第26話 過去があるからこそ、今があるのである

「二人、どうなったかしらね?」

「多分、奏さんなりにうまくやったんじゃないかな」

「奏ちゃんの事だから、何も考えずにそのままの勢いで突入してそうだけど」

「それは大いにあり得るな。意外と猪突猛進なところがあるし」

「それ、奏ちゃんが聞いたら怒るわよ?」

「舞が黙ってくれればいいだけの話だ」


 小鳥遊家からの帰り道。俺と舞は小鳥遊姉妹の事を心配しつつ、駅までの道を歩いているところだった。

 唯一の心配事だった、俺たちの会話の内容も奏さんにはしっかりと伝わっていたようだったし、一安心である。


 正直なところ、二人の話し合いがうまくいく保障はない。もしかすると、状況がより一層悪くなるだけかも……だけど、あの姉妹なら大丈夫だという妙な安心感があるのもまた事実だ。

 仮にうまくいったとして、事情を知った咲さんから後でたっぷり怒られるかもしれないけど、これで丸く収まればすべてがうまくいく。だとしたら、怒られるだけの意味はあるのかもしれない。

 それに咲さんに足りなかったのは単純にきっかけだけだったと思っているので、なんだかんだうまくいくことだろう。……正直、奏さんか咲さんのどっちかから連絡が来るまでドキドキだけど。


「ねぇ、今日ってまだちょっと時間ある?」


 舞に声をかけられ、俺は思考の世界から現実世界へと戻ってくる。


「あるけど、どうかしたのか?」

「ううん、どうもしないけど……ちょっと話したいなって」


 彼女が指差す先には少し大きめの公園。

 ウォーキングコースや芝生のエリア。噴水付の池だけでなくドッグランといった施設も確認でき、地元の人たちの憩いの場として親しまれている感じがする。この辺り一帯は住宅地なので、それに合わせて新しく建設されたものなのかもしれない。

 小鳥遊家に来るときから公園の存在に気づいてはいたけど、舞はこの場所で何を話すつもりなのだろうか? 誘うにしても随分急な感じがするし。

 しかし、この後これといった用事があるわけでもないので、俺は舞と共に公園内へ。


「公園の中は意外と涼しいわね」

「もう夕方だしな。それにさっきまではずっと住宅地の中だったし」


 舞の言う通り、頬を撫でる風は昼間と比べ、かなり涼し気に感じる。住宅地とは違い、適度に自然があることが涼しさに一役買っているのかもしれない。既に日も暮れかかっているため、涼しいだけでなく公園内に人もまばらだ。


 季節は既に7月ではあるものの、本格的な暑さはまだ少し先であった。まあ、それでも十分暑いんだけどさ。梅雨明けが発表され、セミの大合唱が始まってからより一層暑さを感じることが多くなった気がする。

 それに、今年の夏は例年以上に暑くなると天気予報でキャスターが話していた。日本の夏はまだ変身を残していると考えると、げんなりした気分になってくる。地球温暖化は、どこまで自分たちを苦しめるというのだろうか?

 そのまま公園のウォーキングコースに従い、二人並んで歩いていく。


「何気なく入ってみたけど、結構ちゃんとした公園ね。想像以上だったわ」

「まあ、大きめの公園ってこんなもんじゃないかな。というか、ある程度想像してたんじゃないのかよ?」

「ううん、全然。だって今日、初めて入ったもの。流石に、想像できないわよ」

「そりゃ、そうかもしれないけどさ……話したいことがあるって言ってたから、この公園の事も熟知していると勝手に思ってたよ」

「そんなわけないわよ。この公園を選んだのはたまたま。単純に人通りも少なくて、話すにはうってつけの場所だと思ったから」


 なるほど。この公園を選んだのはたまたまだったというわけか。俺が余計な詮索をし過ぎただけだったな。

 適当に会話を続けつつ歩いていくと、ゆっくり話すにはうってつけのベンチが目に留まる。舞も気付いたようで、そのベンチを指差す。


「ねえ、あそこでもいい?」

「大丈夫だよ」

「ありがと」

「あっ、ちょっと先に座って待っててくれ」


 舞を先にベンチに向かわせ、俺はベンチ近くに設置されていた自販機へ。

 適当に2本分の飲み物を購入する。女の子と外で話す時には飲み物が必須って、どこかの教科書にも書かれていたはずだからな。いや、単純に俺の読んでいたラノベだったか? まあどっちでもいいや。

 ベンチへと戻った俺は、座っていた舞へ購入した飲み物を手渡す。


「ほい。なにが好きか分からなかったから適当だけど」

「あっ、ごめん。ありがと。今、お金を……」

「いいよ。奢らせてくれ」


 財布を取り出そうとした舞の行動を制止させる。

 普段、ろくにかっこいいところを見せられていないんだ。飲み物を奢る時くらいは、カッコつけさせてくれ。

 渋々と言った様子で財布を鞄に戻す舞へ、俺は公園に寄った目的を尋ねる。


「改めて聞くけど、どうして公園に寄ったりしたんだ? なんか、理由があってだと思ってるんだけど」

「いや、大した理由はないの。ただ……亮、無理してないかなって」

「無理?」


 想定していなかった言葉に俺は首をひねる。無理してるって、一体に何に対しての事なのだろう?


「だって、両親が離婚してるって言ったじゃない? それで思い出したのよ。この前ゲームをした時に兄弟姉妹の話になって、亮の反応が微妙だったなって」

「えっ? その時の俺って、変な反応だった?」

「本当に分かりづらかったんだけど、今思い返せばって感じ。なんだか変に間が空いてたし、あんまり私たちの会話に参加してこなかったから」

「マジか……自分では全く気付いてなかった」

「私もその時には気付いてなかったんだけどね。だけど、多分咲ちゃんは気付いてたと思うわよ。その会話を終わらせて、次の試合へ強引に私たちの意識を向けようとしてたから」


 言われてみると、咲さんにしては結構無理やり気味に話しを終わらせていたような……。ただ、本当に言われてみればというレベルなので、その時気付かなくても無理はないだろう。

 それにしても、自分でも気づかないうちにボロが出ていたなんて。気を遣わせてしまったことは反省しないといけない。


「だから最初の話に戻るけど、やっぱり心配になったの。両親の事、お姉ちゃんの事。その事で、亮が無理してないかな。そもそも、あの話をする必要もなかったんじゃないかって。ある意味、私が焚きつけちゃったようなものだから」


 そう言って不安げな表情を俺に向ける舞。恐らく舞は、自分のせいで俺が余計なことを思い出してしまい、俺のトラウマを刺激してしまったと思っているのだろう。

 勢いとはいえ、『離婚』ってワードは人によっては心の傷を抉るようなものだからな。言葉だけが独り歩きすると、俺の人生壮絶ハードモードって勘違いされそうだし。

 しかし、俺はそんな舞に向かってあっけらかんと言い放つ。


「いや、全然無理してないぞ」

「へっ?」


 あまりに何も気にしていない様子の俺を見て、舞が間抜けな声を上げる。というより、まだ俺の言葉の意味を理解できていないようだ。


「ほんと、無理なんてしてないんだよ。あの時、咲さんに話したのだって、自分の中で折り合いがついてるから話しただけ。そもそも、トラウマになってたら別の話題で咲さんを励ましただろうし」

「……い、いや、だけどお姉ちゃんの話をした時の反応がやっぱり心配――」

「あれは多分、昔の事を思い出してたから反応が遅れただけだよ」


 俺の言葉に舞は不服そうな表情を崩さない。正直なところ、どうしてあの時の俺があんな反応をしてしまったのか。よく覚えてはいない。それこそ、本当に姉の事を思ってセンチメンタルな気分になってしまったのかもしれない。

 だけど、それも一瞬の事だったと思う。じゃなかったら、その後平然と一緒にゲームをプレイしたりしていない。

 それくらいになる程、俺の中で離婚という出来事は過去のモノになっているということだった。


「本当にさ、俺にとっては大したことじゃなくなってるんだ。そもそも別に両親が離婚したからって言って、俺が何か苦労したわけじゃないからな。あの時も話したけど、幸い周りの友達には恵まれてたし。俺の養育費だって、前の父親はちゃんと払ってくれてるしな」

「……ほんとに?」

「本当だから、心配するなって。確かに舞の言う通り、父親と姉と離れたのは寂しかったけど、それ以上に母さんが俺の寂しさを埋めてくれたからな」


 思い返すと、離婚してからの1年、2年くらいは常に母さんが俺を寂しくさせないように行動してくれていた気がする。正直、その時期の俺が若干鬱陶しがるくらいに。あの時もあの時で仕事やら家事やらで、かなり忙しかったはずなんだけどな。

 まあ、その事を自慢げにひけらかす母ではないので、あくまで俺の推測なんだけど。

 それでも、俺が寂しさを感じなかったのは事実であって、何不自由なくここまで生活できているのもまた事実だった。


「本当にそうなの?」

「本当だよ。舞って意外と疑い深いんだな」

「……だって、亮はあんまり自分の事、話さないから。実は何かを抱え込んでるんじゃないかって。今回の奏ちゃんみたいなこともあったから」


 舞の表情が晴れないのは、奏さんの一件も関係しているようだった。まあ、舞にとっては親友の抱えていた悩みに気付けなかったわけだからな。だからこそ、俺に対しても疑念が尽きないのだろう。

 しかし、それもある意味どうしようもないことである。だって、舞と奏さんはあの出来事があるまでは確かに友達だったかもしれないけど、親友ではなかったわけだから。

 そもそも、普段の様子から妹の事情を察することなんて、例え最初から親友であったとしてもかなり厳しかったことだろう。子供の頃からの幼馴染でもなければ到底無理ゲーだ。


 その理論はもちろん俺と舞の関係にも当てはまる。というか、ほとんど同じだ。

 お互いの全てを知るにはあまりにも一緒にいた期間が短すぎる。だけど舞はそんな俺の事を少しでも知りたいと、そう思ってくれている。

 俺にとってはそれだけで十分すぎるくらいだった。だからこそ、俺は舞に次の言葉を伝えたのだろう。


「……だけど、俺がここまで色々話してるってことは舞の事、滅茶苦茶信頼してる証拠なんだけどな」

「……えっ?」


 驚いたような声を上げる舞に俺は続ける。


「咲さんっていう特殊な事情があったけどさ、自分の親が離婚してるだなんて普通話さないだろ。それに、姉とも離れ離れになったって話も。相手に気を遣わせるだけだからな。それこそ、輝にだって話してないし」

「篠ケ瀬君にも?」

「おう、輝にも話してないよ。でも、舞には話した。気を遣われるかもしれないけど、舞には聞いてもらってもいいかなって、そう思えたんだ。結果的には奏さんと咲さんにも話すことになっちゃったけどな」


 咲さんの事があったとはいえ、別に無理して話す必要まではなかったはずだ。その事を翻意させたのは、舞がなりふり構わず咲さんを助けるために自分の過去を話す姿に心を動かされたから。

 舞が過ごしてきた過去に比べたら自分の親が離婚したことくらい、大した出来事でないと思えたから。

 奏さんと咲さんには抱かない気持ちが、舞にはある。だから俺にとって舞は特別なのだ。


「だからその……まあ、うん。舞がそこまで心配してくれなくても、俺は大丈夫だから。無理してるならちゃんと言うし、そこは安心してほしい。……でも、俺の事を心配してくれたのはさんきゅな」


 心配されて嬉しかったのは本当なので、俺は素直にお礼の言葉を告げる。

 すると舞は頬を少しだけ赤く染め、俺から視線を逸らす。


「……ううん。こっちこそ変な心配してごめん」

「そもそも、俺のほうが心配になったって」

「えっ? どうして?」

「どうしてって……そりゃ、あんな話聞いたら誰だってそう思うだろ」


 俺は直接的に何かをされたわけじゃないからいいけど、舞は実際に被害を被っているのだ。しかも直近でもトラウマになりかねないことを……心配して当然である。

 俺の心配に舞は少しだけ考えた後、


「まあ確かにそうかもしれないけどね。あの時辛かったのは事実だし」

「やっぱりそうだろ? だったら余計に――」

「でも、今が楽しいから」


 はっきりとした口調で舞はそう言い切る。


「亮と一緒。いろんなことがあったけど、今が楽しいから気にしてないわ。それに、あの出来事があったから亮や奏ちゃんに出会えたって思えるようになったから。……そう思うと、私たちって結構考え方とかも似てるのかもね?」


 茶目っ気のある笑顔に今度は俺が彼女から目を逸らした。多分、俺の頬は赤く染まっていることだろう。

 そんな俺に向かって舞は続ける。


「……じゃあさ、亮。ちょっと質問」

「ん?」

「どう思った。私の中学時代の話を聞いて」


 探るような視線。その中に一抹の不安が揺らいでいるのを視ることができた。

 俺は少し考えた後、舞の質問に応えるために口を開く。

 

「心配してたのは事実だけど、俺は素直にすごいと思ったよ」

「…………」

「だってさ、今の自分を変えたいって誰しも思ってることだと思うんだけど、実際にそれを実行するのって普通いないじゃん? どこかで自分を妥協させて、言い訳を並べてそれで終わり。だけど舞は努力して行動に移したんだ。素直にすごいと思って当然だろ?」

「……でも、キャラを作ってまでやってるんだよ? 普通は痛々しいって思うんじゃ」

「俺は別にさっきの話を聞いたからって、別に痛々しいとは思わないけどな。だって、期間は短いけど俺にとってはこれまで見てきた舞が、舞そのものだと思ってるんだから」


 教室内で猫をかぶっている姿も舞だし、部室でオタク全開で話すのも舞本人だ。もちろん、小鳥遊姉妹と話している舞もそう。

 キャラを作っていると言われても、俺にとってはそれこそが舞本人に違いなく、その事実が変わることはない。それに、素の性格が少し暗いことも妙に心配性なところで何となく合点がいったしな。

 結局、キャラを作っていると言っても、どこかで本人らしさというのは出てきてしまうものなのだ。


「もちろん、過去の舞を見て驚いたのも事実だよ。だけど、それを見たからといって舞の評価が変わるわけじゃない。過去の姿を見たからって、今の評価まで変えるのはおかしいだろ。舞が法でも犯してたのなら話は別だけど、単純に容姿と性格だけの話だしな」


 そもそも、普通は他人の過去なんて知ることすら少ないわけだからな。幼馴染であれば話は別かもしれないが、俺と舞は高校に入ってから、それも2年生になってから本格的に話し始めた。

 それだけで全てを知って相手を評価することなど、土台無理な話である。


「そう、なのかな?」

「そんなもんだ。それに、舞だって例えば奏さんが同じような過去を抱えていたとしても、否定したりしないだろ?」

「そりゃ、そうだけど……でも、奏ちゃんは友達だし」

「友達だからこそだろ? だから、別におかしな話じゃないんだ。そもそも、人間誰しも相手からよく見られたいって思ってんだ。キャラだって作って当然だろ」

「……ふふっ、なにその理論? じゃあ亮もキャラ作ってるの?」

「人並には」

「私には全然、キャラを作ってるようには見えないんだけど?」

「俺も舞と同じで、しっかりと相手に悟られないように隠してるからな」

「絶対嘘じゃん」

「嘘じゃない……多分」


 そりゃ好きな人の前でキャラを作らないほうがおかしいだろ。少しでも相手によく見せたいわけだから。

 しかし、そこまで話したことによって舞もようやく少しスッキリしたような表情を浮かべる。


「ありがと。色々話を聞いてもらって。胸のつっかえが少しなくなったかも」

「どういたしまして。俺でよければいつでも相談相手になるよ」

「……あーあ、だけど咲ちゃんを助けるためとはいえ、あの写真はやっぱり亮には見られたくなかったな~」

「なんでだ? 色々あったとはいえせっかく、咲さんも立ち直ってくれそうなのに」

「だって、性格云々以前にあの時の私、めっちゃブサイクだから。亮には見られたくなかったなーって」

「……中学時代の舞も別にブサイクじゃないだろ。俺は凄く、その……良いと思う」

「ふふっ、ありがと。お世辞でも嬉しい」

「いや、お世辞ってわけじゃ――」

「……じゃあさ」


 舞が俺の瞳を覗き込むようにして視線を合わせてくる。


「今、亮が褒めてくれたのって中学時代の私だよね?」

「そ、そうだけど……」

「じゃあ、今は?」

「……そんなの世間一般的に見れば誰だって可愛いと――」

「やだ。亮の言葉で聞きたい」


 逃がさないと言わんばかりに彼女の右手が俺の左手に重ねられる。じんわりと温もりが伝わってくるにつれ、俺の心拍数も徐々に上がっていく。


(このコンボは反則だ……)


 しかし、今の俺に逃れるすべはない。観念した俺は覚悟を決める。


「……可愛いよ。少なくとも俺はそう思ってる」

「……ふふっ、合格」

「合格って……俺の事からかってるだろ?」

「からかってるよ。……だって、こうでもしないとバレちゃうから」

「バレちゃう? バレちゃうって何が――」


 続きは言葉にならなかった。

 舞が俺の距離を詰め、首に両腕をまわしてきたと思ったら、そのまま抱き付いてきたからだ。


「はっ? えっ!? ちょっ!?」


 いきなり舞との距離がゼロ距離になり、目を白黒とさせる。抗議の声を上げようにもあまりに突然すぎて、全く声にならない。

 分かるのは身体に感じる舞の熱と、女の子特有の甘い香りだけ。


「お、おいっ!?」

「……いいじゃん別に。これが初めてでもないんだし」

 

 ようやく出た抗議の声も、舞の滅茶苦茶な理論によって無視される。確かに初めてではないけど、それは全く理由になっていない。

 どうしていきなりこんなことをしてきたのか、理由も全く分からないまま抱き締められ続ける。

 唯一の救いは、周りに人影がないことくらいだろうか?


「ちょっ、流石にこれ以上は!」


 そのまま抱き締められ続け1分ほど。理性とか色々限界を感じた俺は彼女の肩をぐっと掴むと、後ろに押すようにして無理やり彼女との間に距離を作る。


「あっ……」

「っ!」


 すると、切なげな声が舞の口から漏れる。

 そして、距離をとって改めてみる彼女の顔は真っ赤に染まっていた。思わず俺は声を無くし、まじまじと舞の顔を見つめてしまう。というか、吸い込まれるように見入ってしまっていた。


 紅葉のように赤く染まった頬。涙で少しだけ潤んだ瞳。ぷっくりと瑞々しい唇から漏れる吐息はどこか妖艶に見えるほど、艶っぽかった。

 そんな舞の表情が少しだけ不満げに歪む。


「……だからバレちゃうって言ったじゃん」

「……ご、ごめん」


 何に対して謝っているのか分からないまま、取り敢えず謝罪の言葉を口にする。


「ほんと、亮って酷いよね。無理やり私を引き剥がしただけじゃなく、こんな顔まで無理やり晒させるほどの鬼畜だったなんて」

「き、鬼畜って、言い方! しょうがないだろ。そんな事情、知らなかったんだし」

「……それはそれで鈍感だと思うんだけど」

「えっ?」

「何でもない。まったく、これからは気を付けてよね」

「気を付けるって、気を付けようがないんだけど」

「じゃあ、もう一回やってみる?」

「…………へっ?」

「…………」


 何度目か分からない、間抜けな声を上げる俺。もう一回やってみるって、もう一回抱き締められるってこと!?

 混乱状態が解除されないまま、再び舞と見つめ合うような格好になる。一方の舞は、本気とも嘘ともとれる瞳で俺を見つめていた。

 まるで今度は、俺の方から抱き締めろと言わんばかりに。


「♪~♪~♪!」


『っ!?』


 いきなりの着信音に俺と舞は同時にビクッと跳ねあがった。先ほどまでの甘い雰囲気が霧散し、俺たちは一気に現実へと引き戻される。


「……す、スマホ。亮のじゃない?」

「えっ? あっ、確かに俺のだ」


 着信が入ったのは俺のスマホだった。画面を確認すると、『小鳥遊咲』という名前が。そういえば、LINEも交換してたんだっけ。

 そして、咲さんの名前を見たことによって俺たちの間に緊張が走る。

 連絡をかけてきたということはつまり、奏さんと何らかの会話をしたことに違いないからな。俺は緊張の面持ちのまま、画面の応答ボタンをタップする。


「はい、もしもし」

『……先輩、やってくれましたね』


 開口一番、もの凄い怨嗟のこもった声が聞こえてきた。一瞬、咲さんを名乗った別人が電話をかけてきたと勘違いするほど。


「や、やってくれたとは?」

『お姉ちゃんの事ですよ。全部、聞いてたみたいじゃないですか。今みたいに、スマホを通話状態にして!』


 どうやら、咲さんとの会話を奏さんへ筒抜けにしていたことがバレたらしい。まあ、電話をかけてきた時点である程度は予測済みだが。


「……そ、それについては本当にごめん。だけど、俺と舞で相談した事なんだ。咲さんの状況を変えるためには、やっぱり奏さんにも聞いておいてもら方が良いって」

『はぁ……それはお姉ちゃんにも聞きました。それに、戸賀崎先輩たちの事も悪くないって庇ってましたよ。全く、まさか裏でそんな事をしていたなんて』

「で、でも、本当に俺たちは咲さんの事を想って――」

『だけど、ありがとうございました』

「えっ? ありが……えっ?」


 脈絡のないお礼の言葉に、俺の脳みその処理が追い付かず言葉に詰まってしまう。隣ではハラハラと舞が状況を見守っている。


「どうして急にお礼なんか……今、怒られてたよね俺?」

『はい、もちろん私は怒ってます。プンプンです』

「じゃあ、尚更何で?」

『……会話を聞かれていたことは正直、驚いたんですけど、さっき乗り込んできたお姉ちゃんと本音をぶつけ合いました。それこそ、多分記憶にないくらいの言い合いだったと思います。帰って来ていたお母さんも何事かと部屋に来たくらいでしたから』


 電話越しに奏さんの笑い声が聞こえてきた。多分、一緒に通話を聞いているのだろう。その笑い声もどこか、憑き物が落ちたというような、そんな明るい笑い声だった。


『だけど、それによってお互いの気持ちを聞くことができましたし、言いたかったことをはっきり伝えて、私自身すごくスッキリしました。……どうして最初からこうしてなかったんだろうって、今は凄く後悔しています。多分、最初からこうしていればもっと解決は早かったのにって』


 咲さんの言葉からは、本気で後悔をしているというやりきれない思いが伝わってくる。それ程までに本音で奏さんとぶつかり、自分なりの答えを導き出したのだろう。


「そんなことは……」

『いえ、本当の事ですから。それに、自分の中でもう整理はついているので安心してください』

「そっか。それなら安心していいのかな?」

『はい。安心しちゃって大丈夫です』


 言葉の端から漏れる、本当にスッキリしているのだという咲さんの気持ち。俺はそこまで聞いてようやく舞に向かってグッと親指を立てた。

 俺のジェスチャーを見た舞は心底ほっとした様子で強張っていた表情を崩す。その瞳の端にはうっすらと涙が浮かんでいた。


 正直、奏さんと咲さんの間でどんな話し合いがなされたのか。少し聞いてみたくはあったが、今の段階でこれ以上は野暮というものだろう。話ならまた学校でゆっくり聞けばいい。


 靄の晴れたような咲さんの声と奏さんの笑い声。これを聞いただけで十分だった。


「分かった。じゃあ、期待してるから」

『はい。色々とご迷惑をおかけしましたが……私、もう一度やり直そうと思います。期待して待っていてください』


 期待して、そう言い切った咲さんの声は誰よりも希望に満ち溢れているような、そんな気がした。

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