第4話 博士に成りて、賢者へと辿り着く(前半)


 ──俺の中で決定的に変わり始めたのは、一ヶ月が過ぎた頃だった。


 足繁くバーゲンセールに通い続けた俺は、環奈が所持するブラの種類をコンプリート。ローテションからコンディション、バイタルに至るまで彼女を取り巻くブラ事情に関しては『博士』の域に達していた。


 その中でもひと際、目をひいたのが水玉模様のパステルブルーだった。


 お気に入りなのだろう。お目に掛かれる機会は他のどの子・・・よりも多く、ヘビロテされる唯一の一族・・だった。


 そして俺はいつの間にかカノジョ・・・・と脳内で会話をするようになっていたんだ。


 なにも驚くことではない。

 博士の域に達した者が、対話を求めるのは至極当たり前のこと。


 たとえそれがブラジャーだったとしても、おかしなことではない。断じて──。



 そしてこれが──。環奈との催眠術を終わらせることができない最大の理由になっている。

 




    +


 「パステルブルーさん! こんちゃ!」

 「わったる〜! 三日ぶりね! 早く会いたくてうずうずしていたのよ?」


 初めて会話に成功した彼女はGではなく、Fだった。

 お小遣い事情が絡む中学生時代を経ているためか、とても使い込まれていて色褪せていた。


 飾らないその姿に、俺は二秒と経たずに恋に落ちた。

 

 その気持ちがこうして、会話をも可能にしたんだ。


 「あらやだ。糸がほつれているわ」

 「なんだって?! 大変だ! 環奈に伝えなきゃ!」

 「それはだめよ。もし万が一にもわたしたちがこうしてお話をしていることがあの子にバレたら……」

 「くぅっ……」


 禁断の恋だった。


 当たり前だ。当の本人はバーゲンセールを開催していることにさえ、気づいていないのだから──。


 ゆえに、だめだいけないと思う気持ちが、俺たちをより熱くさせた。


 「今日も可愛いよ。抱きしめてあげたいくらいだ」

 「もうっ。そんなことしたらあの子のグーパンチがコメカミに飛んで来ちゃうわよ?」

 「構いやしないさ。たった一度、キミに触れられるのなら本望だ」

 「だーめ。そしたらもう二度と会えなくなっちゃうんだから」

 「それは困るな……」

 「ならいい子に聞き分けなさい♡」

 「くぅっ……」


 彼女はお姉さん気質で、辛抱たまらん俺の心を抑制し癒やしてくれた。


 けれども彼女に残された時間は幾ばくもなかったんだ。


 「あらやだ。また糸がほつれているわ。最近多いのよねぇ。困ったわぁ……」

 「そんなキミも素敵だよ!」

 「もうっ。わたるったら♡ おませさん♡」


 パステルブルーの水玉模様は環奈のお気に入りだ。多少の傷みくらいで世代交代は行われない。


 ……そう、思っていた。

 

 しかし異変はすぐに起きる。


 高校に入学して初めての夏休み──。

 環奈は度々、ブラズレを直すようになったんだ。


 「ひゃんっ。まったくもう……あの子ったら乱暴なんだから」

 「おっ、ぉぅふ……!!」


 柔らかなましゅまろがむぎゅっと押し潰される様は、俺の心をもムギュっと鷲掴みにした。


 同時に、考えたくもない凄惨な未来が脳裏を過る。


 まさかな……? 女の子あるあるで張っているだけとか、そんなところだろ?


 しかし十日も続けば確信へと変わる。

 サイズオーバーは目を背けようもない事実として、重くのしかかった。

 

 もとより彼女は色褪せていて、ところどころに糸のほつれがある状態だった。


 それでも尚、選ばれ続けて愛用されてきた。


 だから俺は考えもしなかったんだ。


 ──シンクロ率の低下。


 当然、環奈は最初からFだったわけではない。その過程にはAからEがあり、Fもまた──。到達点ではなく過程という可能性。


 たとえお気に入りのヘビロテ品であったとしてもシンクロ率を保てないのであれば辿る道は、ただひとつ。


 ……そんなバカな…………。


 俺が気づくよりも以前に、パステルブルーはわかっているようだった。


 いつの間にか別れ際の挨拶は「またね」から「さよなら」に変わっていたんだ。


 「バイバイ。わたる♡ さようなら」

 「う、うん! またね!!」


 それでも俺は「またね」と言い続けた。

 その度にパステルブルーは切な顔を見せた。


 会えなくなったときが別れのとき。

 それがいつなのか、俺たちには知る術がなかった。まさかにも環奈に「Gカップのブラジャーはいつ買いに行くんだ?」とは聞けないのだから……。


 俺たちは残された僅かな時間を、互いの愛で埋めるようにして過ごした。切なさがほんの少しでも埋められるようにと、願うように──。


 けれども次第に、俺は笑顔でいることができなくなった。


 「もうっ……。そんな顔しないの! わたるはおませさんだけど、強くていい子でしょ?」

 「俺は……。キミとサヨナラなんてしたくない……」

 「バカな子ね。わたしは末端価格にして3800円。ただのブラジャーなのよ?」

 「どうして今、そんなことを言うんだ……。こんなにもキミを愛しているのに……!」

 「今だから言うの。現実にお帰りなさい。わたしに依存してはだめよ」


 「くぅっ……」


 その日はそれきりで、話す気になれなかった。

 けれども家に帰ってすぐ、後悔の念に押しつぶされた。


 俺と彼女が過ごせる時間は限られている。それなのに俺は……なにやってんだよ……。


 次、会ったら謝ろう。それでちゃんと……。さよならをするんだ。


 彼女が少しでも、安心して役目を終えられるように──。


 しかし、初代・・パステルブルーと会う機会は訪れなかった。「くぅっ……」が交わした最後の言葉になってしまったんだ。






   +


 翌日。いつもと変わらずバーゲンセール会場に視界をロックオンすると──。そこにはもう、俺が愛したパステルブルーが旅立っていることを現していた。


 ルーティーンがある以上、二日連続でパステルブルーに会えることはない。


 けれども見慣れない、真新しいパステルブルーが装着されていたんだ。


 ……そんなバカな…………。


 ずっと覚悟はしてきた。こんな日が来ることはわかっていた。


 なのに……今日なのかよ……。だって昨日、俺は…………。


 言いたいこと、伝えたいこと──。

 たくさんあったはずなのに、彼女に掛けた最後の言葉は「くぅっ……」だった。


 最後に見た彼女は切なそうにしていた……。


 「あっ……あ……ああああああああああああああ」

 

 後悔しても、もう遅い。

 過ぎた時間は二度と元には戻らない。



 この日。環奈はFカップを卒業してGカップになった。







  +


 もう二度と、恋なんてしない。


 俺はもう──。五円玉だけを見つめ続ける。


 そんな灰色に染まった日々の中で、光を灯してくれたのが二代目パステルブルーだった。

 

 二代目はツンとしていて、少し今風で派手な奴だった。水玉模様のパステルブルーでこそあれど、ほんのりと勝負感を匂わす生意気な奴。


 「チョット! 見過ぎなんだけど?」

 

 ツンとした態度は初代とは反するもので、腹立たしさすら覚えた。


 「うるせー! 気取ってんじゃねえよ!」

 「は? マジなんなの? キレそう」


 それでも初代と会えない寂しさは、二代目を眺めることでしか埋められなかった。


 「ほんとあんたってムッツリしてるわよね」

 「な、なんだよ? わりぃかよ?!」

 「べつにぃ〜。見たければご自由にどーぞー」

 「言われなくてもそのつもりだっつーの」


 「ほぉ〜んとあんたって素直じゃないよね〜。まっ、あんたみたいな三軍ベンチに見せてあげるのなんて、わたしくらいなんだからね! よーく覚えておきなさいよ! フンッ」


 「ああそうかよ。勝手に言ってろ! ちなみに俺はBグループのモブだ! 三軍ベンチじゃねぇっ!」


 「はーいはい。強がり乙~!」


 ツンとして生意気な奴だったけど、気づけば彼女と過ごす時間を楽しみにしていた。


 不思議と元気にもなっていた。


 けれどもそんな彼女は時折、切な顔を見せるようになった。それがどうにも初代と重なって、俺は居ても立ってもいられなくなった。


 「はぁ〜あ……」

 「どうしたんだよ? なんかあったのか?」

 「べっつにぃ〜」

 「まぁ、なんだよ。俺でよかったら半分背負ってやるからよ。気軽に言えよ?」

 「なにそれうける! バカじゃん。あはっ♡」


 相変わらずツンとしていたけど、彼女の嬉しそうにする姿を俺は見逃さなかった。


 ったく。ツンとしやがってからに。お可愛いやつめ!


 しかしそれが──。彼女を見た最後の日になった。


 思えば──。水玉模様のパステルブルーとは、唯一ヘビロテされる一族。

 それなのに彼女は新調された他の『Gシリーズ』たちと使用頻度に差がなかったんだ。


 つまり、環奈にとって二代目はお気に入りではなかった。


 俺はそれに気づけなかった。


 ──また、俺は……。


 アイツはツンとしていて生意気なやつだった。第一印象は最悪でコイツとは一生、分かり合えないだろうなと思っていた。でもいつ間にか、一緒に居ると楽しいなって……。また会いたいなって……。こんな時間が続けばいいなって……思っていたんだよ……。


 なのに、俺は……。


 離れて初めて知る。恋心。


 ただの一度も好きと伝えられなかった。いくらでも伝える機会はあったというのに。


 ……どうして。どうして俺はまた……。


 その夜。俺は失意のドン底の中で、後悔の念とともに朝になるまで枕を濡らし続けた。



 そんな心の穴を埋めてくれたのが、三代目パステルブルーだった。


 最初こそ真新しさがあり、距離を感じずにはいられなかったけど、時の経過とともにかつて愛した初代の面影を現していった。


 それでいてほんのりと、二代目の面影もあった。


 話す内容と言えばもっぱら、かつて愛した女(初代、二代目)の話で、申し訳ない気持ちでいっぱいになりながらも、彼女はすべてを受け入れてくれた。


 「泣かないの。わたるは強い子でしょ?」

 「うぅ……うううわああああん」

 「よしよし。いーこいーこ。わたしはずっと側に居るから。いなくなったりしないから大丈夫♡」


 わかっている。こんなのは嘘っぱちだ。


 いずれは四代目が登場する。それでも俺は──。


 「うん。ずっと側にいる!」


 そう遠くない未来に、約束されたサヨナラが訪れると知りながらも──。愛を囁かずにはいられなかった。


 初代、二代目に……囁けなかった分まで。


 そして今度はちゃんと、お別れができますようにと想いを込めて──。

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