる。

 義侠心だって、なくはない。しかし、自信はない。

 モモタロウと荒くれ者の武人たちに、獰猛なオニたちまで合流した。

 都を十分に落としうる戦力を、一介の獣使いが止められるのか?


『勝ちの目なら、無くはねえぜ……?』


 俺の逡巡を見透かしたように、イヌマルがつぶやく。


『数の差が問題なら、おまえさんが手塩にかけたイヌたちを使えばいい』

「小舟に乗り切らないってか……」

『犬掻きってヤツを忘れるんじゃねえぜ』

「それこそ、船に追いつけないってか……」

『そこで、おまえさんの里の謹製キビ団子の出番だ』


 大柄な狼男は、毛むくじゃらの手を差し出す。


『おいらとイヌたち、それとキジに、キビ団子を喰わせられるギリギリまで喰わせろ。数を間違って、爆発四散させるんじゃねえぜ?』


 化生の身でありながら、イヌマルの両目は怜悧な知性の光を宿している。

 必勝を確信……までいかなくとも、勝ちを拾えると考えている顔だ。

 俺は、腹をくくり、うなずきを返す。

 もとより、引き返せるようなところではなかった。

 モンジは肩の上で飛び跳ね、キジは左右の翼を大きく羽ばたかせた。

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