第2話 ドライブ好きの青山さん

 配達を終えると、赤坂と花壇の世話をするのが白壁の日課になった。チューリップに水をやり、土の状態を確認する。次は何を植えようかと、二人そろって園芸の初心者本を覗き込む。局への報告が遅れてはよくないので、帰ってからもう一度パレット荘に足を運ぶこともよくあった。

 この日も、局への報告を終えたその足で裏庭に舞い戻り、肥料を継ぎ足した。心地よい疲労感を感じながら、庭の隅にある水道で手を洗い、ベンチに腰を下ろす。首にかけたタオルで汗をぬぐった。

 赤坂が麦茶をグラスに入れて持ってきてくれる。二人並んで花壇を眺めていると、エントランスに入ってくる人影があった。

「おや、おはよう青山くん」

 赤坂が声をかける。青山と呼ばれた人物は、裏庭へ出てきた。

 作業着姿の若い女性だ。年は白壁と同じくらいだろうか。長身で、すらりとしている。長い髪をポニーテールに結わえており、きつそうな顔立ちだが相当な美人だ。

「あら、お客さん?」

「前に話した白壁くんだよ。ほら、郵便配達の」

「ああ、園芸手伝ってもらっている人ね。どうも」

 白壁も立ち上がり、どうもと言って頭を下げる。その慌てた様子が面白かったのか、青山は少し笑った。

「いい人そうじゃん。あんまりこき使ったらだめだよ」

 そう言われ、赤坂は頭をかく。

「彼女は私の姪っ子に当たるんだが、頭が上がらんのだよ。ところで白壁くん、今晩予定はあるかい?」

「え? 特にないですが」

「ちょうどいい、今晩付き合ってくれないかな。行きつけの居酒屋があってね」

「かまいませんよ」

 急な誘いに戸惑っていると、青山が「ちょっと」と口をはさむ。

「赤坂さん、私に運転させる気でしょう」

「今帰って来たってことは、今日はもう暇だろう?」

「別にいいけどさ、話が急すぎるんだよ」

 どうやら、飲みに行くときには、青山が送迎係らしい。赤坂と青山はいくらか問答していたが、結局青山がハンドルを握り、代わりに赤坂がご馳走するという話でまとまった。

「本当に人使いが荒いから、白壁さんもあんまり言うこと聞きすぎちゃだめだからね。集合時間はここに夜6時でいい? もし私がいなかったら、二〇一が私の部屋だから、声掛けに来てね」

 青山の物腰は、ものすごくさばさばしている。初対面の男に、部屋番号を教えてもよいものだろうか。

 青山は手を振って階段を上っていき、白壁も一度帰ることにした。エントランスから出て、パレット荘の脇を見ると、青いスポーツカーが停まっている。四輪駆動のミッション車。先ほどまでの青山の様子を思い出し、白壁は「似合いすぎだなぁ」とつぶやいた。

 

 薄暗くなった山道を、スポーツカーはひた走っていた。青山は素早くシフトチェンジしながら、腹までエンジンを響かせる。

 後部座席で白壁はシートにしがみついていた。隣の赤坂はというと、慣れたもので涼しい顔をしている。どうやら青山はスピード狂のようだ。声を出さずに「似合いすぎだろう」とつぶやく。

 約束より5分ほど早くパレット荘に到着すると、すでに赤坂と青山は裏庭で待っていた。青山の部屋へ行けなかったのは、少しだけ悔やまれるところだ。青山は作業着から着替え、Tシャツにジーンズというラフな格好になっていた。髪も下ろしていて、なぜだか白壁をどきまぎさせた。

「いつにも増して快調だね、青山くん」

「そりゃあ、初めてのお客さん乗せてるからね。どう、白壁さん、楽しんでる?」

 白壁は強引に笑みを作って、「は、はいぃ」と言うだけだ。

「帰りは大人しく運転するから安心してね。アルコール入った状態でこれだと、ゲロゲロになっちゃうから」

 それを聞いて安心すると同時に、それでもお酒は控えめにしようと白壁は決意する。

「普段は何をされてるんですか? 走り屋ですか?」

 ごく真面目に質問したつもりだったが、青山も赤坂も噴き出した。

「走り屋なんてやってないよ。普段は自動車の整備工場で働いてる。依頼が少ない日は、今日みたいに半ドンになるんだ」

 なるほど、と言いたかったが、青山がさらにアクセルを吹かしてカーブに突入したので、それ以上口を開けなかった。


 山頂近くに、提灯のかかった小さな居酒屋があった。暖簾には、「やまねこ」と文字が入っている。周囲は砂利を敷いた広場になっていて、手近な場所に青山はスポーツカーを停める。

「ここまでは、さすがに歩いて来られないからね。青山くんがいてよかったよかった」

 言いながら赤坂は引き戸を開ける。

 白壁は少なからずげんなりしていたが、暖簾をくぐって中を見ると、目を奪われた。古風な大皿料理が並んでいる。大きな板を横にしただけという風情の大柄なカウンターがあり、天井からぶら下がった電球の明かりに照らさせている。テーブル席や座敷はなく、土間には狸の置物や木彫りの熊やら、どこか見覚えのある骨董がところ狭しと並んでいる。店の奥にある階段は、二階の自宅へ通じているのだろうか。

 どことなく、父に連れられて入った故郷の店を思い出し、懐かしい気分になる。

「どうだい、なかなか風流なところでしょう」

 赤坂の言葉に、白壁は、すごいです、素敵です、と語彙力を失う。

 カウンターの奥から、無愛想な主人が出てくる。しわだらけの顔にほっかむりをした姿は威圧的だが、エプロンに付いている猫のワッペンは何だろう。

 三人でカウンターに座り、飲み物を注文する。白壁と赤坂はビール、青山はウーロン茶だ。赤坂が「これと、これと、これ、三人前」と大皿を指さす。主人は黙ってそれを小皿に盛り付け、それぞれの前に置く。

「連れができてよかったじゃない、赤坂さん。いつも、ここに連れてくる友達が欲しいって嘆いていたから」

 青山が言う。そうなんだよぉ、と赤坂は白壁の肩を叩いた。

 居酒屋の主人は、無愛想に、酢の物と、山菜の炒め物と、魚の塩焼きを差し出した。

 そこからは、いつもの赤坂劇場だった。白壁の話を青山に聞かせ、そこからさらに話を広げて白壁に話させる。逆に青山の幼いころの話を白壁に聞かせようとして、青山からチョップをくらっていた。

 赤坂は大皿料理をどんどん注文し、これがうまい、これもうまいと白壁に差し出す。大皿に値段が付いていないことが気になるが、料理の味は確かなもので、勧められるままに白壁はバクバク食べる。ビールが空になると、赤坂はキープしていたらしい日本酒のボトルを頼み、自分と白壁に注いだ。

 青山は彼の奥さん方の親戚らしい。そのことに話が及んだ流れで、酒が入ったこともあってか、赤坂は珍しく自分のことを話し始めた。

「私たちは、晩婚でね。子どもには恵まれなかったが、それなりに楽しく生活していたんだよ。まだパレット荘を開く前でね、私はごく普通の会社員だったし、妻は料理教室の先生をしていた。旅行が好きでね、二人して海外を回ったものだよ」

 彼の話は、彼が人に話を求めるときとは打って変わって、ぽつりぽつりとしたものだった。

「将来は二人で料亭でも開こうか、あるいは海外に住んでしまおうか、なんて話したこともあった。でも、結局はその時の生活が気に入っていてね、質素だったけれど、毎日楽しかったんだよ」

 赤坂が全てを過去形で話すことが気になった。もちろん、白壁にもある程度の予想はついている。赤坂の家に何度かお邪魔したが、奥さんの気配は皆無だったのだから。

「妻を亡くしたのは、あまりに悲しい事故でね。あるとき、彼女は用があって一人で他県に出ていたんだが、乗っていた高速バスが横転事故を起こしてしまった」

 赤坂はしばらく押し黙る。青山は、何かに驚いたように目を見開いていた。

「そのあとも大変でね。バス会社の質が悪くて、少なからず事実を隠蔽しようとした。そこで、遺族たちやけがをした人たちで訴訟を起こしたんだよ。しかし、毎回押し問答で、何かにつけて『証拠はあるのか』と言われる。結局証拠を集め、相手を黙らせるのに三年かかったんだ。私も疲れてしまってね。それで、会社も辞めて、ふらふらしているうちになぜだかここでアパートを開くことになった」

 ふう、と息をつき赤坂は「いや、なんだか暗い話をしてしまったね」と笑った。そして、白壁のグラスにどぼどぼと日本酒をついた。そこからは、またいつもの調子の赤坂であった。

 「やまねこ」を出るころには、白壁はふらふらの千鳥足となり、赤坂も赤ら顔の酔っぱらいと化していた。白壁は自分も勘定を払うと主張したのだが、赤坂の指示で青山に押さえつけられ、その間に全額赤坂が支払ってしまった。無論、背後から青山に腕を回された時点で、勘定どころではなくなってしまったのだが。

 青山がてきぱきと二人を乗り込ませ、念のためとビニール袋を持たせる。用意のいいことだ。帰り道は宣言通り安全運転で、後部座席の二人もゲロゲロにならずに済んだ。

 これ以降、青山が車を出せるときには、「やまねこ」を訪れることが習慣になった。


 白壁にとってはうれしいことに、時折青山からドライブに誘われるようになった。例のごとくエンジンをブイブイ言わせながら、手近な山道を登る。

 山頂近く、車を停められるような場所に来ると、景色を見下ろしながら、煙草を吸う。白壁はしばらく禁煙していたが、このときだけはもらうようになった。

 ドライブは昼間のことが多かったので、青山は相変わらずの作業着姿だ。二人して煙を吹かしていると、冷たい山の風も相まって、なんとものどかな気分になってくる。

「あんた、だいぶ気に入られてるね」

 青山は、少し前から白壁のことを「あんた」と呼ぶようになった。嫌な気はしない。

「誰にですか?」

「もちろん赤坂さんによ」

 たしかに自覚はあるが、ここで肯定するのもひけらかすようで気が引ける。曖昧に返事をしていると、「この前の『やまねこ』でさ」と彼女は言う。

「赤坂さんが、奥さんの話をしていたじゃない? あれさ、いくつかパターンがあるの」

「パターン?」

「うん、赤坂さんって、純粋そうに見えて、実は人のことをよく見ていてね。信用できない人には、腹の中を明かさない」

 青山の言う赤坂は、白壁のもつ彼の印象とは違っていて、少し戸惑いを覚える。

「私の知ってるパターンは三つ。一つ目は、奥さんを病気で亡くしたけれど、息子が東京で働いているって話。二つ目は、奥さんがキャリアウーマンでイタリア暮らしだから、自分が時々行き来しているって話。三つ目は、自分がギャンブルにはまったせいで借金を抱えてしまい、奥さんと娘に出て行かれたって話。後になるほど、相手の信用度が低いときに使う」

 青山は白壁の方をじっと見る。

「私のことを姪っ子だって早々に明かしたのにもびっくりしたけど、奥さんの話を始めたときにはもっとびっくりした」

 にこりと微笑む。

「だって、全部本当のことだったから。あんた、めちゃくちゃ信頼されてるんだよ」

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