第3話

 大場スミから電話があったのは、翌日の夕方だった。

 正直に言うと、僕はもうこの件から手を引くつもりだった。過去のトラウマで、話を聞くだけで過呼吸状態になることを洗いざらい伝えよう。そうして、自分が役に立ちそうにないことを分かってもらおう。

 そんな打算を胸に、電話をとる。

「桜庭さんですか? すみません、連絡が遅くなってしまって」

 なんとも律儀な子だ。僕が逃亡を企てている間に、彼女は連絡が数時間遅れてしまったことを気に病んでいる。

「早速ですが、昨日、可能な範囲で情報を集めてみました」

 大場スミはやはり仕事ができるタイプの女性らしい。昨日僕が指示したことについて、過不足なく情報を集めてくれていた。

 彼女によると、今『呼ばれ』ているメンバーはこうだ。

 竹島一郎…高校三年生。リーダー格の少年。情報が得られない中、全員を統率しようとする人格者。居住地はA区。

 三船美咲…高校三年生。竹島とは中学の同級で、顔見知りらしい。おっとりしているが意志は強そうだ。居住地はA区。

 森藤たか子…高校一年生。少しずつ慣れてきてはいるが、『呼ばれ』ている状況を受け止められず、少し幼児退行気味。居住地区はB市。

 大場スミ…高校一年生。いわずもがな。居住地区はC市。

 松井久則…中学三年生。生意気で、竹島や三船の手を焼かせているが、その実は寂しがりで怖がり。居住地区はD区。

 池下さゆり…中学二年生。大人しいが相当賢く、竹島らが今後を話し合っていると、そこに正論をはさむ。居住地区はE市。

 以上、六名。

 話を聞きながら、手帳に走り書きでメモする。彼らがどんな状態で一夜を明かしているのかなんとなくイメージすることはできた。おそらく、竹島や三船、大場らが現状や今後について意見を交わし、その間に池下が口をはさむ。さらに、森藤が時折パニック状態になって三船がそのたびになだめ、松井が「もうやってらんねえよ」と外へ出たがるのを竹島が止める。そんなところだろう。

 それよりも、僕には一つ気になる点があった。

「今のメンバー、ということは、以前はもっと多かった?」

 尋ねると、大場スミは少しの間言いよどんだ。酷なようだが、あくまで情報収集のためだ。僕は深追いすることにした。たとえ、それが彼女の暗い記憶を探る行為だとしても。

「すでに、捕まったメンバーがいたんだね?」

「……はい、実は他に二人いました。一人は金沢くんと言って、高校二年生だったと思います。初回から一人で探検に出て、帰ってきませんでした」

「金沢何くん?」

「光太くんです。居住地はうろ覚えですが、たしかF地区だったような」

手元のパソコンを操作し、彼の名前と地区を検索する。見事にヒットし、いくつかの小見出しが表示された。

『F地区で無差別殺傷事件』

 さらに調べを進めていくと、ネット上の掲示板に『F地区の通り魔WWW』のタイトルで、金沢光太という名前と顔写真が上がっていた。個人情報もへったくれもない。

 間違いない。彼はやつらに捕まり、このような事件を起こすに至ったのだ。

「見つけた。彼はやはり、やつらに捕まって事件を起こしたようだね」

「事件?」

「そこはまだ知らないんだね。やつらに捕まると、身体を乗っ取られて、必ず近日中に凶悪な事件を引き起こすのさ」

 僕が初めて『呼ばれ』たとき、ずっと爪をかじっている男性がいた。名前は確か、望月だったと思う。彼は情報共有のさなか、錯乱状態となって部屋を飛び出して行ってしまった。その後、僕らが眠りから覚めるまで彼は戻らず、それ以降いくら『呼ばれ』ても二度と姿を見せなかった。

 数週間後、僕は望月を新聞記事の中に発見した。そこには、繁華街で通り魔事件を複数引き起こした容疑者として逮捕、との見出しが躍っていた。

「それで、もう一人は?」

 僕が促すと、大場スミが電話の向こうで慌ただしくメモをめくる音が聞こえてきた。

「もう一人は、君野さんです。君野梨歩。最年少の中学一年生で、『呼ばれる』ようになって二回目か三回目かに、部屋を出て行ってしまったんです。何というか、金沢くんみたいにパニックを起こしたわけではなさそうでした。何かに引き寄せられるような感じで」

 君野。その名を聞いて、僕の全身が固まった。

 まさか、偶然だ。自分の思い付きを頭を振って追い払う。

 パソコンで調べてみても、君野梨歩については情報が全く出てこなかった。どうやら彼女は、やつらに捕まった後にも目立った凶悪事件を起こしていないようだ。そうした場合、いくつかの可能性が考えられる。一つには、身体を乗っ取られずに自我を保つことができた――ごくまれにそのような事例がある。あるいは、向こうの世界に幽閉されている。

 ――やあ、君は初めてかな。

 先輩の声がよみがえる。君野先輩の声だ。

 ――怖がらなくてもいいよ。今からちゃんと説明するから。ここにいるみんな、君の先輩だ。

 君野先輩は、条件をクリアして生き残った。僕は正直なところ、ずっと彼女にあこがれていた。最後まで思いを告げることはなかったが。

 クリア後にも君野先輩とは連絡を取り合っていた。彼女はやがて知り合った男性と恋仲になり、結婚し、新しい命を授かった。

 娘の名前は、梨歩だったはずだ。

 僕の背中を、冷たい汗が走り抜けた。


「やあ、君は初めてかな」

 ここはどこだろう。この人たちは誰だろう。

 疑問はいくらでも湧いてくるのだが、これっぽっちも言葉にはできなかった。

 部屋というよりも洞窟に近い場所に、気づくと僕は立っていた。先ほどまでは自分の部屋で、音楽を聴きながらまどろんでいたはずだ。

 部屋には大きなテーブルがあり、そのうえで燭台が光を放っている。

 テーブルを囲うようにして、複数人の男女が立っていた。全員、僕より年上のようだ。中には怖そうな人もいる。

 僕の背後には、重厚な鉄の扉があった。

「怖がらなくてもいいよ。今からちゃんと説明するから。ここにいるみんな、君の先輩だ」

 そう言って、きれいな女性が歩み出てきた。どこかで見た高校の制服を着ている。

「私は君野。君の名前を教えてくれるかな?」

 君野さんが差し出した手を握り返すかどうか逡巡しながら、僕はぼそりと「桜庭です。中学一年生です」と絞り出した。

 君野さんはにんまりと笑い、僕の手を取ってぶんぶんと振った。

「今日は二人のニューフェイスが入った。桜庭君と、望月君だ。みんな、面倒を見てやってよ」

 隣を見ると、爪をかじっているおどおどした男の子がいる。おそらくは僕と同じ中学生だ。彼がきっと望月だろう。

「ここにいる誰もが、この世界がどういったものなのか知らない。分かっているのは、ここでクリアすべきミッションと、守るべきルール、それだけだ」

 燭台の向こうで話す君野さんは、なかなか様になっている。テレビのドッキリ番組、誘拐、あらゆる可能性が頭をよぎったが、ひとまず彼女の話に集中することにした。

「この部屋を出ると、洞窟が続いている。ほぼ一本道の洞窟だ。RPGゲームを思い浮かべてもらえればいい。そこをゴールまで行く、それが私たちのクリアすべきミッションというわけだ」

 テーブルの周りに立つ人たちもうんうんとうなずいている。

 まだ具体的にイメージできたわけではないが、すべきことは理解した。でも、同時に僕は大きな不安を感じていた。

 そんなにシンプルなミッションなのに、なぜこれだけたくさんの人が今ここに残っているのか?

 おそらく、先ほど君野さんが言った「RPG」という言葉にヒントがあるのだろう。ミッションだけのRPGなど存在しない。トラップ、敵キャラ、謎解き、ミッションのクリアには必ず妨害要素が伴う。

「守るべきルールは一つだけ。この部屋の外、洞窟にいるやつらに捕まらないこと」

 やっぱりそうだ。トラップ、敵キャラ、謎解きのうち、真ん中の「敵キャラ」に頭の中で丸を付ける。

 やつら、とはどんなものなのだろう。グロテスクなクリーチャーなのだろうか、それとも人間なのか。あるいは、アンドロイドという線もあるかもしれない。

 君野さんはおそらくそれを説明しようとして口を開きかけたのだが、それを遮って甲高い声が室内に響いた。

「さっきから何なんだ! RPGとか訳の分からないこと言いやがって!」

 僕の隣で、望月君が唾を散らしながら叫んだのだ。呼吸が荒く、眼球が踊り狂っている。明らかにパニック状態だ。

「望月君、落ち着いて、ゆっくり息をするんだ」

 君野さんが言うが、おそらく彼には届いていない。

「どこかにカメラがあるんだろう? 僕が明日テストだって知ってて、こんな悪ふざけしやがって! テストの点数が悪かったら、ママにぶたれるんだから! ぶたれるんだからな!」

その場にいた者のうち、いかつい体つきの男が望月君へ近づいた。落ち着くよう促すつもりだったのだろうが、それが裏目に出た。

 望月君は背後の扉を開け、走り出してしまった。

「まずい!」

 君野さんをはじめ、数名のベテランたちが走り出した。僕も思わず後を追う。それは、君野さんの言う「洞窟」がどんなものかを見てみたい、という怖いもの見たさにも似た感情によるものだった。

 苔の生えた壁、植物の根や石ころで歩きづらい地面、想像以上にそこは「洞窟」だった。ところどころに懐中電灯が置かれ――後で知ったことだが、そういったものを整備してくれた代があったらしい――、わずかではあるが、真っ暗な洞窟内を照らしてくれている。

 先輩たちの動きは早かったが、ある曲がり角で僕も追いつくことができた。先輩たちは息をひそめ、岩陰に身を隠していた。

「だめだ、もう助からない」

 君野先輩がささやいた。

 岩の向こうでは、望月君が悲鳴を上げていた。彼は何かに襟首をつかまれ、どこかに引きずられていくところだった。

 彼の襟首をつかんでいるのは、真っ黒な「影」としか言いようのない異形の者だった。シルエットは人間とほぼ同じだが、頭が異様に大きい。そいつが、真っ黒な顔を揺らして、真っ黒な腕で少年を捕まえている。

 望月君の足元には、いくつかの水たまりがあった。そこから、黒い影がにゅるりと生えた。またたく間に、引きずられる望月君の後を三匹の「影」が歩き始めた。

 黒い「影」に囲まれて、望月君はどこかへ消えた。つんざくような悲鳴を残して。

 僕にも逃走の心配があると思われたのだろうか、そこから僕は屈強な二人の先輩に囲われるようにして、最初の部屋に戻った。もっとも、僕には逃走の意志などなかった。望月君の顛末を見れば、それがいかに恐ろしい選択か分かる。

「君が見たやつらが、『ミズカラ』だ」

 君野先輩が頭を抱えるようにして言う。望月君を助けられなかったことに責任を感じているようだ。

「水からやって来るから、『ミズカラ』。私たちが名付けたわけじゃない。ずっと前からそう呼ばれていた」

 『ミズカラ』。確かに、やつらは水から生えるように現れた。やつらに捕まったらどうなるのか。少なくとも友好的な存在には見えなかったし、先輩たちもやつらのことを心底恐れているように見えた。

「『ミズカラ』がどんな目的で、何を考えて行動しているのか――そもそも何かを考えるような存在なのかどうかも分からない。ただやつらは、ここに『呼ばれ』た私たちのような人間を捕まえる。そして捕まると、恐ろしいことになる」

「恐ろしいことって、何ですか?」

 思わず尋ねる。君野先輩は顔をしかめた。

「詳しくは分からないが、洗脳される、あるいは身体を乗っ取られる。明日以降、ニュースに気を配るといい。きっと、中学生が起こした凶行の記事が出る。それはおそらく、望月君の引き起こしたものだ」

 『ミズカラ』に捕まったら、我を失い、凶悪事件を起こす。

 にわかには信じがたい――実際、僕も数日後に望月君の起こした事件の報道を見るまでは半信半疑だった。

 室内の時計が、かすかなアラームを鳴らした。時計の針はぐにゃぐにゃと曲がり、数字の代わりに見たことのない記号が不規則に並んでいる。

 君野先輩によると、この時計はもとからあったものだという。ここでは、僕たちの普段いる世界と流れる時間が異なるのだ。部屋に現れるタイミング、部屋から消えるタイミングは全員同じだが、現実世界での就寝時間と起床時間はそれぞれ異なるらしい。

 君野先輩は最後に微笑んだ。

「もうすぐ全員、目覚めるころだろう。次に集まるのは明日か、それとも来週か。桜庭君も、これからよろしく頼むよ」

 その後、意識がぼんやりとかすんでいった。ごつごつとした部屋の壁、燭台の明かりがぼやけていく。

 気づくと僕は布団の中にいた。

 僕はその後、繰り返し洞窟へ『呼ばれ』た。先輩たちは、君野さんをはじめ一人、二人とクアしていき、洞窟へ来なくなった。それと並行して、一人、二人、やつらに捕まり、凶行に走った。

 僕も次第に中堅となり、そして先輩と呼ばれるようになった。新人を迎えるときは、彼らを扉とは反対側に立たせて説明をする――僕が新たに制定したルールだ。

 君野先輩とはずっと――先輩がクリアした後も――連絡を取り合っていた。洞窟内に物を持ち込むことはできなかったが、電話番号を記憶することはできたからだ。

 彼女が妊娠を機に結婚したとき、彼女は二十歳、僕は十五歳だった。共闘するうちに少なからず彼女のことを意識していた僕は、ほろ苦い思いを味わったりもした。

 その君野先輩の娘が、昔の彼女と同じように、洞窟に『呼ばれ』た。そして、行方をくらましてしまったらしい。

 ――梨歩をよろしくね。

 君野先輩の声がよみがえる。

 娘を残してこの世を去った彼女の声が。

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