第8話
エレベーターは、僕ら全員が乗るには小さすぎる。僕らは、分かれて現実世界へ戻ることにした。第一陣は、松井、森藤、池下、三船。
箱に乗り込んだ四人に、僕は軽く手を振った。
「エレベーターが地階に到着して扉が開くと、すごく眩しい光が見える。そのまま意識が飛んで、気付くとベッドの中にいるはずだよ」
最後のアドバイスを贈る。
「ありがとうございました」
松井が言う。生意気だと聞いていたが、なかなか頼もしいやつだった。周囲の人間に恵まれれば、きっとなんだかんだ好青年に成長するのだろう。
その横で森藤も頭を下げる。彼女は過去に深い傷を負っているのだ。それを乗り越えて、明るい人生を歩んでほしいと願わずにはいられない。
「また現実世界で会えたらいいですね」
池下がはにかむ。中学生ながら物おじせず、直球を投げる強い子だ。近藤さんや遠藤さんと会えば仲よくなれるような気がする。
三船はまだどこか現実感を欠いた表情だ。竹島のことはあまり引きずってほしくない。この先の人生、出会いはいくらでもあるのだから。
エレベーターの扉が閉まる。鈍い作動音と共に、四人を乗せた箱が下って行った。
「ここの『ミズカラ』は、まだ復活しないですよね?」
大場スミがやや不安げに言う。
「僕らがエレベーターに乗るまでに復活することはまずないと思う。心配いらないよ」
彼女が安心できるよう断定的に伝える。
君野梨歩の視線を感じ、僕はそちらを振り向いた。彼女には、さすがに疲労の色が見える。加えて、現実世界に戻った暁には、彼女にはつらいリハビリが待っているはずだ。何しろ現実世界の彼女は、数か月も目を覚まさない状態だったのだから。おそらく、目覚めたときには病院のベッドだろう。そのことは、すでにやんわりと彼女自身に伝えてある。
君野梨歩は、疲労を隠すように、明るい声で言った。
「私、桜庭さんのことをどこかで見たことあるな、と思ってたんですよ。ずっともやもやしてたんですけど、エレベーターに隠れてたときに思い出したんです。桜庭さん、お母さんを見つけてくださった方ですよね」
僕の脳裏に、君野先輩の姿がよぎる。胸から血を流した彼女。抱き上げる僕。冷たい雨が降っていた。
「お母さんは残念だった。せっかくこの洞窟を生き延びたのに、不慮の事故で――。何の因果か、僕が第一発見者になってしまった」
「うれしかったと思いますよ。一緒にここで戦ってきた仲間に最期を見届けてもらえて」
あれは朝だった。少し肌寒かった。君野先輩を抱き上げる。僕は叫んでいたかもしれない。黙っていたかもしれない。近所の人々が何事かと集まってくる。人を呼ぶ声。電話を掛ける声。群衆の中に、幼い君野梨歩もいる。
彼女は、どこまで知っているのだろう。賢いのだから、先輩の死因についてある程度推測できているのかもしれない。それとも言葉どおり、不慮の事故だと信じているのだろうか。
「お母さんは最期まで、君のことを一番に気にしていたよ」
君野先輩を抱き上げる。彼女が咳き込む。喉の奥で血の音が響く。僕のシャツに血がべっとりと付く。彼女は「桜庭くん」と言う。彼女は「梨歩をよろしくね」と言う。
エレベーターが戻ってきた。もちろん、中には誰も乗っていない。
「さ、乗りましょうか」
僕の言葉をどう受け止めたのかは分からないが、君野梨歩がはきはきと言う。
三人で箱に乗り込み、地階のボタンを押す。重い音を響かせて、扉が閉まる。
「目覚めたら何をしたいか、考えた?」
問いかけると、大場スミは目を輝かせた。
「温かいココアか何かを飲みたいです。あと、前田のおばちゃんにも会いたい」
「前田のおばちゃん?」
「施設長です」
「ああ」
彼女らしい、欲のない答えだ。君野梨歩は「あーあ」と声を上げる。
「私も温かいもの飲みたいです」
「しばらくは点滴での食事になるかもね。胃腸がびっくりしちゃうから」
「怖いです。現実で、私は原因不明のまま眠り続けていた子ってことになってるわけですよね。どんな検査をされるんだろう……。お父さんも心配してるだろうし」
聞いていて不憫になる。これからしばらく、彼女には別の闘いが待っているのだ。
「桜庭さんはどうするんですか?」
大場スミが聞いてくる。
「どうかな。ここしばらく大学を休んでいたから、まずは顔を出さないとね」
「へえ、意外と真面目なんですね」
「意外とって」
離しているうちに、エレベーターが地階へ到着する。チン、と間の抜けた音がした。
「本当に、いろいろとありがとうございました」
大場スミが言うので、なんだか面はゆくて返事に困ってしまった。君野梨歩も笑みを浮かべてこちらを見る。
「機会があれば、また会いましょう」
「うん、また」
僕はうなずいた。
扉がじわじわと開き、眩い光が差し込んできた。この光が消えるころには、二人は消え去って――現実の肉体に戻って――いるだろう。そして、古ぼけたアパートのエレベーターに、僕は一人で立っているはずだ。
君野先輩について考える。僕は君野梨歩に、少し嘘をついた。「不慮の事故」――君野先輩は、そんなもので死んだわけではない。『ミズカラ』に殺されたのだ。
発端は、彼女がある女子高生の相談を受けたことだった。君野先輩の旦那さんはバスケットチームのコーチをしていて、その女子高生はそこのメンバーだった。手伝いとしてよく練習に顔を出していた先輩は、その女子高生とみるみる仲良くなり、悩みの相談を受けるまでになった。その女子高生は、君野先輩たちと同じマンションに家族と住んでいたので、ときには家族同士でバーベキューをすることもあったらしい。
あるとき、先輩は彼女から気になる相談を受ける。
「最近、夜になると、変な洞窟で目覚めることがあるんです」
聞いていくと、どうやらその女子高生も『呼ばれ』ていることが分かった。
先輩は迷った。僕に負けず劣らず、先輩も『ミズカラ』との戦いで心に深い傷を負っていたからだ。
しかし、先輩はその恐れを自力で乗り越え、自分も過去に『呼ばれ』ていたことを打ち明けた。そして、助力を申し出る。今の僕のように。
先輩はうまくやった。多くの参加者を救うことができた。しかし、最後の橋で、その女子高生は下手をうった。エレベーターが見えて気が緩んだのか、先輩の指示と違う行動をとったのだ。その結果、彼女は『ミズカラ』に捕まり、水底へ引きずり込まれてしまった。
先輩の切り替えは早かった。エレベーターで現実世界へ戻ると、マンションの彼女の部屋まで走った。先輩は何とかして大量殺戮を止めようとしたのだ。
ちょうど、部屋からその女子高生が出てくるところだった。血で染まった包丁を持って。後から分かったことだが、すでに室内では彼女の両親が刺殺されていた。
先輩は彼女と闘った。そして、マンション前の通りで胸を刺された。女子高生はその場を立ち去ったが、あらかじめ先輩が通報していたおかげで、すぐに確保されたという。
――光が消えた。
エレベーターの中を見渡すと、大場スミも君野梨歩もいない。
扉の外には、薄汚れたマンションの壁があり、その隙間からオレンジ色の朝日が見える。
「さよなら」
つぶやいて、エレベーターから出る。これから僕には、するべき仕事がある。
――竹島一郎の凶行を止めるのだ。
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