第7話
大場の投げたライトで、最後尾の一匹が谷底に落ちた。
すかさず、松井がバットを手に躍り出る。
そうした動向には目もくれず、竹島は目を見開き、ぶるぶると震えていた。僕の言葉はどうやら図星だったようだ。
当初は、僕も仮説程度にしか思っていなかった。ノートを所持しているリーダー格の人間が、『ミズカラ』に捕まってしまったのではないか。それとも、ノートを所持した人間がゴールして、そのまま返しに来ていないのではないか。あるいは、誰かが意図的にノートを隠したのではないか。
しかし、今では確信している。
この竹島は、大場スミたちと同じ初参加者ではない。いつからかは分からないが、彼らよりも前からここを訪れていて、もちろんノートのことも知っていた。
彼は、そのノートをわざと隠したのだ。大場スミら、他の参加者に見えないところへ。なぜか? 誰も何もわからない状況――同時に極めて危険な状況で、自分だけが的確な推測をし、適切な指示を出せたら、ヒーローになれるからだ。
「僕が来るまで、ヒーローごっこは楽しかった?」
竹島は唇を噛んだまま答えない。彼にしてみれば、僕の登場ほど面白くないことはなかっただろう。自分がヒーローになるための布石を撒いているところで、突然詳しい事情を知る人間が現れたのだ。それゆえ、彼は焦って僕を排除しようとした。それが、先ほどの無理のある発言だ――「あんた、もしかして僕らのところへ来る途中、『ミズカラ』に成り代わられたんじゃないのか?」
橋へと目をやると、松井が首尾よく二匹目の『ミズカラ』を突き落としていた。これで残るは一匹だ。大場が二投目のライトを用意し、松井がバットを手に三匹目へ近づく。後方では同じくバットを持った池下が控えている。もう問題ないはずだ。
僕は怒っている。正直、自分でもどう対処したらよいものか分からないくらい、どす黒い何かが煮えたぎっている。
誰かが僕を貶めるのは構わない。好きに言えばいいだろう、と思う。今の目的は、皆に好かれることではなく、皆を生還させることなのだから。
ただし、竹島のやったことは違う。彼は重要なノートを隠したのだ。全員が生き残るために必要な情報を、廃棄しようとしたのだ。
顎を失ったラガーマンの先輩が脳裏をよぎる。それを皮切りにして、この戦いで傷つき捕まっていった人たちの姿が、何人も浮かぶ。
先輩や後輩たちの犠牲を無駄にしないために、僕らの世代はそれらを数値化し、分析し、情報としてまとめたのだ。それを損なった竹島の行為は、もういなくなってしまった人たちのことを踏みにじったも同然だ。
「僕は生意気なやつが好きだよ。若者は――特に君たちみたいな高校生は――そうでないといけない。でも、君はやりすぎたね」
竹島の胸ぐらをつかみ、僕は歩き始めた。努めて冷静さを保とうとしているのだが、頭がじんじんとしてうまく働かない。
岩陰から出たところで、竹島を地面に放り投げた。ちょうど、松井に攻撃を仕掛けられた『ミズカラ』が、身をひるがえしてかわしたところだった。
竹島の姿に目を留めた『ミズカラ』は「ぎょおおお」とうなり声をあげ、飛びついた。
「う、うひゃあああああ」
外れた肩の骨をぶらぶらさせながら、竹島は何とか立ち上がろうともがく。しかし、足は濡れそぼった地面を蹴るだけで、一向に踏ん張れそうにない。
真っ黒な指が竹島の喉に届く、というところで僕はライターを点け、ガスを噴射した。赤黒い炎が一直線に延び、『ミズカラ』の大きな頭部が燃え始める。
「ぎょ、ぎょおおおっ」
驚いたのか、それとも火を消そうとしたのか、『ミズカラ』がぎこちなく両腕を上げ、振り回した。しかし、腕は空を撫でるだけで、頭の火は燃え続けている。
そいつは、あらぬ方向へ走り出した。動いたことで頭の火はやや収まったようにも見えたが、時すでに遅し。そいつは自ら谷底へダイブしていた。
竹島は十分な恐怖を感じたらしく、学生服のズボンは湿っている。濡れた地面に倒れたせいだけではなさそうだった。しかし、さすが頭の回転は速く、切り替えも相当だった。
彼は立ち上がると、橋の上を全力疾走した。左手で右腕を押さえ、不安定ながらもなかなかのスピードで渡り終える。
「大場、お前、一生恨んでやるからな、こんなやつを連れて来やがって」
エレベーターの前でこれでもかと罵詈雑言を吐く。逆恨みにもほどがあるだろう。しかも、僕ではなく大場スミがターゲットときた。
「俺は現実世界に戻る! こんなところとはもうおさらばだ。みさきぃ! 一緒に来るか?」
美咲って誰のことだ、としばらく迷い、やがて三船のことだと気付く。
名を呼ばれた三船は、自分の身を抱きしめるようにして首を振った。竹島が愕然とした表情を浮かべる。
「みさき! なんでだよ? 一緒に行こう。前にも言ったとおり、俺がお前を守るから!」
そんなことを言っていたのか、と僕は苦笑いする。さすがは高校生といったところか。結局、竹島はリーダーシップこそ優れていたが、中身は子どもだったのだ。
爽やか好青年だった竹島の変貌を目の当たりにした三船は、顔を凄絶にしかめている。
「気持ち悪い……」
いい仲まで秒読みだったであろう女性の言葉を聞き、竹島は信じられないという顔をする。
「俺は帰るからな! お前らのことなんて知るか!」
そう言って、竹島は踵を返し、エレベーターのボタンを押す。
勝手に帰るがいい、と正直なところ僕は思った。彼が現実世界へ戻った後で、僕らもエレベーターを呼び戻して乗ればいいだけなのだ。
エレベーターの扉が開いた。竹島がゆっくり後ずさる。
なぜ乗らないのだろう? 僕は首をかしげたが、竹島が数歩下がったところで合点がいった。
ああ、まだ帰っていなかったのか。
竹島の鼻先には、金属バットが突き付けられていた――僕の持ってきた、四本目のバットが。エレベーターから、ワンピース姿の少女が進み出た。
「お久しぶりですね」
金属バットを構えた君野梨歩は、そう言って微笑んだ。
エレベーターでこの洞窟へやって来た後、僕がまず向かったのは最初の部屋ではなく、「幽閉の牢」だった。それは、第二関門である神殿の上にある。
首尾よく『ミズカラ』たちを通路へ閉じ込めた僕は、はしごを伝い、神殿の上に並んだ部屋へと向かう。その中の一つが「幽閉の牢」だ。暖かさの欠片もない剥き出しの壁に、格子戸。この中に入った者は、現実世界で覚醒できず、ずっとこちら側に幽閉される。この世界は流れる時間が現実世界と異なるから、お腹もすかなければ排泄も必要ない。現実世界の肉体さえ生きていれば、何か月だって生き延びてしまうのだ。
初めは、ただ可能性をつぶしてみようと思い立っただけだった。君野梨歩が、本当にこんなところへ閉じ込められているとは思わなかった。
格子戸越しに身元を明かし――無論、僕が過去の参加者で、今回手助けに来たことだけだ――彼女の信用を得られたところで、バットでどうにか錠を破壊した。元気だがやはりどこか消耗した様子の君野梨歩は、これまでの経緯を語ってくれた。
彼女は、母親――君野先輩から、この洞窟のことを折に触れて聞いていた。ずっと、母が思春期に抱いた妄想として受け流していたが、自分が初めて『呼ばれ』たときすべてを理解したのだそうだ。
そして彼女は同時に、竹島に対して疑念を抱いた。どう考えても、竹島はこの洞窟のルールを知りすぎていたのだ。その疑いがはっきりとしたものになったのは、パニックを起こした不幸な金沢くんが部屋から飛び出してしまったときだ。ともすれば全員が外へ出てしまいかねない状況で、竹島は何とかそれを阻止しようとしていたのだそうだ。「この人は、外に何がいるか知っている」と彼女は確信した。過去に参加したことがあるのか、それともノートを持っているのか。そして、彼の目的にも薄々感づいた。なぜ自分の知識を隠し、初参加のふりをするのか――英雄になるためだ。
竹島本人に確かめるため、彼女は一つの危険を冒す。金沢と同じように、自分も外へ出たのだ。英雄になるためにこれ以上被害者を出したくない竹島は、必死で後を追う。大場スミも追いかけて外へ出てきたのは君野梨歩にとっても計算外だったが、うまく巻くことができた。竹島と二人きりになったところで、彼女は聞いたのだ。「あなたは『先輩』なの? それとも、ノートを隠し持っているの?」
竹島は逆上した。力で彼女をねじ伏せ、「幽閉の牢」に閉じ込めた。なぜ彼女を『ミズカラ』に差し出さなかったのかは分からない。そこまでするのはさすがに気が引けたのか、それともよこしまな目的があったのか。僕は君野梨歩の目力のある整った顔立ちを見てそう思った。彼女の目は母親にそっくりだった。
ともかく、そのようにして彼女は「幽閉の牢」を脱し、僕は状況を把握した。
通路に閉じ込めた『ミズカラ』が水に還った後、通路両端の格子戸を開けたのは彼女だ。効率的に動くため、僕がそう依頼したのだ。その後、彼女はエレベーターで一足早く現実世界に戻った――僕はそう信じ込んでいた。
神殿で君野梨歩の居場所について話題を持ち出したのは、最終確認だった。君野梨歩と他の参加者の証言が一致し、彼女の発言が全て正当であろうことが分かった。それに加え、心のどこかで、竹島に揺さぶりをかけたかったのかもしれない。僕の大切だった人の娘を監禁した張本人。彼の慌てた表情をこの目で見たかった。
しかしそれが裏目に出た。竹島は想像以上に軟弱で、僕の一言で彼は揺さぶられすぎたのだ。結果、あのような事態を招き、強引な方法をとるほかなくなってしまった。
「ずっと監禁するとは、やってくれましたね」
君野梨歩の声で、僕の思考は現在に引き戻される。彼女はエレベーターの中に隠れてずっと待っていたのだ。竹島に、他の参加者に、真実を突き付ける機会を。それが彼にとっての最大の罰――英雄像の完全なる崩壊――になると分かっていて。
「本当はこの洞窟のこともよく知っているはずですよね。桜庭さんたちが残したノートもあなたが見つけて隠したんでしょうし、そもそもあなたは私たちが来るまでに、何度もここに『呼ばれ』ていた」
大場スミが「うそ……」とつぶやく。聡明な彼女のことだから、すでに脳内ではすべてのピースがはまっているはずだ。三船も、口に手を当てて動けなくなっている。
「結局、ここにいる女性陣に『すごい』って言われたかったんでしょう? 『かっこいい』って思ってほしかったんでしょう? 逆に、男はどうでもいいんでしょう? だから、金沢くんのことは見殺しにした」
君野梨歩の口激はとどまるところを知らない。竹島はじりじりと後ずさり、君野はバットを掲げたままゆっくりと前進する。
池下は表情を大きくゆがめ、「最低かよ」とつぶやく。松井も言葉なく、ただ厳しい目で竹島を見つめている。
「森藤っ」
突然竹島が叫んだ。助けを乞うというよりも、どこか命令口調で。
「おいっ、森藤ぃぃぃ! 何見てんだ、早く助けろよぉぉぉ」
当の森藤は、冷めた目で竹島を見ている。当然、動こうとはしない。
「中学時代に、お前、いろいろ教えてやっただろうがっ。何もできないお前に存在意義を与えてやっただろうがっ。俺らでかわいがってやっただろうがっ。お前は俺の言うこと何でも聞くよなぁぁぁ?」
僕にも事態が呑み込めてきた。この期に及んで、よくもまあそんな身勝手な台詞を吐けたものだ。
森藤は腕組みをしたまま、「地獄に落ちろ」と吐き捨てた。
竹島にも、もう誰も助けにやってこないことが分かったのだろう。脱臼した肩をかばいながら、身をひるがえして逃げようとする。
すべてはあまりにもあっけなく、静かに起こった。
橋の上で振り向いた竹島は、濡れた苔で足を滑らせ、滝へと落ちて行った。
滝の中から、数百の『ミズカラ』が現れ、彼の身体を求めて手を伸ばした。争うように、絡み合うように。
竹島の身体は『ミズカラ』たちに飲み込まれ、果てしない急流の中へ消えていった。
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