第24話 悩みを相談するということは、実はとても難しいことである

「お二人ともありがとうございます。お忙しいのに、わざわざ来ていただいて」

「ううん、気にしないで。どうせ私も亮も暇だったし」

「俺も暇扱いかよ。まあ、否定はできないけど」

「それに他でもない咲ちゃんの頼みだから!」

「俺の話を無視しないで」


 小鳥遊家に招かれた俺たちは、リビングへ入ることなくそのまま咲さんの部屋へ。前回来た時に入ることはなかったので、少し新鮮な気分だ。


「どうぞ。今、お茶の用意してきますね。座布団もあるので、適当に座っちゃってください」


 俺たちを部屋に招き入れた後、お茶を取りにリビングへ下がっていく咲さん。残った俺たちは何となく咲さんの部屋の中を見渡す。

 全体的にモノは少なめで、高校生の部屋にしてはかなりスッキリしている印象だ。多分、奏さんの部屋の方がもっとモノで溢れていることだろう。実際の部屋を見たわけではないから、完全に奏さんに対するイメージでしかないのだが。

 まあ、モノが少ないのは咲さんが不登校なのも原因してるんだろうけど。


「すごく綺麗な部屋ね~。机の上にモニターとかゲーム関連のグッズとか置いてある以外は、とても普段からゲームをやる人の部屋に見えないわ」

「確かに。オタクって、部屋の中がモノで溢れかえって汚いってイメージがあるから」

「さ、最近は綺麗にしてるから言うほど汚くないわよ!」

「いや、誰も舞の部屋が汚いだなんて言ってないんだけど……」


 というか、その言葉のせいでこれまでは結構部屋の中が汚かったって事がまる分かりなんだが。そもそも、掃除した今でもって話してるくらいだから、そこまで綺麗というわけでもないのだろう。

 確かに、オタクの中のオタクである舞の部屋が何となく汚い(汚いっていうよりはモノが多い)イメージはついちゃうんだけどさ。これをそのまま話すともっと舞が怒りそうなので黙っておく。


「私はオタクの部屋の中でも、割と綺麗な方だから安心して」

「その割とって、結構人によるんじゃ?」

「う、うるさいわね。そういう亮の部屋はどうなのよ?」

「俺の部屋? 俺の部屋は基本的に漫画とかラノベしか置いてないから、整頓されている方だと思うよ」


 俺は舞と違って推しのグッズを買い漁ったりはしないため、比較的綺麗な方だと思っている。それに、本棚が溢れる前にもう読まないなと思った作品は売ってしまっていることも大きい。

 更に最近はよっぽど気に入った作品以外は、電子書籍で済ませる場合も多くなってきたので、余計に部屋の中がモノで溢れるということはなくなっている。

 そんな俺の言葉に舞は若干ショックを受けているようだった。


「う、うそ……私の部屋ってもしかして同い年の男子高校生の部屋以上に汚い? オタクって普通、愛するキャラのグッズで部屋が溢れる者じゃないの?」

「大分偏見が入っているように聞こえるけど、最悪は見てくれだけ綺麗になってればいいだろ? それこそ、クローゼットの中にある程度、持ってるグッズを入れるとかさ」

「それはもうやってるのよね。某作品の、妹キャラをリスペクトして」

「……それならもう、グッズの数を減らそうな」

「ぐぬぬ……やっぱりメルカリに出すしかないのかしら」


 オタ活とは常に収納スペースとの戦いである。

 舞がメルカリに自分の購入したグッズを出そうか本気で悩み始めたところで、飲み物とお菓子を持った咲さんが戻ってきた。

 一旦グッズ問題は脇に置き、俺と舞は咲さんから飲み物を受け取る。


「お二人とも、麦茶で大丈夫でしたか?」

「うん、大丈夫よ。むしろ、手伝ってあげられなくてごめんね?」

「いえ、今日は私がお二人を招いているので、気にしないで下さい」


 そういいながら、咲さんもクッションに腰掛ける。


「初めて入ったけど、咲ちゃんの部屋ってすごく綺麗ね」

「そ、そんなことは……二人が来るって分かってたので、あらかじめ片付けただけですよ」


 舞の言葉に謙遜して首を振る咲さん。


「あらかじめ片付けたとしても、片付いてる方だと思うけどな。さっきも舞と話してたけど、舞の部屋なんてもっと汚いみたいだし」

「ちょ、ちょっと! 汚いじゃなくて、推しのグッズが溢れてるって表現にしてよ!」

「いや、それと汚いって意味同じだろ?」

「全然聞こえ方が違うから!」

「舞先輩のお部屋はそんなにグッズだらけなんですか?」

「えっ!? い、いや、まあ……そこそこね?」


 絶対にそこそこじゃないだろ。どうしてそこで微妙な嘘をつくんだよ。

 俺からの視線を舞は気付かないふりをして話題を逸らす。


「ち、ちなみに、奏ちゃんの部屋はどんな感じなの?」

「お姉ちゃんですか? お姉ちゃんの部屋は……モノで溢れてますね。バックとか、アクセサリーとか。よく、服とか雑誌とかも床に置きっぱなしになってますし」

「あっ、やっぱりそんな感じなんだ」

「やっぱり?」


 やべ、さっき考えてたことがそのまま口に出てしまった。何とか誤魔化さないと……。


「……いや、何でもないよ。というか、そんなにモノが置いてあると片付けも大変じゃない?」

「そうなんですよ! お姉ちゃん、片付けが本当に苦手で……私が代わりに片付けてあげてるんです」


 やれやれという感じに咲さんが首を振る。その様子からは本気で呆れている姿が見て取れる。こりゃ、舞以上に奏さんも片付けが苦手なんだな。


「……羨ましい。私も部屋が汚れてたら呆れつつも、片付けてくれる可愛い妹が欲しい」

「本音が漏れてるぞ。というか、舞にも綺麗なお姉ちゃんがいるじゃんか」

「それはそうだけどさ……」


 本音の漏れる舞にツッコミを入れていると、咲さんの表情が何かを決意したときのモノに変わるのに気付いた。

 俺だけじゃなく舞も咲さんの雰囲気の変化に気付いたようで、そっと俺を目くばせをしてくる。そして、お互いに居住まいを正したところで、咲さんがゆっくりとその口を開いた。


「……えっと、すみません。今日はお二人ともお忙しいのに、わざわざうちまできていただいて」

「ううん、さっきも言ったけど全然気にしてないから。……それで、今日私たちをうちに呼んだのって?」

「はい、その、私の話……私が不登校になった原因を聞いてほしかったんです」


 俯きつつ、今日俺たちを呼んだ本題を話し始める咲さん。

 取り敢えず、ここまでは想定していた通りなので、俺たちは無言で話の続きを促す。


「自分で言うことじゃないんですけど、不登校になる前の私って、今のお姉ちゃんと同様に明るい性格だったんです。もちろん、お姉ちゃんほどじゃないですけど、男女ともに友達も多くて、学校生活もすごく充実してました」


 元の性格が明るかったという話も奏さんから聞いていた通りだ。それに、根の明るさはゲームをやっている時にも感じていることだったので、別に驚きはしない。

 むしろ、なぜ明るい性格の彼女が引き籠るにまで至ってしまったのか。


「その、明るかった咲ちゃんに何が起きたか。原因を聞いてもいいかしら?」

「原因……って呼べるほど、大きな出来事じゃないかもしれないです。でも、私にとっては凄く大きな出来事で……」


 咲さんの言葉が途切れ、語尾が涙で震える。それも当たり前で、自分自身のトラウマとなった出来事を思い出しながら話さないといけないわけだからな。

 少し落ち着いたのか、咲さんが再び話し出す。


「それは本当に些細な出来事だったんです。相手も多分、覚えてないくらいだと思いますし、その時にしていた会話だって覚えていないと思います」


 些細な出来事とは言っているが、変わらず咲さんの語尾は震えており、その様子を舞も心配そうに見つめている。


「その日、たまたま私は教室に忘れ物をしたんです。それで忘れ物を取りに教室に行ったら……私がその時よく話していた友達が教室の中にいたんです」


 誰とでも仲良くなれる咲さんだったが、当時は特に仲が良い友達が3人いたらしい。その三人が教室の中で話していて――。


「普通に声をかけて教室の中に入ろうとした時に聞こえてきたんです。『咲ってさ、結構空気読めないとこあるよね』って」


 咲さんから語られたのは、たまたま自分の陰口を聞いてしまったという内容だった。

 俺はその内容に思わず顔をしかめる。ちなみに舞は、俺以上に顔をしかめていた。多分、彼女自身似たような経験を最近していたからだろう。


「私の身体は一瞬で凍り付いて、その場から動けなくなりました。なので扉の影に隠れながらその、友達の会話を聞くことになっちゃって」


 恐らく、咲さんが体験した出来事は想像以上にキツイ出来事だったに違いない。これがよく知りもしない相手ならまだましだったかもしれないが、よりにもよって自分が友達だと思っていた相手。しかも、特に仲が良かった3人というのがその状況に追い打ちをかけていた。


「その場にいた他の二人が否定してくれたらまだよかったかもしれません。だけど、二人もそれについて否定することもなく、『確かに~』って頷いてて……。他にも付け加えるように、『空気読めずに行動すること多いよね』とか『というか、咲って結構じこちゅーじゃね?』とか……他にも少し小馬鹿にしたようなトーンで色々話してましたね」


 そこで、声の震えが更に強くなり、


「特に辛かったのは『顔が良いから一緒に居るけど、あんまり好き勝手されてもね~』って言われた時ですかね。あっ、3人の事を友達だと思ってたのは私だけだったんだって」


 俯いている咲さんから遂に涙の雫が零れ落ち、絨毯の上に染みを作る。

 顔がいいから一緒に居るということは要するに、自分たちの評価を上げるために一緒に居るということに他ならない。咲さんの事を利用するためだけに彼女に近づいた。そして、その心無い言葉がどれだけ咲さんの心に傷を残したか。

 その三人は一番やってはいけないことをやっていたというわけである。


「3人が帰りそうになって、私も何とかその場から逃げて家に戻ったんですけど……何度も三人の言葉が頭の中にフラッシュバックして、もうどうにかなりそうでした」


 あふれる涙を拭うことなく、咲さんは話を続ける。


「だけど、学校に行かないわけにもいかないから、私も昨日の事は聞かなかったことにして、普通に接しようと思ったんです。でも……出来るわけがなかったです。だって、裏ではあんなこと言ってるのに、表では笑顔で接してくるんですよ? 私の事を利用するだけの為に。それが一度頭によぎると、うまく言葉が出てこなくなって……」


 そんなの咲さんでなくても、当たり前の事である。人間の醜い一面を見てしまうということは、本当にトラウマになりかねない。


「この人たちは今は良い顔してるけど、裏では私のこと、バカにしてたって。私と笑顔で話してるけど、本当は何考えながら話してるんだろうって……無意識に相手を疑うような気持ちが浮かんできました」


 そして、その考えは咲さんを更に悪い方向に導いてしまったようで――。


「それで友達に対して一度、そう考えちゃうと他の人にも同じことを思うようになってしまったんです。あの子も笑顔で私と話してくれてるけど、心の中では私の事、空気読めないとか思ってるんじゃないかって。本当は私の事嫌いだけど、無理して私と話してるんじゃないかって」


 所謂、疑心暗鬼のような状態になってしまったということか。


「それを気にし始めたら、誰かと話すのがどんどん怖くなってきて。別に、いじめられたりしたわけじゃないんですけど、自然と一人で過ごすことが多くなりました。その3人は変わらず話しかけてくれてたんですけどね……。だけど、逆にそれが気持ち悪すぎて不登校になる直前には、学校のトイレで吐いたりすることもありました」


 そこまで追い詰められていたのか。誰にも相談することなく……あまりの出来事に俺も舞も絶句して言葉が出てこない。


「そして、ある日ベッドから起き上がれなくなったんです。学校に行かなきゃって頭では思ってるんですけど、身体が全くついてこなくて……結局、その日は体調不良ってことにして学校を休んだんですけど、多分それがいけなかったんだと思います。一度、学校を休むと誰とも合わなくていいってすごく安心できて……逆に学校に行くのがもっと怖くなりました」


 これは本当にどうしようもなかったのだろう。そもそも、そこで休んでいなかったら咲さんの状況はもっと悪い方向に進んでいたかもしれない。

 それこそ、自ら命を絶つなんてことにも……。

 

「それで私は完全に不登校になりました。ただ、特別学級にだけは何とか通えたので、そこで課題をやったりして、中学を卒業できたってわけです。受験についても、お二人が通う学校側がかなり配慮してくれて合格できました。だけど、登校初日にあの出来事が頭をよぎって、部屋から出られなくなって……そこからはお姉ちゃんから聞いている通りです」


 つまり、引き籠り状態から抜け出せていないというわけか。

 今の話を聞いてようやく、彼女がどうしてこうなっているのかということが繋がった。

 すると今まで黙って話を聞いていた舞が、声を震わせながら咲さんへ質問を投げかける。


「……どうして、そこまでの状態になってるのに家族に相談しなかったの? 奏ちゃんならきっと、咲ちゃんの力になってくれたはずなのに」


 舞からの問いかけに、咲さんは「何ででしょうかね……」力なく微笑む。


「一番は、お姉ちゃんに余計な心配をかけたくないっていう、私のちっぽけなプライドです。それと心のどこかで、自分が陰口を言われて不登校になったって言う事実を言いたくなかった、認めたくなかったってだけかもしれません。……結局自分のプライドを守りたいために、沢山心配かけて迷惑をかけちゃってるんですけどね」

「そんなこと……」

「お姉ちゃんはそんなこと持ってないかもしれないですけど、やっぱり迷惑ばかりです。ほんと、自分が情けないというか、酷い性格だなって……」

 

 再び涙が溢れだし、思わず咲さんが顔を覆う。そんな彼女の背中を舞が優しくさする。

 そして俺は彼女が落ち着くタイミングで一つ、言葉を投げかけた。


「……でもさ、どうして俺たちには引き籠りになった理由を話してくれたんだ?」

「それは……」


 咲さんが思わず言葉に詰まった。今の言葉の詰まり方は答えが出ていない人の詰まり方ではない。つまり、理由は咲さんの中ではっきりしている。

 多分、次の言葉こそが今の咲さんにとって一番、自覚する必要があるんじゃないだろうか? 

 彼女が今日、俺たちを呼んだ理由は何となくわかってはいる。だけどその理由を俺たちから示しても意味がない。咲さんが本当に今の状況を打破したいと思っているのなら尚更、自分の口で話す必要がある。

 言霊という言葉がある通り、自分の口で話したからこそ意味を持つということもあるのだ。

 辛抱強く咲さんからの言葉を待つ。舞も俺の問いかけの裏に隠された意味を理解してくれたようで、黙って彼女の言葉を待ってくれていた。

 そして、何度も言いかけてはやめを繰り返していた咲さんだったが、


「…………変えたいんです。今の状況を」


 絞り出すようにして出た彼女の言葉。これこそが、彼女が今日俺たちを呼んだ理由そのものだった。

 苦悶に歪む咲さんの表情から、今の状況に対する自分への失望ともとれる気持ちが痛いほど伝わってきた。


「もうお姉ちゃんにも、お母さん、お父さんにも心配をかけたくない。お姉ちゃんを安心させたい。学校に通って、誰かとまた笑い合って話したい。もう、引き籠ってるのは嫌なんです!」


 心の奥底に溜まっていた言葉が堰を切ったように、涙と共に溢れだす。最後の言葉は泣き声のような痛々しさだった。

 これほどまでの思いを心にずっと抱えておくのはどれほど辛かったのだろうか? 俺には想像することさえできない。


「でもっ、やっぱり誰かと話すのは凄く怖くてっ、また同じことを言われてたらどうしようって、思ったら……頭が真っ白になっちゃって。怖くてしょうがなくてっ、怖い……」

「咲ちゃん! 大丈夫だから、一旦落ち着こ」


 嗚咽が酷くなり、半ば錯乱状態になった咲さんを舞が優しく抱き締める。しかし、そんな舞を咲さんは悲痛な表情で見つめる。


「ダメなんです。今も舞先輩が優しい言葉をかけてくれるたびに、『裏では』とか『お姉ちゃんの友達だから』とか、考えちゃうんです! 私がおかしいからっ……こんな優しくしてくるのに、駄目なんですっ。……今日だって、自分の話を聞いてもらったのにっ、……まだ、こんなこと思って。私がこんなだからっ、きっと……あんなことを言われて――」

「咲ちゃん!!」

「っ!?」


 舞が少しだけ強めの声を出し、今度は咲さんを胸の中に引き込むようにして強く抱き締めた。


「怖かったんだよね。ずっと、一人で。誰にも相談できなくて。……でも、ありがとう。そんな辛い出来事を私たちに話してくれて」

「ち、違うんですっ……私はただっ、きっかけを作るために……お二人の事をっ、利用して……」

「そんなこと言わない。私も亮も利用されてるだなんて思ってないし、考えたこともない。私たちは咲ちゃんの事、大好きだから。優しくしてるのも、同情してるからじゃない。奏ちゃんの妹だからでもない。私が咲ちゃんを好きだから。友達だと思ってるからなんだよ」

「っ……、で、でもっ……やっぱりっ、怖いです」

「だったら、咲ちゃんが信じてくれるまで言い続ける。怖くなくなるまで言い続ける。私は、咲ちゃんの事が大好きで、友達だって」


 舞が更に強く咲さんの身体を抱き締める。咲さんは舞の言葉を聞いて何かを言いかけたが、嗚咽が酷くなって聞き取ることはできなかった。

 しかし、舞の言葉によって咲さんの身体の震えが少しだけ収まったような気もした。


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