第6話 郵便配達員の白壁さん
バーベキューの余韻に浸りながら、白壁は歩いて自宅に向かっていた。シャツについた炭の匂いが香ばしい。
入居しているアパートが見え、ポケットから鍵を取り出す。先ほどまでは誰かと話したり、はしゃいだりしていたのだ。そう思うと、少し寂しい気持ちになる。
もしも、ここを退去してパレット荘に引っ越したらどうなるか、白壁は考える。毎日楽しいだろうな、と思う。赤坂やグリーンが頻繁に声をかけてくるだろうし、自分も黄金の部屋に遊びに行くだろう。青山も、たまにドライブに誘ってくれる――と思いたい。桃田はあちこちを取材で飛び回りながらも、もしかしたら新しい記事を見せてくれるかもしれない。
その一方で、白壁は、今の関係を崩してしまうことを恐れてもいた。距離が近くなることで、互いに見たくない部分まで見えてしまうかもしれない。そのとき、疎遠になることが、白壁は一番怖かった。
そんなことを取り留めなく考えながら、部屋の前に立ち鍵を回す。
ガサリ、と後ろから音が聞こえた。振り向く間もなく、何かで殴られたのか、後頭部に強い衝撃が走る。
白壁の意識はそこで途絶えた。
白壁は病室のベッドに横たわっていた。今はまだ眠っている。
自宅前で倒れているのを、散歩に出た近所のお年寄りが発見し、救急搬送されたのだ。頭部から出血していたため、いくつもの精密検査を受けた。まだ結果待ちだが、おそらく命に別状はないらしい。
頭に巻いた包帯が痛々しい。それだけでなく、いたるところにガーゼが貼られている。
転倒によるけがではなく、何者かによる暴行の可能性が高い。バットか何かで殴りつけられたようだ。財布や携帯電話は盗まれており、さらには部屋の中も荒らされていたらしい。
白壁は、時折意識を取り戻しては、二言三言話し、また昏睡状態に戻ることを繰り返した。
ガチャリと病室のドアが開き、鞄を提げた赤坂が入ってくる。
病室内には、すでに青山、グリーン、黄金、桃田がそろっていた。
赤坂は無言で鞄を開け、いくつもの封書を取り出す。
「しきりにポストを気にしていたからね、確かめに行ったんだよ」
誰にともなく言い、ベッドわきの机に広げる。
「うちの、パレット荘の空いているポストに入っていた」
桃田が中身をあらため、目を見開く。
「これって――」
「うん。会計簿のコピーだ。他にもいろいろあったよ。領収書や帳簿の写し、手書きのメモまで。すべて、彼が以前勤めていた企業に関するデータだ」
「マーカーも引いてある。確かなことは言えないけど、この領収書の書き方と言い、不正の香りがプンプンするね」
赤坂はうなずく。
「彼は、大企業相手に一人で闘っていたんだよ。煙たがられ、退職に追い込まれても、地道に証拠を集め続けた。しかし、いつそれが露見して、証拠を回収されてしまうとも分からない。だから、こうして自宅外に、証拠のコピーを残しておいたんだと思う」
毎日郵便を届けに来た白壁。鞄から封書を出し、それぞれのポストに入れていく。最後に、「空 チラシ入れないでください」と書かれた一〇一のポストへ、宛名のない封筒をそっと落とし込む。
青山が腕組みをする。
「たぶん、襲ったのはその企業のやつらだね。もしくは、そいつらが雇ったごろつきか」
「そうだと思う。ただの物盗りを装っているが、部屋からは証拠のデータがすべて消えているはずだ」
赤坂は書類をまとめ、鞄に戻す。白壁は、深い眠りの中だ。
「諸君、行こう」
全員連れだって、病室から出ていく。
病院の入口で、五人は誰からともなく横並びになった。
「さて、どうします?」
グリーンが言う。目は、まっすぐ前を見据えたままだ。
「もう全員そろって引退したはずなんだがね」
赤坂がため息をつく。
「でも、このままにしておけないね。白壁くんを傷つけた罪は重い」
雨が降っている。細かなしぶきが、五人の髪や肩を濡らしていく。
雷鳴がとどろいた。
「みんな、いいね?」
赤坂の問いかけに、黄金が笑顔でうなずいた。
ペインターズ…詐欺、隠蔽、不正の復讐代行人
リーダー…赤坂洋介
ドライバー…青山加奈子
カメラマン…トム・グリーン
ハッカー …黄金了太
インフルエンサー…桃田光江
運転席には青山、助手席には赤坂、後部座席には、桃田、黄金、グリーンの順に座っている。
青山はバックミラーを気にする。白いワゴン車が、病院からずっと追ってきているのだ。
「つけられてるわね」
「我々が、白壁くんの病室から出てきたのを見ていたんだろう。用意のいいことだ。撒けるかい?」
「任せて」
青山はギアを入れ替え、アクセルを踏み込む。小気味いいエンジン音が響いた。ワゴン車も慌ててスピードを上げる。
「オートマには負けないっていうの」
青山はブレーキを踏み込み、ハンドルをこれでもかと回す。彼らの乗った青いスポーツカーは、甲高い音を上げながらドリフトし、細い路地に入った。一歩間違えば、畦道に車輪を取られるような道だ。
案の定、ワゴン車は曲がり切れず、田んぼの中に突っ込んでいった。車体の頭を泥水に突っ込んだまま、バックしようとしているが、タイヤは空回りするばかりだ。あれでしばらく出られないだろう。
「なんだ、もう終わりか。つまんないの」
青山は頬を膨らませる。
スポーツカーは、高速道路を飛ばしに飛ばし、例の企業付近に乗り付けた。
グリーンだけが車を降りる。紺のジャケットを着て、オフィス内に踏み込んだ。
携帯電話で話すふりをしながら、受付を通過する。堂々としていれば誰も気にしないものだ。グリーンがセミフォーマルないでたちをしているのも、周囲の疑念を払拭するのに役立っている。
まずは、経理課と書かれたブースに目を付ける。ドアノブを回して中に入ると、パソコンを操作していた数人がグリーンを注視した。
「アー、ハロー、ドゥーユーノウマイワークプレイス?」
そのまま英語でまくしたてる。会社員たちは目を丸くし、固まったままだ。やがて、グリーンは話にならんとばかりに肩をすくめ、部屋を出ていく。それを、営業部、人事部、総務部と順に行い、最後には仕事を委託されたと勘違いしたフリーランスの海外実業家を演技しながら、オフィスを後にする。
スポーツカーに戻り、すでにタブレットとノートパソコンを開いて準備していた黄金へSDカードを渡す。
黄金がデータを開くと、オフィス内、ブース内の写真が何十枚と記録されていた。
「あーあ、何ということでしょう、パスワードをホワイトボードに掲示するなんて」
セキュリティの甘さを小ばかにしながら、会社内のWi-Fiへアクセスする。
「脆弱だね。すぐに破れますよ」
画面を凝視し、キーボードをたたく。グリーンの撮影した写真を確認しながら、いくつものロックを破る。必要そうな資料を見繕い、タブレットにダウンロードしていく。
「白壁さんの社員コードもまだ効くようですね。念のため記録しておいてよかった。個人のパスワードは…よかった、生年月日だ」
「私のスリのテクニックも、まあまあ役に立ったかな」
「本当、初日に財布をスるなんて、赤坂さんもやりますね」
黄金が白壁の携帯電話から吸い出したデータ、そして白壁の赴任初日に、身元を確認するために赤坂がスった身分証のデータが役立っているのだ。
ダウンロードされた資料に、桃田が片っ端から目を通す。手元のノートに、すさまじいスピードで何かが書き込まれていく。
「典型、本当に典型。びっくりするくらい。これならすぐに完了するよ。白壁さんが、大事な証拠はほぼ押さえていてくれたから助かる」
やがて、桃田が「よし!」と声を上げた。
「いけるよ。赤坂さん、よーく聞いてね。パターン1は…」
相手の不正を暴き、論破するための筋書きを桃田は伝え始める。赤坂はふんふんとそれを聞く。
「もし、相手が責任を他社になすりつけたら?」
「そうしたら、パターン2…」
そうして理論武装するのだ。最終的に、パターン5までの説明が終わり、そのすべてを赤坂は頭にインプットする。
「よし、それではいってくるよ。いつもの通り、何かあったら、よろしくね」
赤坂と桃田は車を降りる。二人は首元にピンマイクを仕込んでおり、車のスピーカーから音声を拾うことができる。
赤坂と桃田は、にこやかに受付へと赴き、社長に面会したい旨を伝える。普通なら突っぱねられるところを、人のよさそうな笑顔と嘘を赤坂が絶妙に織り交ぜ、社長室へ案内されることとなった。
革製の椅子に腰かけ、赤坂は両手の指を組む。
「それでは、少しお話したいことがございましてね――」
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