第33話 後輩からの名前呼びはグッとくるものがある
さて、海水浴を堪能しつくした俺たちは再び別荘へと戻ってきていた。
理由はもちろん、今回のメインイベントであるBBQを楽しむため。今は、唯さんや謙さんの指示に従いながら、BBQの準備を手伝っているところだった。
身体は重たいけど、この後に食べるお肉の美味しさを想像したらプライスレスだ。
このために昼食後、散々遊びつくしてお腹を減らしていたと言っても過言ではない。
ちなみに、あのハプニングの後は普通に舞も海水浴を楽しんでいた。
もちろん、浮き輪なしじゃ泳げなかったけど、基本的に海という場所はぷかぷか浮いてるだけでも楽しめるからな。
俺や奏さんが代わる代わるビート板代わりに浮き輪を使って、少し沖まで泳いだりもしていた。
ちなみにその時の舞の反応がすごく面白くて、
『ほんと、悪戯とか絶対にしないでよね!? お約束的に浮き輪をひっくり返さなくても大丈夫だからね!?』
あまりの必死さに俺も奏さんも笑ってしまったのは、説明しなくても分かるだろう。
正直、プールだったらやったかもしれないけど、流石に海の中では危険すぎるので、本当にやることはなかったけど。
それにしたってビビり過ぎということで、奏さんや咲さんには後からツッコまれていた。
「海で遊んだのなんて久しぶりだったけど、結構疲れたわね」
そんな中、隣で椅子などを準備している舞が、ふぅと息を吐く。
息を吐いたのは、海から足の着く陸に上がったという安心感も少しだけ関係しているのかもしれない。
まあ、本人的にはあれでも楽しめていたようなので、それはそれでよかったと言っていいだろう。浮き輪の空気を入れたかいがあったというものだ。
そして、海から上がった後は全員シャワーで海水を流しており、各自Tシャツに短パンとラフな格好になっている。
舞も例外ではなく、普段はあまり見ることのないTシャツ姿は、生地の薄さも相まって、身体の凹凸がはっきりと浮かび上がっていた。
更にBBQをやるのには邪魔だったのか、肩にかかっていた髪を後ろで結んでいる点も、俺個人としては非常にポイントが高い。
海で今よりも露出度の高い格好を見てはいるのだが、これはこれでいいものである。
やはり、露出が多ければ多いというわけではないのだ。恥じらいや、チラリズムといったことが大事であって……。
「ん? 私の顔に何かついてる?」
「い、いや、何でもないよ。それより、俺は机を持ってくるから」
どうやらまじまじと舞の姿を眺め過ぎたらしい。舞が可愛らしく、こてんっと首を傾げている。
やばいやばい。あまりに見すぎたら変態に思われるから、作業に集中しないと……。
俺は理由をつけて、一度舞の元から離れる。そんな俺にすすすっ、と寄ってくる一人の影が。
「むふふ~、亮ちんってばまいまいの姿にメロメロのようだね」
「っ!? って、奏さんか……」
音もなしに現れたので、びっくりしすぎて心臓が止まるかと思った。この人には忍の才能もあったのか?
ニヤニヤと笑みを浮かべる奏さんに俺はため息をつく。
忍の才能ともかく、この人は本当に人の事を観察するのが得意で困る。だからこそ、コミュ力も高いのだろう。
「いや、別にメロメロになってたわけじゃないからな? 単純に珍しい格好だなと思っただけであって……」
「そんな取って付けたような言葉で、否定しなくてもいいんだよ? アタシから見たってあのまいまいの格好は、そそる格好だったから」
「女の子を値踏みするエロ親父じゃないんだから」
じゅるりと舌なめずりをする奏さん。気持ちは分からなくもないけど、いくら美少女でも今の表情とセリフは、流石に気持ち悪いからやめてください。
ぞわっと鳥肌が立つほどだった。
「ちなみに~……アタシの格好はどうかな?」
そう言って奏さんがその場でくるりと一回転する。
彼女も舞と同じようにTシャツ短パン姿。スタイルの良さはもちろん、短パンから覗く肉付きのよい太腿があまりに眩しい。
更に奏さんの特徴でもあるプラチナブロンドの髪は一つ縛りではなく、今回は二つにまとめられていて、その姿は非常に新鮮に映る。
子供っぽさと大人っぽさが同居しているような、そんな姿だった。
もちろん、よく似合っていて奏さんの魅力をこれでもかと引き出している。
「うん、良いと思うよ」
「え~、まいまいの時と違って反応が薄いんですけど?」
「いや、別に舞の時だってそんなに激しく反応してたわけじゃないから」
「嘘だ~。それはそれは興奮して、血走った眼差しで、まいまいのTシャツを食い入るように見てたような気がするんだけど?」
「そんな瞳で見てないから! それじゃあただの変態だから!?」
「あははっ! そんな必死に否定しなくても、半分冗談だから安心して」
冗談に聞こえなかったから激し目にツッコんだのだが……まあ、本人が冗談だって言ってるから、きっと舞にもバレていないだろう。
いや、彼女の言う半分冗談はあまり信用できない気が……。
「それじゃあ、机を持って戻ろっか。あんまり遅いと、まいまいに疑われちゃうかもしれないからね?」
「疑われるって……まあいいや。あっ、反応薄かったからっていって、別に似合ってないとかそんな風には思ってないから。普通に可愛いって思ったし」
「っ!?」
何気なしに発した俺の言葉に、奏さんが虚を突かれたように目を見開く。
そして、頬を少しだけ赤らめ俺から視線を逸らす。
「…………そういう不意打ちはやめてほしいんだけどな~」
「ん? どうかした?」
「ううん。亮ちんは女の子を口説く才能があるかもって思っただけだから」
「えっ!? 何がどうしてそんなことを!?」
「おしえなーい。ほら、早く戻るよ!」
微妙に嬉しくない称号を奏さんから預かるも、その真相は闇の中だ。
俺がいつ、どのタイミングで口説いたというのか……。しかし、奏さんは俺に構うことなくスタスタと持ち場へ戻っていってしまった。
「……うーん。まあいっか。それより、早く机を持っていかないと」
奏さんの言葉が気になりはしたものの、これ以上準備を遅らせるわけにはいかない。
俺は目的の机を持ち上げ、再びBBQが行われる庭へと戻る。
「机、持ってきました」
「ありがとう、亮君。準備はこれくらいで大丈夫だから、飲み物でも飲んで待ってちょうだい。残りは私たちでやっておくから」
「いえ、でも……」
「いいのいいの。亮君たちはお客さんなんだから! それに、準備自体ももうすぐ終わるから大丈夫よ」
逡巡していた俺に無理やり飲み物の入ったコップを渡すと、残りの準備へと戻っていく唯さん。
確かに残りの準備は食材を持ってきたりする程度なのだが、何から何まで任せてしまって申し訳ない気分だ。
それは舞も同じだったのか、俺の傍に歩いてきて苦笑いを浮かべる。
「亮も同じく、準備から追い出されちゃったみたいね」
「同じくってことは舞も?」
「うん。後は唯さんや奏ちゃんたちがやるからって」
どうやら舞も残りの準備を手伝おうとして、追い出されてしまったらしい。
「このコップも、無理やり持たされちゃって……意外と家族全員、強引なのかもね」
「だな。まあ、唯さんたちがそう言ってくれているんだし、お言葉に甘えることにしようぜ」
「それもそうかもね。よしっ! 今日は美味しいお肉を一杯食べるわよ!」
グッと高らかに拳を突き上げる舞。
彼女の言う通り、今日BBQで使われるお肉たちは唯さんと謙さんが良いものを仕入れてきていると、奏さんから聞いているので俺も密かに楽しみだった。
まあ、どんなお肉でもみんなでBBQをやれば何でもおいしく感じるものだけどな。
というわけで、舞と飲み物を飲みながら待っていると、遂に食材がキッチンからBBQ
「亮ちんにまいまい~。お待たせしました! 今日のメインディッシュをお持ちしたよ!!」
そう言ってお肉の入ったプレートを運んできたのは奏さん。後ろには唯さんと咲さんの姿も。
食材の下ごしらえは、この3人で行っていたのだろう。
ちなみに、炭の準備は謙さんの担当である。一人黙々と火を起こしている姿はさながら職人の様だった。
あれはBBQをやり慣れている人の手つきである。多分、昔から家族でBBQを行うことも多かったんだろうな。意外とBBQの火起こしって難しくて、うまくつかないって話もよく聞くし。
「お持ちしたよっていっても、準備のほとんどお母さんがやったんだけど。お肉はあらかじめカットされてたし、私たちは基本的に野菜とかを盛り付けただけだからね」
「もー! 咲ちゃんってば、野菜の準備も立派な準備なんだから!」
咲さんからの暴露に奏さんがぷくっと頬を膨らませている。どうやら、準備と言ってもそこまで大したことはしていなかったようだ。
それでも、お肉や野菜の盛り付けを行ってくれるだけで十分なんだけどな。
「ほらほら、二人とも。じゃれ合ってないで、焼く準備を始めるわよ」
唯さんに窘められつつも、着々にBBQの最終準備は進んでいき、
「それじゃあ、かんぱーい!」
『かんぱーい!!』
唯さんの音頭で、俺たちはカチッとコップを合わせる。もちろん、高校生である俺たちの中身はお茶やジュースなのだが、それでも雰囲気に合わせてということで。
「さっ、焼けたお肉からどんどん食べていってちょうだいね」
「よっし、お母さんの言う通りどんどん食べちゃうよ!」
「奏は少しは遠慮しなさいね? ほら、亮君と舞ちゃんも遠慮しないで」
「ありがとうございます」
遠慮しないでという言葉の通り、焼けたお肉を優先的に俺たちへ取り分けてくれる唯さん。
早く食べたかったらしい奏さんは不満げな表情だったが、お肉をお皿に置かれると目を輝かせていた。うんうん、やはり食欲とは人を単純にさせる。
「じゃあ、冷めないうちに早速……んん~!」
盛られたお肉を食べた舞が、美味しさからなのか表情がふにゃりと緩んでいる。目尻もこれ以上ないくらいに垂れ下がっていたので、よっぽど美味しかったのだろう。
さて、あんなに旨そうな表情を魅せられて俺も我慢など出来るはずもない。
俺も舞に倣ってパクっと口に含むと、とろけるようなお肉の肉汁と焼肉のタレが咥内で絡み合い、それはそれは幸せな気分になった
「おぉう……」
「亮ってば、なにその感想?」
ため息とも感想とも取れない言葉が口から漏れだし、きっと表情がふにゃふにゃになっているだろう俺の顔を見て舞が笑っている。
しかし、それほどまでに今回のお肉は美味しかった。もちろん、これまでもBBQの経験がなかったわけではないが、その時に食べたお肉とは雲泥の差がある。
高いお肉を買ってきてくれたとは聞いていたけど、これはかなりのお値段がするんじゃ?
まっ、せっかく買ってきてくれたものを色々と詮索するのはよくないだろう。今、俺がすべきことは、このお肉を美味しく味わうことだけである。
「もごもご……ふぉのふぉにく、ふぉいしいね!」
「お姉ちゃん、美味しいのは同意だけどせめて飲み込んでから話してよ」
「ふぉい! ふぁふぁったよ!」
「だから、何言ってるのかよく分からないから……」
反対側ではほっぺたをリスのようにお肉で膨らませた奏さんがふぉごふぉごと何かを言葉を発している。
恐らく、美味しいということを伝えたいのだろうが、まるでこちらに伝わって来ていなかった。
咲さんが呆れてツッコミを入れるものの、その言葉に棘はない。きっと、咲さんも美味しいお肉を食べて毒素が抜かれてしまったと思われる。
「ふふっ、奏。そんなにがっつかなくても、まだお肉のあまりはあるからね」
そんな娘を見て、ニコニコの微笑んでいる謙さんはきっと大物に違いない。というか、普段から見慣れているだけかもしれないが。
あんなに可愛い娘がいれば可愛くて仕方がないだろう。
「ほら、亮君も奏に負けてられないわよ! じゃんじゃん食べちゃってね!」
「あっ、はい。ありがとうございます」
どうやら男の子だということでたくさん食べると思われているのか、唯さんが追加のお肉をこれでもかと盛ってきた。
うん、確かに胃のキャパシティは奏さんより多いかもしれないが、それでも流石に限度ってものがありまして……。
しかし、ここで食べられないと断っていては男が廃るってもんだ。それに沢山食べる男子は女子からモテるらしいので、この場を行かさない手はない。
どんどんと盛られる肉や野菜をガツガツと食べ進めていく。
「亮って、そんなに大食いだったっけ?」
「いや、別に大食いってわけじゃないけど、このくらいなら余裕だよ」
不思議そうに首を傾げる舞。実際は同じペースで食べきれるか微妙だったけど、俺は舞に向かって余裕だというアピールをする。
さっきも言ったけど、ここで情けない姿を晒すわけにはいかない。俺だって男らしい一面があるってことを、ここらで舞に見せつけないとな!
「うん、美味しい! おかわり!!」
……目の前にいる奏さんの食べるペースが一向に落ちないんだけど? これは、このままのペースで食べ続けて本当に大丈夫なのだろうか?
「はい、亮君も追加ね!」
俺の不安を他所に、笑顔で追加のお肉をお皿に盛る唯さん。その純粋な期待を裏切るわけにはいかない。
男、戸賀崎亮。遂に本気を見せる時が来たようだ。
(やってやらぁ!!)
決意を新たに、目の前のお肉を平らげていく俺だった。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「ふぅ……」
「……戸賀崎先輩、休憩ですか?」
「咲さん」
お腹がいっぱいになった俺は、BBQコンロから一度離れ、縁側のようなスペースに腰を下ろしていた。
そんな俺に声をかけてきたのは咲さん。
彼女も例にもれずTシャツ、短パン姿。ただ、髪はまとめておらずブロンドの髪が夜風にふかれてさらさらと靡いている。
「流石にあのペースで食べてたらちょっとね。だから、休憩って感じ」
「あ~、傍目でみててもうちのお母さんが考えもなしに盛ってましたからね。ちょっと申し訳なかったです」
「いやいや、咲さんが謝ることじゃないって。それに、唯さんも善意でやってくれてたわけだからさ」
「そう言ってもらえるとありがたいです。うちは男の兄弟がいないので、少し張り切り過ぎちゃったのかもしれません」
確かに、小鳥遊家は姉妹なので男の存在というのは珍しかったのかもしれない。二人が彼氏を連れてこない限り、出会うこともないだろうからな。
だからこそ物珍しく、テンションも上がってしまったのだろう。
「お隣、いいですか?」
「うん、構わないけど、咲さんはもう食べなくていいの?」
「私はお姉ちゃんと違って、元々食べる方ではないので」
「奏さんは女子にしてみたら食べる方だもんね」
「そうなんですよ。それでいて食べても食べても太らない体質……憎いです」
未だ美味しそうにお肉を頬張り続ける姉へ、遠目から恨みがましい視線を飛ばす。
確かに同じ女目線で考えると、ずるいと思うのも当然だろう。あれだけ食べても、スタイル抜群の奏さん。
別に咲さんのスタイルだって悪くはないけど、食べても太らないというところにちょっとした差があるのだろう。
ちなみに、奏さんの隣にいる舞もなんだかんだ食べ続けていた。もちろん、ペースは奏さん程じゃないけど、淡々とお肉を食べ続けるその姿は、謙さんとはまた違った意味で職人のようである。
舞も食べてるわりには全然太ってないからな~。どこに栄養が行っているのやら。
「……と、私はこんなことが言いたくて戸賀崎の先輩の所に来たわけじゃありません!」
「ん? なんか話したいことでもあったの?」
「えっと、その……改めてお礼が言いたくて」
「お礼?」
お礼とは一体何の事だろう? 特段、彼女に対して感謝されることなんてした記憶はないんだけど……。
俺が頭を疑問符を浮かべていると、咲さんがその疑問を解決するために口を開く。
「お礼って言うのは、私を外の世界に再び連れ出してくれたことです」
「…あぁ、お礼ってその事か。いや、別に大したことは何も……それに、俺だけじゃなくて舞もいたからって理由が大きいだろうし」
「そんなことないです!」
思いのほか、強い声に俺は思わず目を見開く。咲さんのこんな声を聴いたのは初めてかもしれない。
「確かに、舞先輩の存在も大きかったです。だけど、それと同じくらい、私は戸賀崎先輩の言葉に救われました。考えすぎて苦しんでいた私に、そんな道もあるんだと示してくれました。……だからこそ、改めてお礼が言いたかったんです。私を助けてくれて、本当にありがとうございました」
深く頭を下げる咲さん。少しでも俺に感謝を伝えたいというその姿に、心の中がじんわりと温まっていく感覚を憶える。
あの時、俺が話したのはもっと楽観的に考えてもいいんじゃないかって事。それは、俺の経験から来るものであって必ずしも咲さんに当てはまるものじゃなかったかもしれない。
しかし、その言葉に対して咲さんは感謝を示してくれている。
つまりそれは、俺の言葉が咲さんに対して少しだけではあるかもしれないが、刺さったということ。
その事実は俺にとって、単純に嬉しいことだった。
「……そっか」
「そっか……って! 何ですか、その薄い反応は!? 戸賀崎先輩、私が本当に感謝してるって事分かってますか?」
「うん、わかってるつもりだよ。ただ、そんな風に感謝されるなんて思いもしなくてさ。あの言葉だって、単純に俺の経験を話しただけにすぎなかったから」
「それでも、私のように何気ない言葉で救われる人がいるんです! だから、戸賀崎先輩は私の感謝をしっかりと受け入れてください!!」
「……まさか、感謝を無理やりにでも受け入れなきゃいけない日が来るなんて」
「こうでもしないと、戸賀崎先輩は頑なに認めない性格だって、最近分かってきたからです!」
得意げに胸を張る姿に、思わず「ふっ」と笑いが漏れた。
何というか、初めて咲さんの後輩らしい姿を見た気がする。普段は冷静に姉へのツッコミ役に回るから特にそう感じるな。
「い、今のどこに笑う要素があったんですか!?」
笑みを漏らした俺に、焦った表情を浮かべる咲さん。確かに、今の会話に笑う要素なんてどこにもなかったが……慌てる咲さんの姿を見ていると、更に笑いが込み上げてきてしまう。
「い、いや、別に笑いたくて笑ってるわけじゃ……ふふっ」
「そう言って笑ってるじゃないですか!」
プンプンと怒りだす咲さんを何とか宥めようと努力する者の、そのたびに笑いが込み上げてしまう。
おかげで彼女を宥めるのに少し時間がかかってしまった。
「……戸賀崎先輩って、意外といじわるなんですね?」
「だから、悪かったって。ちょっと、よくわからないツボに入っちゃっただけだからさ」
「全くもう……まあ、今回は許してあげます。特別ですからね?」
特別扱いをしてもらって、何とか許してもらった。
許してもらえなかったらどうしようとかと思ってたから、一安心である。
「ちなみに、舞に対しても同じような話はしたのか?」
「それは、今日の夜にしようかなと思います。お姉ちゃんも一緒の部屋なので丁度いいかなって」
確かに、舞と奏さんが2人いたほうがより感謝の気持ちを伝えやすいだろう。なんだかんだ、咲さんに貢献したのは舞の存在が大きかったからな。
自分の黒歴史を後悔してまでも咲さんを助けようとするその姿勢が、咲さんに届いてくれて本当によかった。
「ぜひ、そうしてやってくれ。舞も喜ぶだろうから。もしかしたら、感動のあまり号泣するかもしれないけど」
「号泣されたら困っちゃいますけど……でも、それはそれで嬉しいかもですね」
舞が号泣する姿を思い浮かべて、はにかんだ様な笑顔を浮かべる咲さん。
感謝を伝えたら泣いて喜んでくれる先輩は、後輩としても嬉しいようだ。
俺はちょっと暑苦しく感じるけど、本人が嬉しそうなので野暮なことは言わないでおこう。
「さて、戸賀崎先輩に感謝も伝えられたのでそろそろ戻りましょうか。あんまり遅いと舞先輩が心配しちゃうかもですから」
「心配って……姉妹揃って同じようなことを」
「だって、姉妹ですから」
パチッと、ウインクをするその姿はこれまた、姉である奏さんの姿とよく似ていた。
「全く……」
「ふふっ……あっ! それと、呼び方なんですけど、これからは亮先輩って呼んでもいいですか?」
「別に構わないけど、随分急だね」
「何時までも戸賀崎先輩だと、よそよそしいじゃないですか! それに感謝を伝えたタイミングでもあるので、丁度いいかなって」
確かに、名字のままだと距離感があったのも事実だからな。俺は咲さんの事を名前で呼んでいるから特に。
「うん、咲さんがそれでいいのなら、俺は大丈夫だよ」
断る理由もなかったので俺は咲さんの提案に素直に頷く。
「良かったです。それじゃあ、これからよろしくお願いしますね、亮先輩!」
亮先輩と笑顔を浮かべる咲さんに、俺は思わずニヤニヤしてしまう。
思いのほか、後輩からの先輩呼び、しかも名前呼びが嬉しかったからだ。正直、こんなにも心が揺さぶられるとは思いもしなかったぜ。
「……どうしたんですか? そんなにニヤニヤして?」
「いや、後輩からの先輩呼びが嬉しかったからつい……」
「その感想、結構気持ち悪いんですけど?」
「分かってるから。辛辣なツッコミやめて!」
先輩呼び以上に、後輩からの気持ち悪い宣言の方がやばかった。
心が抉られるので、表情は心の中だけにとどめておこう。
「ほら、変なこと言ってないでお姉ちゃんたちの所へ戻りますよ。……亮先輩」
「咲さん、分かってて付け加えたでしょ?」
「ご想像にお任せします」
そう言い残して、奏さんの元へ戻っていく咲さん。これは一本取られたな。
咲さんがあんなにも茶目っ気があるとは……まあ、可愛いので良しとしよう。
俺も咲さんの後を追って、二人の元へ戻る。
「あっ、二人とも! どこに行ってたの?」
「うん、ちょっとね。亮先輩と話したいことがあったから」
「そうなんだ……って、咲ちゃんって亮ちんのこと名前で呼んでだっけ?」
「実は、亮先輩にどうしてもってお願いされたから仕方なく……」
「ちょっ!?」
事実と全く異なることを言われた俺は抗議の声を上げる。
しかし、咲さんは二人から見えないように、ぺろっと悪戯っぽく舌を出しただけだった。
この後輩ちゃん、意外と食えない性格をしている。これは自分の中での評価を改めないといけないかもしれない。
「え~、亮ちんってばそんな事を必死にお願いしてたの?」
「断れない後輩をいいように使う……最低ね」
「いやいや、違うから! あれは咲さんが呼びたいって言ったからで」
一方、事情を知らない二人からは非難の声を浴びる。まあ、事情を知らないので当然っちゃ当然か。
特に舞からの『最低』発言が、俺の心を深くえぐる。先ほどの奏さん以上に……うん、普通に悲しすぎて泣きそう。
必死に咲さんからということを伝えるも、普段が普段なので二人からの疑念が晴れることはない。
これが普段からの行いの良さか……。恨みがましい視線を咲さんに送り続けるも、当人はどこ吹く風である。
「ふふっ、本当にしょうがないですよね亮先輩は!」
だけど、嬉しそうに笑う彼女の姿を見ていると、不思議と嫌な気分は沸いてこないのだった。
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