第9話 オヴォエええぇ

 そんなこんなで消灯時間になるのだが、机を横に倒して脚をたたみ、イスを隅に積み重ねてスペースを確保してからみんなで横になり、ランプの火に足立わ-7八がふぅっと息を吹きかけるところでウェワッロイヤォは鱒世の手を取って小屋の外に連れ出した。


「ちょ、ちょっと。どうしたんですか」

「いや、何というか。ここにいては八良瀬殿の御身に危険が予見されまする故」

「え、そうなの」


 自分と合流した蛮族もずっと女の体を狙っていたこともわかったし、革命勢力もこれに加わったら、さっきの消灯とともに乱交パーティーの開始は必至である。


「でも、どこで寝ます? 真っ暗でちょっと怖いです」星の光しかない夜は、神奈川県川崎市出身の都会娘には恐怖であった。


「わ、それがしが一緒にいるでござる。大丈夫でありまする」そっと鱒世の手を握る三十路の童貞。相手は十六歳だ。


「ありがとうございます。ウェワ……えーと……さん」彼の名前をうろ覚えであったことをようやく気づく鱒世。


「まあ、覚えるに値せぬ名にござります」

「寝れそうにないし、ここで日が昇るまでじっと座ってますか」

「八良瀬殿がそれでよければ、それがしでお相手つかまつりまする」


 小屋の外のベンチのように設置された横長の岩に二人で腰掛け、静かなのか虫の声でやかましいのか微妙な闇の中、中年童貞と女子高生は微妙な距離感で途切れがちになりながらも会話を続けた。


「私、何でここに来てしまったんだろ。死んだのかな」

「いかなる意味にござりまするか」

「ここって死後の世界じゃないかなって。天国とかじゃなさそうだけど」

 異世界転生ものというジャンルのことを鱒世はよく知らなかったのだが、何となくそういうルールに自分は則っている気がして言ったのだった。


「そうだとすると元からここで生きている我々はいったい何でござりまするか」

「あ、ごめんなさい そりゃ違いますよね……あのー、アニメ?に出てきた私って、元にいた世界には帰れたんですか」


「お…………それは」どうしようか。ネタバレになるようなことをここで登場人物そのものに打ち明けていいものかとウェワッロイヤォは答えに窮した。


「申し訳ござりませぬ。何せ記憶が断片的であり、それがしにも、それは」

 と口にしたのは、あのガサツな上司と夫婦になるということを彼女に告げたくないばかりか、彼自身の頭からもその結末を否定したい気分になっていたからだった。


「そうなんですか……でも不思議ですよね。そのアニメの私にも、元々住んでた世界があってそこで女子高生やってて、その世界は何だったんだろう。そこもアニメだったのかな…………あれ? 私は元々現実だったのかな。ていうか今の私は何? なに…………?」

「落ち着いてくだされ。闇のうちに考え過ぎたれば、朝が来たとてお心が闇から抜け出せのうなり申すぞ」


 思考のドツボにはまった鱒世の混乱をなだめていたウェワッロイヤォだったが、彼女の自問自答は妙に芯を食っていた。


「私、そのアニメだか聖典だかの登場人物で、そもそも現実の人間ですらなかったってことかな? そんな……私のいた世界も幻だったら、帰れないってこと?」これまでにないくらい鼻声になったので、ウェワッロイヤォにもやばいことがわかった。


「だ、大丈夫でござりまする! 八良瀬殿のおはされた世界は、アニメ版でもいと鮮やかに描かれており申し候。聖典がまことに実在するやうに、八良瀬殿のおはされた世界もまた、しかとおはされるに存じ上げ奉りまする!」


 と思わず鱒世の背中にそっと手を当てて励ますと、鱒世の感情がついに決壊してギャン泣きした。


「あぁああ! あああぁ! う、う、うわぁああああ!……ふ、ふつうに言っでぇええぇ!」

「あ、ごめんなさい」


 とは言ってもなかなかウェワッロイヤォの文語口調が急に直ることはなく、しかもうまい慰めのせりふも出てこないのでしばらく彼女の背中を無言でさすっていたら鱒世も落ち着いてきた。


「でもやっぱ、元の世界がわかんなくなってます」

「うぬぬ」

「だって、そのアニメでも、聖典っていうのが出てくるんでしょ……? それは何を……元に、してる……の……また、そのアニメのなかの……本の聖典に……私が住んでる……世界……が、その世界……でも……アニ、めg……」


 鱒世に猛烈な眠気が襲ってきて、頭がこっくりこっくりと格闘ゲームの必殺技コマンドのような動きになったところでウェワッロイヤォが受け止めた。


「(そうか。わかり申したぞ)」そのとき、もやもやしていたウェワッロイヤォの疑問がきれいに晴れたのだった。


 しかし、その答えを聞かせることはせず、そのままそっと自分の膝に彼女の頭を乗せ、眠らせたのだった。なるべく彼女の頭が自分の勃起している陰茎に当たらないようにしながら。


 二人が目を覚まし薄暗い小屋のなかに戻ってみると、壁という壁に現代アート的な感じで赤い筋が縦横無尽に走り交じり、床は至る所に赤の水たまりができており、人の腕、脚、胴体に頭が組立前のフィギュア人形のようにあっちこっちに散らばった状態で散乱していた。


 ヘモグロビンの鉄成分と、腸から破れ出た糞便の混じる強烈な臭気のプレッシャーで二人はドアからすぐ後ずさった。


「オヴォエええぇ」どん引きするウェワッロイヤォの横で、八良瀬鱒世はたまらず嘔吐した。王都で。


 この小屋の薄い壁一枚隔てた外の世界は、かすかな霧が弱い日光を反射し小鳥がさえずる郊外のさわやかな朝で、少し気分を持ち直してから二人は話し始めた。


「皆、何があったでござりまするか」ゆっくり小屋に戻ってもう一度なかの様子を見ると、血だまりの真ん中でぎろっとウェワッロイヤォを二つの目玉が動いた。


「あ、フワちゃんどのはご存命か」真っ赤なモジモジ君状態のフワちゃんは体育座りのかっこうで小刻みに震えていた。


「御身にお怪我はござりませぬか」

「…………」まるで保健所で殺処分される前の野犬のような目でウェワッロイヤォを見つめたままフワちゃんは沈黙を続けていた。


「めっちゃ強かったよ。あの蛮族」

「わ」


 急に紅い壁が喋りだしたかと思うや、それは薄暗い部屋で闇と血の色で壁に同化していたビュアッノドスであった。


「団長殿。まさか」

「フワちゃんをみんなで取り合いみたいになってね。革命勢力も蛮族もちょっと男尊女卑的な感じやったやろ、女は性欲処理用の肉便器みたいなノリで暗くなったらみんなでこいつを脱がしにかかってて」


 それを阻止できたのかどうか、武器は置いてきたのにどうやってこんな大量殺戮をしたのかなどいろいろ謎であったが少なくともこの血塗れの二人が生き残っていることが全てである。


「ふっふ…………アッハッハハハハ」急に真ん中の赤い人形が笑い転げてのたうった。


「フワちゃん殿」何かかわいそうだなという感じでウェワッロイヤォが哀れみの目でそれを見ていると、ビュアッノドスも遅れて爆笑したのだった。


「???」

「だああいせえええいこおおおう」


 というと二人が立ち上がってウェワッロイヤォと鱒世の二人のところへやってきた。


「ドッキリだよ、ドッキリ」

「どっきりとは、いかなる意味にござりまするか」


 ウェワッロイヤォはそもそもの意図が飲み込めてなかったが、鱒世はその意味がわかったので彼を置き去りにして「えええ? ドッキリなんですか。なああんだあああ」と膝から崩れ安堵のため息をついた。


「さすがユーチューバーっすね、こんなドッキリどうやって仕掛けたんですか」

「アッハッハッハハハハ」

「それにしてもよくできた死体ですね、ひどいにおいも手が込んでるじゃないですか。血の準備とか大変だったでしょ」

「ん、まあほぼほぼビュア公がやったし、私寝てるだけだったから平気平気」

「ああ、切れ味悪かったよな、相手が持ってたナイフ奪って切ったんだけど。こいつら体も頑丈みたいでさ、腕も首もなかなか切り落とせなくてその間めっちゃ抵抗されたわアハハハハ」

「ないふ? 抵抗?」

「団長殿はアニメ界でもワンパンマンの次の次くらいに強キャラであらせられますからな。この小屋にいた連中を殺戮することも造作もなかろうて。それにしても、蛮族も革命勢力もここであやめてしまうとこの後が大変なのでござりまするぞ」


 ウェワッロイヤォは一人違う文脈で話していたが、鱒世もどうにもそんな気がしてきた。


「あの、ドッキリですよね? フワちゃんさん」

「うん、ドッキリしたでしょ」

「本当に死んでたらドッキリするよそりゃ!」


 思わずタメ口で返してしまう鱒世。動揺と怒りと恐怖のチャンポンでパチスロみたいにくるくる感情が回転する。


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