第34話 普段とベッドが違うと眠りが浅くなるのはよくあること

「…………んん?」


 BBQも終わり、それぞれが自分たちの部屋に戻ったその日の夜中。

 海での疲れや、BBQでの満腹感でベットに入った後はあっという間に眠りについてしまった。

 そこまでは良かったのだが、まさか目が覚めてしまうとは……。窓の外に視線を移すも月明かりが見えるだけで、朝と言うにはまだまだ夜が深すぎる時間だと推測できる。

 初めて使うベッドということもあって、疲れていた割に眠りが浅かったのかもしれない。


「今何時だ……」


 枕元に置いてあったスマホで時間を確認すると、夜中の2時。外の暗さから大体予測はできていたが、中途半端な時間に目が覚めてしまったようだ。

 明日の出発時間はお昼ごろなので、どれだけ朝寝坊しても大丈夫である。大丈夫なのだが……これはいくらなんでも早起きし過ぎだ。


「……もう一回寝るか」


 誰に聞かれるでもなく呟いて再び目を閉じる。しかし、


「……眠れない」


 何故か妙に眼が冴えてしまい、目を閉じても一向に眠気が襲ってくることはなかった。

 こういう時って、無理に寝ようとしても眠れなかった記憶しかない。特に、初めて泊まるホテルとかでよくある現象だと思う。


「……水でも飲みに行こう」


 これ以上目を瞑っていても寝付けそうにないので、俺はベッドを抜け出して1階のキッチンへ。

 誰もいないキッチンの食器棚からコップを拝借し、一杯分の水を一気に飲み干す。冷たい水が食堂を通り抜け、胃の中を巡っていく感覚。


「ふぅ……」


 BBQの影響からか、思いのほか喉が渇いていたので冷たい水がやけに美味しく感じる。五臓六腑に染み渡るとは、このような感覚の事を言うのだろう(多分)。

 というわけで少しだけ気分はスッキリするも、肝心の眠気は襲ってこない。これは今ベッドに戻っても到底眠りにつけることはないだろう。


 ふと、先ほどと同様に窓の外に目を移すと、BBQ時に咲さんと座って話をしたスペースが目に入る。

 更にその先では月明かりの元、夜風に草木が靡いており、その様子は夏の夜にしては涼し気に映った。


「……外に出てみるか」


 その姿に誘われるように俺は窓の外へ。外に出てみてわかったが、やはり夏の夜にしては風が気持ちよく、想像していたより大分涼しかった。

 この別荘が海から近い位置に建っていることも関係しているだろうな。夜風にのってほんのりと潮の香りも漂ってくる。昼間とはまた違った潮の香りは、涼しさと相まって心地よさすら感じるほど。


 そのまま適当な位置に腰を下ろすと、俺はぼんやりと空に浮かぶ満月を見上げる。こんな時間に外に出るのは多分初めてだけど、初めてにしては悪くない感覚だった。

 昼間の喧騒が嘘のように、今は草木の風で擦れる音しか聞こえない。


「たまにはこんな時間に黄昏るのもいいものだな……」

「なーにカッコつけて黄昏てるのよ。というか、こんな時間に何してるの?」


 心臓が止まるかと思った。

 バクバクと早鐘を打つ心臓を抑えつつ振り返ると、そこには首を傾げる舞の姿が。

 こんな時間にこんな所ではお互い様である。正直、驚きのあまり情けない声を上げるところだったもん。

 というか、カッコつけては余計だ。


「いや、それはこっちのセリフだよ。舞こそ、どうしてこんなところに?」

「変な時間に目が醒めちゃって。眠れないから水でも飲もうと思って下に行ったら、なぜか外に出ていく亮の姿が見えたのよ。だから、気になって追いかけてきたの」


 どうやら舞も俺と同じく変な時間に目が覚めてしまい、眠れなくなったようだ。

 まさか、こんなところで似たよな行動をとるなんて……もしかすると、俺と舞は意外と似ているところがあるのかもしれない。


「それで亮は?」

「俺も舞と同じだよ。変な時間に目が覚めたら、目が冴えて眠れなくなってな」

「亮もなんだ。なんか、初めて泊まる場所で一度目が醒めちゃうと眠れなくなるのって、すごくあるあるよね」

「分かる分かる。俺も寝ようとしたけど、全く眠れなかったし」

「私も私も。ふふっ、二人揃ってなんかおかしいわね」


 笑みを浮かべつつ、舞も自然な流れで俺の隣に腰を下ろす。どうやら、眠気がくるまで俺と話をすることに決めたらしい。

 俺からしても、一人で涼んていても暇だったのでむしろありがたかった。


 ちなみに舞の格好は寝間着姿なのか、上はキャミソール。下はそれにあわせたショートパンツ姿と、BBQ時とはまた違った魅力を醸しだしていた。

 BBQ時が機能性重視。そして今の格好は寝やすさと可愛らしさに主眼を置いたって感じ。特にキャミソール姿は刺激が強く、肩や二の腕はあられもなくむき出しとなっていた。

 本人はさほど気にしていない様子だったけど、正直水着姿と同じくらいグッときたのは内緒。

 Tシャツの時も言ったけど、不意に見えるチラリズムが大事であって……。


「それにしても、今日は楽しかったわね。あんなに遊んで食べたの、経験ないくらい」


 そんな俺の気持ちを知るよしのない舞は、今日の出来事を思い返すように目を細める。嬉しそうなその表情からは、今日の充実具合が見て取れた。

 俺は自分のスケベな気持ちを何とか押し殺して相槌を打つ。


「ほんとにな。俺なんて食べ過ぎたせいか、お腹がまだすこし苦しいくらいだし」

「亮ってば、唯さんにめちゃくちゃお肉を盛られてたもんね。傍から見ても面白いくらいに」

「気付いてたんなら助けてくれよ。正直、途中まじで苦しかったからな?」

「ごめんごめん。だけど、ノリノリでお肉を盛る唯さん見てたら何も言えなくて」

「まあ、そりゃそうかもしれないけど」


 助けてほしかったのは事実だが、確かにあの唯さんの間に割って入るのは難しかったかもしれない。

 俺の目からみても、めちゃくちゃ嬉しそうに肉を盛っていたからな。あんな表情を浮かべられれば、盛られている当人はもちろん、眺めている舞たちが止めるというのも難しい話だろう。

 かく言う俺も、何度かギブアップ宣言をしようとして、結局し損ねました。

 盛られた肉を全部食べたのも褒めてほしいし、その後リバースしなかったのも褒めてほしい。


「それはそうと!」

「うわっ!?」


 そこで舞がグイッと身体を近づけてくる。あまりの早さにおでこがぶつかると思ったほど。

 びっくりして反射的にのけぞるも、逃がさないと言わんばかりに距離をつめてくる舞。

 えっ? なんだなんだ!? 理由もなしに距離をつめられると、ドキドキしちゃうんだけど!?


「随分、咲ちゃんと仲良くなったみたいじゃない?」


 疑問符を浮かべていた俺に向かって、不満げに舞が唇を尖らせる。

 仲良く……? しばらくピンとこなかったが、どうやら舞は咲さんが俺の事を名前で呼ぶことに対して、仲良くなったと言っているみたいだ。

 随分という枕詞が付いているほどなので、舞の目からは俺と咲さんは相当親密になったと映っているらしい。


「仲良くって……そんな舞が思うようなことは何も。それに、いつまでも戸賀崎先輩って言うのも距離のある感じがして嫌だったのは事実だし」

「それはそうかもしれないけど……それにしては、いきなり距離が縮み過ぎじゃない? 咲ちゃんも、嬉しそうに亮の事からかってたし~」


 疑惑を晴らそうと名前呼びになった経緯を説明するも、舞は訝し気な視線を俺に向け続ける。

 いやまあ、舞の言う通り距離感が縮んだのは確かだと思うんだけどさ……。

 だけど、あれは咲さんがあんなにからかい上手だとは思わなかったからの距離感だと思っている。

 というか、あれが本来咲さんの持っている距離感なのかもしれないからな。姉である奏さんが距離感バグっている人だからな。


「確かに嬉しそうだったかもしれないけど、あれは先輩をからかった楽しんでただけだろ? その証拠に、俺だけに見えるところでペロッと舌だしてきたし」

「でも、そういうことをするのってある意味、心を許してるからこそじゃない? 咲ちゃんだって、誰彼構わずそんな姿を見せるわけじゃなく、亮だからこそ見せたって可能性も」

「いやいや、俺に見せたってことは舞や奏さんに対しても同じだって。というか、舞の方が咲さんに好かれてるだろうから、お茶目な姿を見せるのも時間の問題だと思うけどな」

「……確かに。それもそうね」

「せめて、少しは否定してほしかった」


 いや、良いんだけどね。舞と咲さんが仲睦まじいことは、とってもいいことだし。普段のゲームをしている姿からも、その姿は見て取れる

 それでも、『私と同じくらいよ』くらい言ってほしかった自分もいる。ちょっとだけ、ほんのちょっとだけ傷ついちゃうから。


「そもそも、舞はどうして俺と咲さんの距離が縮むことに文句を言ってるんだよ?」

「えっ? えっと、それは、その……」 


 俺の問いかけに対して、急に歯切れが悪くなる舞。視線が右往左往し、もじもじと指を絡ませる。

 その行為が何を示しているのかは分からないが、別に俺は咲さんに対して下心があるわけではない。単純に、先輩後輩としてこれまでよりも仲良くなれて嬉しいといったレベルである。


 もちろんその相手が舞だったら下心だらけだけど、咲さん相手に対してはそのような感情がわくことはない。何なら今日のからかいだって、正直なところ俺の中では可愛い後輩のちょっかいどまりだしな。

 ……舞のことが好きじゃなかったら、どうなってたか分からないけど。つくづく、俺は女の子に恵まれすぎていると思う。

 

「別に先輩後輩として、距離感を縮めるのは何の問題もないだろ?」

「そ、そりゃ、そうだけど……うぅ」


 しかし舞にはうまく伝わっていないようで、俺の言葉に対してもにょもにょと、声にならない声を上げるばかり。

 これはどっちが悪いのだろう? 舞の気持ちを汲み取れない俺の方が悪いのか?

 生憎、俺はラノベ主人公のように女の子の気持ちに対して敏感ではないので、舞の真意を推し量ることはできない。

 

 そんなわけで首をひねり続ける俺にしびれを切らした舞は、俺の瞳を真っ直ぐ見据えると、


「だ、だから、咲ちゃんだけじゃなくて、私とももっと距離を縮めてほしいって事!!」


 なんだか、もの凄いことを言われた気がする。

 距離を縮めてほしいって、自惚れかもしれないけど舞との距離ってかなり縮まっていると思うんだけどな。それこそ、咲さんや奏さん以上に。


「きょ、距離を縮めるとは?」

「言葉の通りよ! 咲ちゃんと同じように……いや、それ以上に私との距離も、もっと縮めてほしいの」

「そ、そうか……」


 顔を赤くして距離を縮めてほしいと話す舞に、今度は俺の歯切れが悪くなる番だった。

 いや、咲さん以上に距離を縮めるって、具体的にどうすればいいんだよ……。

 こんな時に妙案がすぐに思いつけばいいが、女性との交際経験のない俺はその妙案が全く思い浮かばない。

 そもそも、咲さんとの距離だってただ単に名前を呼んだ、呼ばれたにすぎないからな。

 舞の事は既にと名前で呼んでいるし……あっ! 名前じゃなくてあだ名で呼ぶとか? 例えば、奏さんのようにまいまいって……うん、俺が呼んだら果てしなく気持ち悪いな。


「しょ、正直、俺と舞の距離って結構縮まってると思うんだけど……これでもまだ足りないのか?」

「……亮は、私ともっと距離を縮めたいって思わないの?」


 質問を質問で返され、更に答えに窮してしまう。

 舞の質問に対する答え。そんなの、もっと距離を縮めたいと思ってるに決まっている。

 しかし、今の俺ではこれ以上に舞との距離を縮める方法が思いつかなくて……いや、あることにはある。

 それこそ、以前もう一回と言われてできなかったこと。


「……ねぇ、亮。どうなの?」


 先ほどとは違い、どこか切なげな声で舞が訊ねてくる。

 その声はどこか不安げで、今にも消え去ってしまいそうな声色だった。


「……私は、もっと距離を縮めたいって思ってる」


 不安げな様子はそのままに、舞は更に俺との距離を詰める。

 そして、いつの間にか俺の右手に彼女の左手が覆いかぶさるように絡みついていた。

 ギュッと絡みつかれた右手からは、彼女の体温がじんわりと伝わってくる。


「……正直、咲ちゃんが名前を呼んだ時、少しだけ嫉妬したの」

「嫉妬?」

「だって、私は亮と名前で呼び合うのに結構苦労したけど、咲ちゃんは違った。すごく自然で、違和感がなくて、亮もどこか嬉しそうで……ちょっと、やだなって思った」


 俺の手を握り締める舞の手に力が入る。嫌だと話す舞の表情が、少しだけ苦悶に歪む。

 確かに、舞の事を名前で呼ぶ時は少し苦労した。しかし、それは彼女の事が好きだったから。

 好きな人を名前で呼ぶのは、俺にとってハードルの高いものだったのである。

 だけど、それはこの場にとって言い訳にもならないことで……というか、言えるわけもないことだった。


 その思いを伝えるのは、舞に告白するのと何ら変わりのないことだから。


「やだなって思ったから、もっと亮との距離を縮めたいって感じたの。こんな汚い感情が沸かないくらい、亮と今以上に仲良くなりたい」


 舞とは出会った当初よりも、だいぶ距離が縮まったと思っている。普段からのやり取りもそうだし、一緒に夏休みを過ごしているのだってそう。


 それこそ、最近は舞が俺の事を好きなんじゃ? ……と思うこともあるくらいには。


「亮は、いや? 私のもっと仲良くなるのは?」


 潤んだ瞳で俺の事を見上げる舞。ぷっくりと瑞々しい彼女の唇がふるふると震えていた。

 俺の理性が徐々に蝕まれていき、本能は欲望に抗うなと叫んでいる。それこそ、舞の唇を奪って、彼女の身体を心ゆくまで貪りたいと思うほどに……。


「……もちろん、俺だって舞と今以上に距離を縮めたいって思ってるよ。仲良くだって、多分舞以上に思ってる」

「じゃ、じゃあ――」

「だから……嫌だったら言ってくれ」

「……えっ?」



 彼女から疑問の声が耳に届く前に、俺はその身体を優しく、そしてしっかりと抱きしめた。

  先ほどの欲望のままに行動できる程、俺と舞との関係は進んでいるわけじゃない。

 ……だけど、触れられないほどまでに何も進んでいないわけではなかった。彼女の身体を抱き締めたのは、これくらいまでなら神様も許してくれるのではないかと思ったから。

 キス以上の事をするのには、まだ俺の中で自信が足りない。だけど、ここまでしてくれた舞をこれ以上不安にさせるのも、また違う。


 だからこその、ハグだった。……ヘタレと思ったのなら、ヘタレと罵ってくれ。これが今、俺のできる精一杯なのだから。

 それに、舞からハグされたことはあっても、俺からしたことはなかったし。

 よい折衷案言い訳だと、自画自賛している。


「……もう。急すぎよ」


 一方、抱き締められた舞は一瞬ビクッと身体を震わせるも、すぐに呆れたようなため息をつく。恐らく、いきなり抱き締められるとは考えてもいなかったのだろう。

 しかし、嫌だという反応は見せない。そのまま俺の背中に腕をまわすと、顔を俺の胸に埋める。

 ふわっと、彼女から香るシャンプーの香りが強くなった。


「……というか、私は物理的な距離を縮めろだなんて、一言も言ってないんだけど?」

「わ、悪い……俺の中でこれしか思いつかなくて。嫌だったらやめるけど……」


 確かに、彼女の言う通りであり、反論の言葉は見つからない。というか、距離を縮めろって言われて、急にハグするやつがどこにいるんだよ? ……はい、ここにいました。

 ただ、舞はやめると聞いた俺の言葉に反して、すりすりと俺の胸元に頭を擦り付ける。


「……ううん。このままでいい」

「お、おう……」


 嫌ではなかったらしい。背中にまわされる腕の力が強くなる。

 俺から彼女を抱き締めたのは2回目だったが、正直1回目とは比較にならないくらいドキドキしていた。

 一回目はある意味状況に流されて抱き締めたけど、今回は自分の意志で舞の事を抱き締めている。

 たったそれだけの違いなのだが、その違いがこんなに大きいとは思わなかった。


「……亮の心臓、すっごくドキドキしてる」

「……分かってるよ。恥ずかしいから実況しないで下さい」

「だめ。私の事を不安にさせた罰なんだから」

「そんな、理不尽な……あと、これはいつまで?」

「私が満足するまで」


 好きな女の子に自分の心臓のドキドキ具合を実況されるという羞恥プレイ。そして、彼女がいつ満足するのか分からないといった状況。

 いっそのこと、殺してください(涙目)。というか、こんな状況でドキドキしないほうがおかしいだろ!?

 

 そんな訳で、しばらくは無言で彼女の身体を抱き締め続ける。

 改めて感じるのは、やはり女の子特有の甘い香りだったり、華奢ながらもやわらかい身体だったり色々……。

 どうして性別が違うというだけで、こうも男の身体と違うのだろうか?


「……亮」

「……はい」

「もっと強く……」


 あー、もう! どこか甘えるような舞の要求は断ることを許されない、そんな効果があると錯覚するほどだった。

 心の中だけで叫ぶと、俺は更に力を込めて彼女の身体を抱き締める。

 物理的な距離がさらに縮まり、俺の五感にさらなる刺激を与えてくる。正直、俺の身体が無反応なわけがなかったが、そればっかりは許してほしい。

 逆にこれで無反応な奴がいるんだったら、そっちの方がおかしいと思う。


「…………」


 舞も多分、気付いているはずだけど特に指摘してくることはなかった。

 こればっかりは彼女に感謝である。指摘されてたら、二度と立ち上がれないくらいの傷を心に負っていたからな。


 そして、永遠とも取れるような時間が過ぎ、俺は改めて舞に尋ねる。


「……えっと、それで距離を縮めるっていう舞のお題に対して、これは答えになってるのか?」

「……うん。合格」

「そっか、それなら良かったよ」

「……まあ、それ以上のことを期待してたってのもあるけど」

「ん? なんかいった?」

「何にも言ってないわ」


 取り敢えずは満足してくれたみたいだった。

 背中にまわされた腕を解いて、舞が俺から距離を取る。彼女の顔は予想以上に赤く染まっていたが、どこか満足げだった。

 そのままはにかんだ様な笑みを浮かべると、


「ありがと、亮。すごく安心できた」


 思わず見惚れるほどの美しさだった。

 これまでも散々可愛いとか綺麗とか思ってきたけど、まだ彼女は違う顔を持っていたのか。

 恥ずかしさを誤魔化す意味で、俺は舞から視線を外して答える。


「それなら、やったかいがあるってもんだよ」

「正直、亮からのハグは予想外だったかも」

「まあ、初めてやったし……」

「……これからは期待していいの?」

「ほ、ほどほどでお願いします……」

「ふふっ、りょうかい!」


 ハグなんて、何回もするもんじゃない。やるたびに心臓が壊れそうになるし、何より今日は特別な雰囲気だったからできたのだ。

 今後しばらくはごめん被りたいところである。


「ん~、亮にハグされたからいい感じに眠くなってきたわね」

「あ、あんまりハグとか言わないでくれ……」


 恥ずかしいから。


「わかったわかった。これからはほどほどにしてあげる」

「ほどほどかい」

「じゃあ、私は部屋に戻るわね。改めて、ありがと」

「おう。俺も眠くなってきたから部屋に戻るわ」

「うん……あっ、そうそう!」

「ん? まだ何かあるのか?」

「今度のデート、楽しみにしててね!」

「へっ!?」


 それだけ言い残すと、舞は逃げるようにして部屋に戻っていった。

 残された俺は、しばしポカンと彼女が去っていった扉を見つめる。

 

 確かに、舞と遊びに行く予定はしていた(球技大会の日に)。その後、日程は送られてきていたので知ってはいたのだが……まさか、デートだったとは。

 いや、デートだと思っていいのならそれほど嬉しいことはないんだけど……。

 最後の最後に爆弾のように落としていくあたり、舞も中々の策士である。


「……取り敢えず、寝るか」


 ちなみに、部屋に戻ってから中々眠れなかったのは内緒。

 舞の感触が残ったままで眠れる方がおかしいんです。





――――――――――――――――――――――――――――――――――――――





「さて、それじゃあ皆忘れ物はないわね?」

「うん、アタシ達はオッケーだよ!」


 次の日。荷物の片づけを終え、俺たちは謙さんの運転する車の前に集合していた。現在の時刻は12時過ぎ。残りは謙さん運転の元、帰るのみである。

 あの後は、しばらく悶々としていたのだが気付くと眠っており、起きたのは9時に近い頃だった。

 身支度を整えて下に降りていくと、小鳥遊家の皆さんは既に起きており、起きていないのは俺と舞のみであった。


「おはよう、亮君」

「おはようございます。すみません、起きるのが遅くなっちゃって」

「ううん、大丈夫よ。今、朝ご飯温めるわね」

「まいまいも、アタシ達が起きる時にもぐっすりだったしね」


 既に作っていた朝ご飯を電子レンジに入れる唯さん。なにからなにまで、ありがとうござます。

 舞も、奏さんの言う通りぐっすり眠っていたようだ。これは、いつ起きてくるか分からないかも……。


「おはようございます……」

「おっ、まいまい! おはよう!」


 と、図ったかのように眠気眼をこすりながら舞がリビングへ入ってきた。

 俺と同じく身支度は済ませているようだが、明らかに眠たそうである。まあ、あんな時間に起きていたわけだし、当然っちゃ当然か。


「おはよう奏ちゃん。それに咲ちゃんと、亮も」

「おはようございます。舞先輩、だいぶ眠たそうですね?」

「……ちょっと、寝つきが悪くて」

「あー、分かるかも! アタシも初めて泊まるホテルとかは寝つきがイマイチな時もあるし!」


 眠たい理由を微妙に誤魔化す舞。そりゃ、あんな時間に俺と起きてたなんて言ったら、何を問い詰められるか分からないからな。

 奏さんもいい感じに勘違いしてくれたみたいで助かった。咲さんも特に疑ってはないみたいだし。


 とまあ、こんな感じで朝の時間帯をうまく乗り越え、今に至るというわけである。

 ひとまず、舞と密談していたのが小鳥遊家にバレないでよかった。バレたら何を言われるか分かったもんじゃないからな。というか、根掘り葉掘り問い詰められそう。


「うん、忘れ物もないみたいだし、帰りましょうか」


 忘れ物がないかを確認し、俺たちは車に乗り込む。

 もう少し遊んでいたい気持ちもあるが、あまりお世話になり過ぎるのもいけないからな。これくらいがちょうどいいだろう。

 

 車が走り始めると、数分で後ろの小鳥遊姉妹から寝息が聞こえてきた。


「……奏ちゃんたち、寝ちゃったわね」

「なんだかんだ、疲れてたんだろうな」


 二人の寝顔を写真に納めながら、舞が微笑む。

 あれだけ元気いっぱい遊んでいれば、疲れるのも当然だろう。どうでもいいけど、写真撮ってることがバレたら怒られるんじゃ?

 すると、舞が2人につられるように「ふわぁ……」とあくびをもらす。


「……流石に私も眠くなってきたわね」

「……まあ、そうだろうな。俺もめっちゃ眠い」


 理由はもちろん、言わずもがな。車の揺れが心地よく、正直眠気はピークに達していた。


「……すぅ」


 と思っていたら、隣の舞は既に寝息を立てていた。先ほどの会話から一分も経っていない。

 どれだけ眠かったのやら……あの一瞬で寝られるほど疲れていたみたいである。しかし、かく言う俺も限界だった。


 気付くと俺の意識は車の心地よい揺れを感じながら、夢の世界へと旅立っていた。


「……ねぇねぇ、咲ちゃん。亮ちんとまいまい、ぴったりくっついて眠ってるよ」

「ほんとだ……手まで握り合ってる。これでも付き合ってないんだよね?」

「うん。これでも付き合ってないんだよね~」


 ちなみに眠っている姿を写真に撮られたのは、また別のお話である。

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