第32話 海水浴でのハプニングはもはやお約束でもある

「さて、亮ちんとまいまいのイチャイチャも済んだところで……」

「イチャついてない!」

「というか、言わせたのは奏さんだろ!?」

「早速、海で遊ぼうと思います!」

「お姉ちゃんのスルースキルが高くて、私はびっくりだよ」


 俺たちの叫びが奏さんによってスルーされたところで、奏さんが海に向かって一直線に走っていく。

 そして、間髪入れずに綺麗な飛び込みを決めた。


「ぷはぁ! しょっぱーい!! ほら、3人とも早くおいでよ!!」


 何のためらいもなく海に飛びこんな奏さん。海水のしょっぱさに驚きつつ、俺たち三人を急かすように海の中から手を振っている。

 俺は少しでも準備運動をしてからのほうが良かったのだが、彼女の頭の中に準備運動という4文字はないらしい。

 

 ちなみに、小鳥遊家の両親は海では遊ばず、別荘でのんびりしているとのこと。唯さんだけは後程、お昼ご飯を持ってきてくれることになっていた。

 そして夜にはBBQと、まさに至れり尽くせりである。何から何までお世話になって、すみません。


「全く、お姉ちゃんってば……気が早いんだから」

「奏さんらしいと言えば奏さんらしいけどな。それじゃあ、俺たちも行こうぜ」


 もたもたしていると、しびれを切らした奏さんが海に引きずり込んでくるかもしれないので、俺は咲さんと舞に声をかける。


「ちょ、ちょっと待って。まだ浮き輪に空気を入れてなくて……」


 咲さんは問題なさそうだが、一方の舞は肩にかけていたショルダーバッグから浮き輪と空気入れを取り出していた。

 やけに大きい鞄を持っているとは思ってたけど、その中身が浮き輪と空気入れだったとは……てっきり、水鉄砲とかの遊び道具とばかり。

 舞の持ってきていた浮き輪は割と大き目なサイズだったので、完璧に空気を入れきるには少し時間がかかりそうだ。


「それじゃあ、咲さんは先に(ギャグではない)奏さんの所へ行ってもらってていいか? 俺と舞は浮き輪に空気を入れてから向かうよ」

「了解しました。あの状態のお姉ちゃんを待たせすぎると何をしだすか分かりませんから」


 流石、妹である。姉の性格をよく分かってることで。


「お姉ちゃん、今行くからちょっと待ってて」


 未だに手を振り続ける奏さんの元へ、咲さんはため息をつきつつ歩いていく。

 残された俺は、舞が持っている浮き輪と空気入れに手を伸ばす。


「そんなに大きいと空気を入れるのも大変だから、俺がやるよ」

「えっ? いいの?」

「こういう時のための男手だろ? ほら、早く」

 

 躊躇っていた舞の元から無理やり浮き輪と空気入れを取り上げる。そのまましゅぽしゅぽと空気を入れつつ、俺は気になっていたことを尋ねる。


「舞ってさ……かなづちなの?」

「っ!?」


 俺からの指摘に舞の顔がぽっと赤く染まる。どうやら、俺の予想は正しかったらしい。ほんと、舞って運動が全般的に苦手なんだな。

 いや、それが悪いことではなく、むしろ可愛いと思う部分ではあるんだけど。


「そ、そうよ! 私はかなづちよ! 悪い!?」


 しかし、舞本人はよっぽど恥ずかしかったようで、半ばやけくそ気味に叫んでいた。キッと俺を睨みつけているが、その目は若干涙で潤んでいたのであまり怖くない。

 子犬が精一杯の威嚇をしているようだ(こんなこと言ったら舞はもっと怒るだろうから言わないけど)。


「ごめんごめん、別にバカにしたつもりはなかったんだ。ただ、浮き輪を使うってことはそうなのかなって」

「うぅ……昔から水の中だけはどうにも苦手で」


 はぁ、とため息をついて舞が項垂れる。

 水の中だけ? という疑問は置いておいて、この様子だとよっぽど舞は水の中が苦手らしい。


「本当に苦手なんだな。というか、それだけ苦手だったら学校のプールの時間とかはどうしてたんだ?」

「ボロが出ない様にうまくやり過ごしてたって感じよ。ほら、うちの体育の授業って結構緩かったじゃない? だから、うまく逃れられたというか……」

「あ~……言われてみると、男子の方も自由時間が意外と多かったしな」


 男子の方は、タイムを図る時間もあったのだが、結構自由な時間も多かった。そして、女子の方は確かにガツガツ泳いでいた印象はない。

 舞の言う通りキャッキャウフフしていたような記憶がある。まあ、そこまで女子の様子を見ていたわけではないので、あくまで記憶の範囲を出ないのだが。


「高校はこんな感じだから助かったけど、中学とか小学生の頃が地獄だったわね。泳げもしないのに無理やりにでも泳がせようとして……あの体育教師、〇してやりたいわね」

「物騒が過ぎる」

「亮は泳げるからいいのよ。泳げない人にとってプールの時間がどれだけ苦痛だったことか……」

「分かった、分かったから。憎き体育教師を睨みつける目で、俺を睨みつけるのはやめてくれ」


 怨嗟のこもった瞳で俺の事を見つめる舞。これは泳ぐことに対してかなりトラウマになっているみたいだ。

 その人をも殺せる瞳から視線を逸らしつつ、俺は浮き輪に空気を入れ続ける。


「というか、泳げないのなら別に無理して泳ぐ必要はないんじゃないか? それこそ、浜辺で遊ぶことだってできるわけだし」

「そ、それは……確かにそうかもしれないけど」


 もじもじと手をこすり合わせる舞。何か言いづらい理由でもあるのだろうか?

 しばらく逡巡した後、ぽそっと呟くように口を開く。


「……だって、3人と遊びたかったんだもん」


 拗ねた子供のように唇を尖らせる舞。

 庇護欲を掻き立てるその仕草は、思わず彼女を抱き締めてしまいそうになったほど。それ程までにインパクトが強かった。

 いや、セリフと相まってまじで可愛いが過ぎるだろ。


「ま、まぁ、確かに、みんなが海で遊ぶ中、一人だけ砂浜に座ってるだけなのもつまらないからな」


 何とか心の動揺を悟られないように、舞に話を合わせる。多分、顔は赤かっただろうが、多分誤魔化せていたと思う。


「そうなのよ! みんなが遊ぶ中、私だけぽつんと一人パラソルの下。そんなの耐えられないわ! かといって、私に合わせて海に入らないわけにもいかないし……」

「だから、浮き輪に頼ってまでも海に入ろうとしたってわけか」

「ビート板を使ってなら何とか泳げないこともなかったから。浮き輪なら大丈夫かなって」


 ビート板を使っても泳げなかったら絶望的だったが、最低限泳げる能力があるのなら問題ないだろう。それに、海で遊ぶにしても基本的には足の付くところが中心になるだろうし。

 と、色々話しているうちに浮き輪に空気を入れ終わった。


「よし、こんなもんだろ」

「うん、これなら溺れて溺死することもなさそうね。ありがと、亮」

「怖いこと言わないでくれ」


 今日は波も穏やかなので可能性は限りなく低いと思うけど、万が一ってことがあるからな。こりゃ、海にいる間は舞から目を離さないようにしないと。


「それじゃ、俺たちも行くか。ちなみに、奏さんたちは泳げるのかな?」

「咲ちゃんは分からないけど、奏ちゃんは問題ないわよ。クラスどころか、多分学年でトップクラスに泳げるだろうから」

「それほどの実力者なのか……」


 運動神経の良さは知っていたけど、これは完全に予想以上だ。ほんと、運動もできて頭もよくて可愛くて……神は奏さんに幾つの才能を与えてるんだよ。

 ちなみに、咲さんの運動神経も姉譲りのモノがあると思われるので、泳ぐ方も特段問題ないだろう。

 

 俺は空気を入れ終えた浮き輪を舞に手渡し、お先に海で遊んでいる小鳥遊姉妹の元へ。


「あっ、やっときた! 二人とも遅いよ!!」


 遅いと言った奏さんの髪の毛は既に濡れており、向かい合っている咲さんの髪の毛もかなり濡れていた。

 これは、相当激しい水の掛け合いをしていたと想像できる。


「ごめんごめん。浮き輪の空気を入れてたら遅くなって」

「あっ、空気入れてたんだ! 確かに、海で遊ぶ時に浮き輪は必要不可欠のアイテムだからね!」


 舞が浮き輪を持っている姿を見ても、特段気にする様子を見せない奏さん。それどころか浮き輪を必須アイテム認定していたほど。

 まあ、海やプールと浮き輪って、セットってイメージも強いから当然か。

 取り敢えず浮き輪=かなづちという連想は、奏さんの中では浮かばなかったらしい。

 そして、その舞はというと、海に入る一歩手前の位置でまごついていた。海に少しだけ足をつけては、ビビッて後ろに下がるといった具合。


(ありゃ、相当ビビってるな……)


 足も付くんだし、そこまで大袈裟にビビらなくても……とは、泳げるものの意見である。舞にとってはあれだけでも恐れ多いことなのだろう。


 ちなみに奏さんは気付いていないが、咲さんは一連の舞の様子を見て色々と察している様子だった。

 俺の方に視線を向けてアイコンタクトを取ってきた事がその証拠だろう。


「まいまい、そんなところにいないで早く早く!」

「か、奏ちゃん!?」

「あっ……」


 俺が舞に声をかけようとしたところで、痺れを切らした奏さんが舞の腕を掴む。

 そのまま、問答無用といった感じでズルズルと海の中へ引きずられていく舞。

 こりゃまずい。そう思った瞬間、


「わぎゃっ!?」


 波と砂に足を取られた舞が悲鳴のような声を上げる。助けようと手を伸ばすの俺の手は空を切り、舞はそのまま顔から海の中に文字通りダイブした。


「舞っ!?」「舞先輩!?」

「お~、まいまいってばやる気満々だね!」


 焦る俺と咲さんとは対照的に、的外れな感想を述べる奏さん。

 本来ならツッコミの一つでもいれたいところだが、それは後回しだ。まずは舞を助けないと。


「舞っ! 大丈夫だから、取り敢えず落ち着いて――」


 舞を引っ張り上げるべく、俺は彼女の腕を掴む。すると、


「わー!? 溺れる!? 海水が鼻の中に入って!? 溺れる!!」

「っ!?」


 案の定、パニックを起こした舞が、俺の腕ではなく体に抱き付いてきた。

 

 俺の胸に舞の豊かな双丘が惜しげもなく押し付けられる。むぎゅっという効果音が聞こえてきそうなほど、その双丘は形を変えている。

 お互いの感触を遮るのは、一枚の布地のみ。しかも、その布地はとても薄い。

 これまで感じたことのない柔らかさによって、俺は別の意味で溺れそうになる(というか、失神寸前になっていた)。


「ちょ、ちょ、ちょっと舞さん!? ここは足も付くから! 大丈夫だから!! 溺れてないから!!」

「やだっ! 溺れるっ! 死んじゃう!! 亮、助けて!!」


 俺は必死に声をかけるも、その声は残念ながら全く舞の耳には届いていない模様。

 パニック状態で助けを叫びつつ、俺の身体を抱き締め続ける舞。

 その間も先ほどから変わらずむぎゅむぎゅと、彼女の恵体が押し付けられる。しかも、彼女の身体が濡れているということも相まって、より彼女の柔らかさを感じてしまい……。


(こ、これ以上は色々とまずい)


 下腹部に熱が集まりかけた俺は、慌てて頭の中で素数を数える。2、3、5、7、11……事故とはいえ、こんなところで痴態を晒すわけにはいかない。


「と、というか、二人も見てないで助けて……」


 助けを求める視線を傍観している小鳥遊姉妹に向ける。


「おー、まいまいってば大胆。あんな情熱的に亮ちんに抱き付くなんて」

「いやいや、あれはパニックになってるだけだから。舞先輩、泳げないみたいだし」

「えっ? まいまいって泳げないの?」

「あの反応を見れば想像できるでしょ。全く、お姉ちゃんて変なところで鈍感なんだから……私としては目の前でラノベや漫画でしか見られない光景を拝むことができて、大満足なんだけど」

「そうだったんだ。まあ、亮ちんが支えてくれてるし大丈夫か!」

「大丈夫じゃないから、早く助けて!!」


 視線を向けているだけでは全く助けが来る気配がなかったので、俺は二人に向かって叫ぶ。

 自分の覚えている範囲の素数に限界がきたってのもあるが、これ以上は素数を数えても誤魔化しきれない。というか、もう誤魔化しきれていなかった。

 なにが誤魔化しきれなかったとは、絶対に言わん。

 目の前にいる舞のパニック具合も相変わらずだ。……どこにこんな力があるのか、無理やり引き剥がそうとしても、びくともしない。


「……おっと、尊みが深すぎてすっかり見惚れちゃってた。お姉ちゃん。早く舞先輩を助けてあげないと」

「えっ? だけど、ここって足も付くし問題なくない?」

「いやいや、舞先輩めっちゃパニックになってるから。まあ、舞先輩というよりは戸賀崎先輩の方が問題かもだけど」

「亮ちんの方が?」

「この話は戸賀崎先輩の名誉の為に伏せるとして……ほら、お姉ちゃん。早く早く」

「うーん? まあ、いいけど」


 小鳥遊姉妹がようやく助けに来てくれるようだ。ほんと、もう少し早く助けてほしかったぜ……。

 それと、咲さん。俺の名誉を守ってくれてありがとう。唯一の救いは、舞がパニックになっているおかげで、あの感触に気付いていないことくらいか。


 そんなこんなで、小鳥遊姉妹は二人がかりで俺から舞を引き離すことに成功したのだった。

 こんな簡単に引き離せるのなら、もっと早く助けてほしかったんだけど……。


 ちなみに、舞が身体から引き離された瞬間、俺はすぐに海の中で正座する羽目になりました。

 その様子を奏さんは不思議そうな表情で、咲さんは色々と察した様子で生温かい視線を俺に対して向けていたのだった。

 うぅ……後輩の、しかも女の子に察せられるとは。何たる屈辱。もう、お婿に行けない。

 正座自体は、一分くらいで元に戻ったので解除しました。





――――――――――――――――――――――――――――――――――――――




「ご、ごめんね亮。さっきはパニックになっちゃって」

「い、いや、良いって事よ」


 パニックから立ち直った舞は申し訳なさそうに眉尻を下げ、俺に頭を下げる。

 取り敢えず、先ほどのパニック状態からは脱してくれたようで、一安心だ。

 あれからは、取り敢えず足がつくところで水の掛け合いをしたり、持ってきていたビーチボールを使って遊んだりしていた。


 そして今は、四人ともビーチパラソルの下に戻ってきている。

 唯さんがお昼ご飯を持ってきてくれたので、ひとまず休憩ということになったのだ。

 しかし、舞の表情は先ほどの申し訳なさから曇気味。さっきの事は本当に事故みたいなものなので、そこまで深刻に捉えてくれなくて大丈夫なんだけど。

 それに、俺としてみたら舞が感触に気付いていなければいいだけの話で……。


「というか、全ての原因はお姉ちゃんにあるんじゃ?」

「いやー、まさかまいまいが泳げないだなんて、思いもしなかったからつい。抱き付いたのも、夏の日差しがそうさせるんだとばかり」

「夏の日差しにそんな効果はないからね!?」


 たははと頭をかく奏さんに、顔を真っ赤にした舞がツッコミを入れる。

 確かに、夏の日差しは人を開放的にするかもしれないが、人に抱き付く(ましてや水着で)効果があったりしたらひとたまりもない。

 それこそ、品性を疑われるってもんだ。古い考えかもしれないが、やはり日本人は一定の距離を保っていたほうが品があって俺は良いと思います。


「だけど、亮ちん的には結構おいしい展開だったんじゃない?」

「…………」

「戸賀崎先輩、沈黙が答えになってますよ」

 

 品がどうこう言ったけど、結局のところは嬉しかったです。男はつまるところ、皆スケベなので仕方がない。

 というか、舞の身体を堪能して否定的なことを言ったら彼女に対して失礼だってもんだ。


「…………」


 俺の沈黙を受け、舞は無言で着ていたジャンバーのファスナーを上まできっちりと締める。

 若干、身体を隠すような体勢になっているのは気のせいではないだろう。事故とはいえ、本当にスケベですみません。


「まあ、だけどあのお陰でまいまいの事がまた一つ知れたってことで、いい方向に捉えていこうよ!」

「うーん、それはお姉ちゃんの言うセリフではないような……」

「いいのいいの。それよりも、お母さんが作ってくれたお弁当、早く食べよっ!」


 待ちきれないといった様子で、唯さんが持ってきてくれたバスケットの中から3段に重ねられた重箱を取り出す。

 重箱のふたを開けると、おにぎりや唐揚げ、ソーセージや卵焼きなど、ごくごく一般的なおかずたちが顔を出した。

 しかし、この庶民感のあるお弁当が海で食べると一番美味しいまであるからな。後は、海の家で売っているラーメンとか。


「お~、すっごく美味しそう!」

「確かに……唯さんって、料理もうまいのね」

「お母さん、料理は得意だからね。調理師の免許も持ってるって、自慢されたくらいだし~」

「そこまで本格的なのか」

「はい。お母さんは結構凝り性なところがあるみたいなので」


 咲さんは凝り性だと言っていたが、いくら凝り性でも調理師免許を取るのはやり過ぎだと思う(良い意味で)。ほんと、小鳥遊家の家族は全員ハイスペックすぎて困る。

 うちの母親も料理は得意だけど、これほどまでじゃないからな。


「だけど、食べちゃえば一緒みたいなものだから、早く食べよ!」

「お姉ちゃん、色々と台無しだよ」

「あはは……まあ、腐ってもいけないから食べちゃいましょうか」


 舞の言う通り、炎天下の中いつまでもこのままにしておけば食中毒の危険性も出てくるだろう。

 俺は適当におにぎりを掴むと、そのまま口の中へ。


「……うん。うまい」


 程よく塩味のきいたご飯と、中に入っていた梅干しとの相性がこれまた抜群だ。

 海の中でも汗はかいているので、このしょっぱさと酸っぱさが身体に染み渡る。


「亮ちん、中身何だった?」

「梅干し」

「あっ、そうなんだ! アタシは昆布!」

「私はたらこだったわ」

「私の中身はサケでしたね」


 どうやら、中身の種類も豊富らしい。ほんと、どこまでも凝り性な人だ。俺が作ったら、多くても2~3種類しか中身を変えないだろうし。

 ちなみに、唐揚げも食べてみたが、これまた美味しかった。いわゆる冷凍のモノではなく、自宅であげたものを持ってきたとのこと。

 時間は経っているが、衣サクサク具合やお肉のジューシーさは変わっていなかったので、ここでも唯さんの料理スキルの高さがうかがえる。


「この玉子焼きも美味しいわね」

「でしょ~? お母さんの玉子焼きは世界一なんだから!」

「世界一は言い過ぎだと思うけど、ほんと美味しいよね」

「いいや、過言じゃないよ! 亮ちんは食べた?」

「いや、いまから食べる予定だよ」


 唐揚げを飲み込み、玉子焼きへと箸を伸ばそうとする。すると、


「はい、あーん」


 それより早く、奏さんが玉子焼きを箸で摘まむと俺の目の前に差し出してきた。


「……いや、自分で食べられるから」

「いいからいいから。ほれほれ~、美味しい玉子焼きだぞ~」


 やんわり断るも、奏さんには伝わらなかった模様。

 しかし、俺たちの間に甘い雰囲気はなく、むしろ餌を与えられる小鳥のような気分だ。


「…………」


 そんな俺たちを厳しい瞳で見つめる舞。いや、そんなに睨まなくても。


「ほらほら、早く~」

「……戸賀崎先輩、こうなるとお姉ちゃんは引かないので、素直に受け入れたほうが得策ですよ」


 箸を降ろす気配のない奏さんと、隣からアドバイスをくれる咲さん。いや、アドバイスになっているかは正直微妙である。結局のところ、受け入れるしかないと言っているようなもんだからな。

 ただ、咲さんの言う通り奏さんがやんわり否定したくらいで引かない人間なのは、これまでの付き合いでよく分かっている。

 仕方なく、本当に仕方がなく、俺は差し出されてきた玉子焼きを食べるために口を開く。


「……あーん」

「ふふっ、あーん。……どう? 美味しい!?」

「うん、うまい」

「でしょ! やっぱり、うちのお母さんの玉子焼きは最高なんだから! というか、あーんを待ってるときの亮ちん、なんだか餌をねだるひな鳥みたいで面白かったんだけど!」

「奏さんが玉子焼きを差し出してきたからだろ!?」


 小鳥遊家の玉子焼きは、しょっぱい系の様で出汁の聞いた優しい風味が口一杯に広がる。

 確かにこれは、奏さんが強く勧めるだけはある代物だ。

 ……だからと言って、あーんまでする必要があったかどうかは審議が必要である。というか、ひな鳥発言からも分かる通り、奏さんが面白がってただけなんじゃ?


「…………」


 そして、相変わらず俺たちのやり取りを厳しい瞳で睨み続ける舞。心なしか、あーんをする前より瞳の冷たさが増したような気がする。

 一体俺が何をしたって言うんだ!?


 すると舞は、無言のまま重箱に残っていた玉子焼きを箸で摘まむと、


「…………ん」

「……えっと、舞さん? これは一体?」


 なぜか、俺の目の前に差し出してきた。

 いや、今まさに奏さんの手から食べたばかりなんだけど……ただ、何となくだけど、ここで断ったら今以上に舞の機嫌が悪くなるような気がする。


『…………』


 そんな俺たちの様子を奏さんはニヤニヤと、咲さんはまるで推しのアイドルにでも出会ったかのような瞳で俺たちを見つめていた。

 えっ? 俺はこの状態で舞からあーんされないといけないの?


「……ん!」


 俺が迷っていると、先ほどよりも強めに玉子焼きを差し出してくる舞。

 その頬はほんのりと赤く染まっているものの、今更引く気はないようだ。


「あ、あーん……」


 覚悟を決めた俺は、改めて舞に向きなおる。

 先ほどと同様、ひな鳥の如く口を開くと、舞がその口に向かって玉子焼きを差し出してくる。

 そして、パクっと玉子焼きを口に入れてもぐもぐと咀嚼するも、今度は味がよく分からなくなっていた。

 

「……うん、よしっ!」


 何がよしっ、なのかよく分からないが、舞は満足げに頷いている。

 まあ、本人が納得してるみたいだし、凍てつく瞳も収まったのであーんをされたかいがあったというものだろう。


「ふふっ、まいまいってばめっちゃ嬉しそうじゃん?」

「べ、べべ、別に普通よ! 私もひな鳥にえさを与える親鳥の気分だったし!?」

「じゃあ、どうしてあーんなんかしてきたんだよ……」


 二度もひな鳥の気分を味わった俺の気持ちになってくれ。


「これがリアルツンデレ。ほんと、尊い……」


 うーん、どうやら咲さんは壊れてしまったみたいだ。引き籠りが治ったのはいいけど、これはこれで治療が必要なのでは?


 色々と波乱はあったものの、お昼を食べ終えた俺たちは再び海の中へ。

 そのまま、唯さんがBBQの準備ができたと伝えに来るまで、4人で遊びつくしたのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る