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シャツの袖をまくり、おやじさんの
職人は道具を貸し借りしないものだが、今は仕方がない。ヘアカットクロスを麻美さんに巻きつけて、首のうしろで留める。
「……切りますね」
美容師の手つきで、髪に触れる。
「どうしよう、怖い。……どうしよう」
麻美さんは自分の髪を守るように、頭を抱え込んだ。
「……たかが髪の毛のこと。それはわかっているつもり……。わたし、スポーツも勉強も苦手だった。けど、髪だけは褒めてもらえたの。それはお世辞だったのかもしれない。だけどね、大きな支えだったの。髪さえあれば、誰かに認めてもらえるって」
その細い肩にそっと手を置くと、麻実さんは静かに頭を上げた。
「僕は麻美さんじゃないから、軽々しいことは言えないんですけど。でも、僕らは過去に囚われて生きるべきじゃないと思います……」
僕は黒いネクタイを外して、それで麻美さんの目を隠した。
「人の髪を切っていると、そこからわかることがあります。言葉にはしにくいですけど。……髪は、そのときどきの想いを記憶しながら、伸びていくんだと思います……」
顎のラインで、髪を小分けに束ねていく。
「想いは心を温めます。けれど、強過ぎる想いは何も生まない……。だから、少し我慢してください」
すっと息を吸い、髪を落としていく。鋏の音に合わせて、麻美さんは肩をびくっと震わせた。
髪を断ち終えると、毛先を整えてから、目隠しを取り去った。
鏡に映る自分を見つめながら、麻美さんは今まで髪があった辺りを、宙をかくように指先で撫でた。
「ありがとう……」
急に言葉を詰まらせ、顔を歪めて泣き始める。
見ていられなくなって、僕は床に落ちた髪を箒で掃き、専用のビニール袋へ入れた。……強過ぎる想い。それはきっと、呪いのようなものなのだ。
僕はポケットから財布を取り出し、挟んであった透明な包みを摘み上げた。そこには髪の毛が一本入っている。あのときの麻美さんのものだ。いろんな想いが去来してくるが、それをビニール袋の中へ入れ、口を閉めた。
僕も、呪いのその一部だったかもしれない。
ゴミ捨てから戻ってくると、麻美さんは鏡の中の自分と向き合っていた。もう泣いてはいなかった。
「一ヶ月後、またここに来ていいですか?」
「一ヶ月後?」
麻美さんはこちらを振り返った。
「自分の鋏を持ってきます。おやじさんの道具を借りるのは、やっぱり気が引けるから」
一ヶ月先を待ち遠しく想いながら、僕はシャンプー台の蛇口をひねった。
「髪、流しましょうか」
〈了〉
髪まぐわい ピーター・モリソン @peter_morrison
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