第5話 大賢者vs大催眠術師(前編)


「……はぁ……はぁ……。脱がないと……だめ……このままじゃ、暑くて共倒れ……はぁ……はぁ……」


 本当にその通りだよ。このまま意地を貫いたら熱中症になっちまうよ。


 でも大丈夫。二秒後には終わっているからさ。


 俺とお前の腐れ縁は、ここで終わるんだよ。


 …………………………………。


 ……………………。


 考えるな。無心になれ。恐れるな。俺ならできる!


 ────ハァッ!


 俺はズボンを下ろした。十年以上に渡り何重にも折り重なった腐れ縁が、プツプツと切れる音を感じながら──。一気に、一思いに、脱いだ──。


 瞬間、すべてがスローモーションに流れた。


 走馬灯のように、環奈と過ごした記憶が駆け巡る。腐れ縁として過ごした日々が巡る、巡る、巡る──。


 Aカップ。Bカップ。Cカップ。Dカップ。Eカップ。Fカップ。Gカップ。


 巡る、巡る──。駆け巡る。

 

 そしてその果てで、俺は奇跡を目の当たりにする。


 ……あ……れ?


 俺を侵し続けた男の子あるあるが……男の子あるあるが……あるある…………が、治っている?!


「あっ! あーーっ! 渡が脱いだ! ついに脱いだぁあ!! ──あっ。……はぁ……はぁ……落ち着くんだ。大催眠術師カンナ! まだズボンを脱いだだけ。上は着ているしパンツも履いている。……はぁ……はぁ……この程度のことで喜んでいたら大催眠術師としての名が廃る。これはまだ入り口。ここからが本番だぁあ!」


 うん。ちょっと黙ってようか、環奈……。


 気持ちはわかる。一年間は長かったもんな。自分を大催眠術師とでも思わないと、やってられないよな。


 でも今はそれどころじゃないんだよ!


 なにがいったい、どうなってやがる?


 脱いでも終わらなかった。この先に続く道は閉ざされていると思っていた。


 それなのに、今!


「熱くて……熱くて……たまらなぁい! まずはワイシャツを脱いで……はぁ……はぁ……次に靴下を脱ぐとパンイチの完成……はぁああ。そしてパンツも脱げばすっぽんぽーん! 大丈夫。催眠状態にあるあなたは、わたしの指示が心地よくて気持ちがよくて仕方がありません! さぁ……! はぁ……はぁ……あちゅい」


 ………………………………。


 …………………。


 …………。


 脳裏を過ぎったのはパステルブルーたちとの甘く切ない恋物語。


 初代、二代目、そして三代目。


 ……そうか。


 考えてもみれば当たり前のことだった。

 もし今もなお、継続して男のあるあるに侵されているのであれば、それは恋と呼べるものではなく思春期モンスターの暴走。


 恋と性欲を履き違えているだけの偽物に過ぎない。


 俺と彼女ブラジャーたちの物語に嘘は一欠片もなかった。あったのは純粋な愛だけ。──純愛。


 恋する気持ちが、俺を賢者モードへといざなった。


 ゆえに、今の俺は冷静な判断力を標準装備した賢者。 ……否! 一年間に及ぶ「このままじゃだめだ!」を乗り越えた大賢者!


 想いが溢れて、好きが溢れて、別れを経て──。結果、今を紡いだんだ!


 大賢者と成りた俺には、数多の選択肢がある。

 男の子あるあるが邪魔をして狭めていた選択肢が無数に広がっている!


 ならば手始めに──。間違った催眠術を本来あるべき姿に戻す!


「待て待て。普通に意識はバッチリはあるからな? あっちぃんだよ! まじで体内温度の掌握されちまったかと思ったら……お前な! 暖房つけてるだろ!! 熱中症でおっ死んじまうだろうが?!」


「うっ……バレt」


 エアコンのリモコンを手に取り、冷房に切り替えて設定温度を16度。そしてパワフル運転起動!


 一年だ。その結果が猛暑日に暖房をつけて脱がせるってんじゃ、結末としてはあまりにも悲し過ぎる。


 だってこんなのはもう、催眠術じゃねえし!


 すべてが終わったあとで、お前が後悔するのは目に見えているんだよ!


「うぅー……」


 しかし環奈はやるせないのか、冷房の風で涼みながら唸っていた。唇を噛みしめ俯く姿は、次なる一手を模索しているようにもみえた。


 だよな。とはいえこのままじゃ、終われないよな。


 だったらもたついている時間はない。


 今の俺にしかできないことを──。俺だからこそ、できることをしよう!



 きっと──。これから俺がやることは間違っている。


 一年間おっ〇ブに通い続けて、今さら望める立場にないのはわかっている。男の子あるあるに侵され続けて、後ろめたい気持ちがあるのも確かだ。


 けれども今の俺は大賢者。男の子あるあるに侵されていないクリーンな男子高校生。


 だから望まずにはいられない。


 ──やっぱり俺、お前とサヨナラなんてしたくねぇよ。


 俺たちが腐れ縁として過ごした時間は間違いだらけだったかもしれない。でも、楽しかったんだ。お前が近くに居るだけで、毎日がすっげえ楽しかったんだよ。


 俺はこれまで通りBグループのモブで在り続ける。お前の隣を歩いても、恥ずかしくない程度には色々とがんばる……。だからもう少しだけ、同じ時間を過ごさせてくれよ。


 いいよな、環奈?


「うぅー……」


 届かぬ心の声で聞いてみるも、環奈は冷房に涼みながら唸るだけ。


 待ってろ。すぐに笑顔でいっぱいにしてやるからな。



 脱いですべてを終わらせるつもりだった。


 でも終われなかった。


 だから俺は──。オペレーション『パンイッチ』を実行する。



 これより環奈を幸せな未来へと導く!


 そして明日も明後日も、一緒に笑い合える未来へと突き進む!


 催眠術は成功して、互いの尊厳さえも守られる最高の未来へ!



 ──絵知屋渡、発進!

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