第6話
君野梨歩について得られた情報は、結局大場スミから聞いていたものと大差なかった。彼女は『呼ばれ』て三回目に、最初の部屋をふらりと出て行ってしまったそうだ。その後を、竹島と大場が追い、三船が森藤をはじめとする残留組の面倒を見た。
それまでにも周辺の簡単な偵察はしていたが、君野は洞窟のさらに奥へと――それこそ、第一関門を越えたあたりまで――進んでいってしまった。結局、竹島と大場は追いきれず時間切れとなり、現実世界へ引き戻された。
「不思議な人でした。なんとなくみんなの会話には参加しているんだけれど、頭の中では全然別のことを考えているような」
三船の言葉に、竹島もうなずいた。
「確かに、何を考えているか分からないようなところがあったよ。でも突然最初の部屋から出て行ったのには驚いた。そんなことをするような人には見えなかったからね」
僕は顎に手を当てて、情報をまとめた。
「理由は分からないけれど、君野さんは間違いなく自分の意志で部屋を出て行ったんだね。とすると、彼女はやつらに捕まったわけではないのかもしれない」
「まだ生きているってことですか?」
大場スミが眉根を寄せる。
竹島がばかばかしいとでも言うように笑って手を振った。
「どうやって逃げ延びたというんですか? 僕と大場さんで追いかけたけれど、途中で大場さんが引き離され、追い続けた僕も振り切られた。あんな勢いで進んでいたら、『ミズカラ』の思うつぼですよ。対処方法も知らない彼女が『ミズカラ』を退けたとも思えない」
「対処方法を知っていたら?」
僕は聞き返す。竹島は鼻で笑った。
「なぜ彼女が対処方法を知っているんです?」
「彼女は、僕がここで世話になった先輩の娘だ」
竹島が薄ら笑いを引っ込める。大場スミがかすれた声を出した。
「じゃあ、もしかしたら彼女は――」
「昔、母親からここの話を聞いていたとしてもおかしくない」
「私も聞いてもいいですか? もしその君野さんがまだ生きているとしたら、どこにいるって言うんですか」
横から池下が口をはさむ。もっともな疑問だ。
「――幽閉の牢」
「ゆう――なんです?」
僕は改めてはっきりと「幽閉の牢」と繰り返す。
「この洞窟に、そう呼ばれる部屋があります。その部屋に入った者は、現実世界に戻ることなく、ずっとこの洞窟にとどまることになる」
ぴちょん、と水音がした。
通路に閉じ込められた『ミズカラ』たちが、形をなくし、あるいは水たまりに沈み込むように消えていく。
あと二十分、と僕は思った。それまでに、片を付けたい。
しかし、ここで竹島が思わぬ行動に出た。
彼は憎々し気に表情をゆがめ、「何を言うかと思ったら、そんなファンタジーなことを言い出しやがって」と吐き捨てたのだ。好青年像が台無しだ。
「正直なところ、僕はあんたのことを信用していない。大場はなぜか気に入っているようだけどね。こんな状況下で、今日会った人間のことを信じろといったって無理があるだろう? 君野さんのことなんかよりも、僕にはあんたが信用できるかどうかが気になる」
僕の想定では、ここで君野梨歩について話を深められるだけ深めるつもりだった。こんなふうに断ち切られることまでは想像できていなかったのだ。
「一つ聞かせてほしい。ここにいないやつの話よりも、いるやつの話をしようじゃないか。そう、あんたの」
竹島の語調に、ぴりついた空気が流れる。三船も大場も口に手を当てて固まっているし、松井や池下はあんぐりと口を開けている。森藤は小さく肩を震わせている――彼女が一番心配だ。
何をやらかした? どこで失敗した? 頭の中で自問自答するが答えが出るわけもない。ただ、竹島が今からやろうとしていることは、考えうる限り最大の悪手であることが想像できた。
「あんたはゴールから逆順をたどって、最初の部屋まで来たんだろう? だとすると、解せないところがある。あの通路だ」
竹島は、先ほどまで『ミズカラ』たちを閉じ込めていた通路を指さす。やつらが水に還ったせいで、今はもうもぬけの殻だ。
「やつらを引き付けておいてから、通路を走り抜ける。そうして出口の戸を閉める。閂をかける。やつらが引き返してくる前に、通路の入口まで先回りし、そちらの戸も閉める」
やめろ、やめるんだ、と叫びたい。竹島、それは今じゃないんだ。
「あんた、ゴールから逆順をたどるとき、どうやってここをやり過ごしたんだ?」
全員が静まり返った。ぴちょん、ぴちょん、と『ミズカラ』たちの残滓たちが耳障りな音を立てる。
この場にいる全員の目が、竹島と僕の間を行き来している。
僕が何も言わないのを見て、竹島は勝ち誇ったような笑みを見せた。
「ゴールから最初の部屋を目指すとき、ここを同じ方法で潜り抜けたのなら、あの通路は今のように施錠されていなければならない。だけど、そうではなかった。格子戸は開いていた。だからあんたはダッシュして、やつらを閉じ込めることができた」
松井が「うそだろ、ちょっと待ってくれよ」と誰ともなしにつぶやいている。池下が困惑した様子で僕と竹島を交互に見る。森藤が神経質に身体を揺さぶり始める。
ここで仲間を疑心暗鬼にさせてどうする? もしここで指示系統が分断されてしまえば、全員そろって生き残ることが絶望的になる。エレベーターまでたどり着いた暁には、いくらでも受けて立とう。だが、今ではない。
しかし、竹島の弁論は、確実に僕を追い詰めていた。三船をはじめ、全員が少しずつ僕と距離を取り始めている。ここで何を言っても無駄だろう。言い訳がましくなるだけだ。言わせたいだけ言わせて、後は努めて冷静に対処する以外に方法はない。
竹島がとどめを刺した。
「あんた、もしかして僕らのところへ来る途中、『ミズカラ』に成り代わられたんじゃないのか?」
ここのルールをよく知っているものであれば、竹島の打ち出した理屈に惑わされることはない。なぜなら、『ミズカラ』が人間の身体を乗っ取るのは、現実世界に戻ってからの話だからだ。仮に僕がやつらに捕まっていたら、僕はそもそも最初の部屋にたどり着けなかっただろう。
弁明すること自体は簡単だ。往路で僕がここを攻略した後、『ミズカラ』たちが水に還るのを待って開けておいたんだ、と。後からもう一度同じ手が使えるように。
だが、この状況でそれを僕が声高に訴えては逆効果だ。むしろその必死さが、さらに疑念をかき立ててしまう。
しかし、何もしないのはもっとまずい。こういった場合、沈黙は肯定とみなされる。そうなれば、信頼の回復はもはや望めないだろう。
残された手は、僕がなんとかして全員の協力を仰ぎ、彼らをゴールまで導くこと以外にない。大場や松井、池下たちなら、おそらく第三の関門で『ミズカラ』を退けるうち、冷静さを取り戻してくれるだろう。
一方で、森藤や三船はどうだ? 精神的に不安定な森藤が、果たしてどこまで合理的な判断が可能か、予想が難しい。三船にしても、おそらく竹島に対して信頼以上の感情を抱いているはずだ。その彼女が竹島の仮説を無視して僕に与するとでも思うか?
「これだけははっきりと伝えておきたいけれど、君たちのところに向かう間、僕は『ミズカラ』に成り代わられていないよ」
努めて落ち着いた声を出す。
束の間逡巡したが、すでに腹は決まっていた。僕はこれ以上弁明しない――逆効果だから。沈黙もしない――無意味だから。
ただ肯定も否定もせず、ここにいる全員に従ってもらう。もちろん、僕の指示にだ。
素早く竹島に駆け寄り、首根っこを摑まえる。予期していなかったのか――反撃くらいは予想しておいてほしかったが――彼は「おぉっ」と間抜けな声を出すだけで、抵抗できなかったようだ。そのまま彼の右腕を後方にねじり上げる。ガコッという嫌な音がしたが、おそらく肩の脱臼程度で収まっているだろう。竹島がか弱い悲鳴を上げるが容赦しない。ポケットから出した僕の右手には、万能ナイフが握られている。切っ先を竹島の眼球すれすれで止めた。
「みんな大人しく、僕の言うことを聞いてくれ」
肯定しても否定しても疑われるのならば、強制的に指示を聞かせるしかない。もしかしたら他にもっといい方法があるのかもしれないが、少なくとも僕には思いつかなかった。
「竹島君の眼球がえぐられるのを見たくはないだろう?」
おそらく、ここにいる何人かは、まだ数回しか会ったことのない竹島がどうなろうが気にしないだろう。しかし、人体が損壊させられる場面を目の当たりにするのはまた別であるはずだ。僕だってそうだが、眠るたびにその情景が夢に出る羽目になる。
結論から言えば、この作戦はうまくいった。竹島以外の五人は、素直に僕の指示に従った。竹島を拘束しているため僕の動きが制限されるのが一番の難点だが、そこは大場や松井の機動力に賭けるしかない。
「先に進もう。ここからは小グループに分かれなくても行けるはずだ。そうだな、松井と大場を先頭に、全員並んでくれ」
まるで小学生のように、全員が大人しく列を作る。
「そのまま、大きな岩に行き当たるまで進むんだ。岩の向こうには滝に架かる橋があって、そこを越えるともうゴールだ。ただし、その橋の手前には『ミズカラ』がうようよしている。身を隠しながら松井と大場でやつらを偵察してほしい」
五人とも、そのとおりに進んだ。時折竹島がうめき声を上げたが、それを『ミズカラ』に聞きつけられてはたまらない。ナイフを近づける、脱臼した肩を揺さぶるなど、思いつく限りの方法で黙らせた。
「い、いました」
岩場から先を覗いていた松井がささやいた。緊張のせいか、声が上ずっている。緊張しているのは『ミズカラ』のせいではなく、僕のこのナイフのせいだろう。
「何匹?」
「三、だと思います」
たったの三匹であれば、すぐに片付きそうだ。しかし、まずはそいつらの行動パターンを把握しなければならない。
「三匹の動きを教えてほしい。おそらく、橋の手前から岩の付近までを行ったり来たりしているはずだ。どの位置で、どんな動きをしているのかを確認するんだ」
松井は第一関門の時点で、ある程度のコツをつかんでいたらしい。すぐにやつらの傾向を見抜いた。
「三匹とも、歩く速さは一定みたいです。だから、追い付いたり追い越されたりしない。先頭のやつと、三匹目のやつが、方向転換のたびに頭を回しています」
「真ん中のやつは、違う動きをしているのか」
「なんか、ストレッチみたいに、腕をぐるぐる回しているんです。それ以外の動きは同じなんですけど」
三匹いて、同じ速度で往復している。そのうち二匹が首を回し、一匹が腕を回す。
大丈夫だ。このパターンは過去に何度か経験がある。
「おそらく、先頭のやつと最後尾のやつのどちらかが、光に対する感受性が強いはずだ。最初に渡しておいたハンディサイズのライトがあるだろう? まずはそれを点灯させて投げるんだ。うまくすれば、一匹は谷底へ真っ逆さまだ」
大場がポケットからライトを取り出し、うなずく。この子はすでに冷静さを取り戻し、僕のことを信用してくれているようだ。
「一匹をそうやって追い払ったところで、真ん中のやつはバットで叩くしかない。腕を振っているやつは、油断するとバットごと弾かれて谷へ引きずり込まれる。逆に、物をつかんだり引っ張ったりする動きはしないはずだ。バットを前方に構えて、ひたすらそいつの胸の辺りを突け。そうやって橋まで追い込んで、谷へ落とすんだ」
松井が僕の言葉どおりにバットを構える。彼ももう大丈夫だろう。
「残る一匹は、最初の二匹にどれだけ手間取るか分からない以上、正直運試しになるかもしれない。コツを言えば、方向転換するタイミングを狙え。首をぐるぐる回している間にバットで叩くんだ」
池下がバットを握りしめる。彼女も、いざとなればやれるだろう。
懸念していた森藤も問題なさそうだ――これは意外だった。むしろ、三船の方が彼女の後ろをついて歩いている有様だ。もしかしたら、森藤は竹島に対して不信感があったのかもしれない。僕が竹島を人質にして以降、森藤は自ら松井らの後を進んでいた。
「よし、三匹全部が背中を向けたら合図して、全員でかかれ」
僕の指示に、五人がうなずく。
僕は、相変わらずすぐそばのナイフに顔を引きつらせている竹島にそっとささやいた。
「こういう『ミズカラ』の対処方法は知っていた? 今みんなに伝えた指示は、すべてノートにも書かれている。君が隠したあのノートにね」
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