第9話 よい思い出も、苦い思い出も、簡単には消えないから心の中に残るのである

  GWに出掛けた日の夜。一ノ瀬家の一室にて。


「ふふっ、今日は楽しかったな~」


 買ってきたキーホルダーを眺めつつ、一ノ瀬舞はそう呟く。大好きなアニメのコラボカフェに行けただけでなく、見たかった映画も見ることができて大満足の一日だった。

 こんなに充実した休日も久し振りな気がする。今日がGWということも相まって楽しさ倍増だ。


「……それにしても、あの時の戸賀崎君、本当に面白かったな」


 今思い出しても笑いが込み上げてくる。それは映画を見る直前に起こった出来事だった。

 私が男の人たちに絡まれてると勘違いして飛び込んできた戸賀崎君。確かに、見た目は派手だったので間違えちゃうのも仕方がなかったかもしれない。


 それでも面白いものは面白い。本人としては本気で私の事を心配していた分、余計に。

 いつもはどちらかというと、冷静な戸賀崎君の焦った表情。汗まで流しちゃって。相当焦ったんだろうな。

 そんな彼のレアな姿を見ることができただけでも今日、一緒に遊びに行ったかいがあったかもしれない。だけど、帰り道で沢山笑っちゃったから休み明け、ちゃんと謝らないと。あっ、せっかくLINEだって交換してるから今からメッセージを送っちゃお。


 思い立ったが吉日で私はスマホを開く。彼とはたまに連絡を取っていることもあって、アカウントを探すのも慣れたものだ。

 簡単に今日の感想とからかったお詫びのメッセージを送る。多分帰ってくるのは1時間後くらいかな? 彼からの返信は基本的には遅い(女子友達と比較しても)。

 普段はあまりスマホを見ていないとのこと。スマホ依存気味の現代人にしては珍しい。


「よし、送信っと」


 彼にメッセージを送った私は、そのままごろんと自分のベッドにダイブする。


「……だけど、戸賀崎君ってほんと変わってるよね」


 何気なしに呟く。頭の中にはあの日の出来事がよみがえって来ていた。


 4月に入ってからすぐのこと。まさか、あんなことになるだなんて夢にも思っていなかった(いい意味でも悪い意味でも)。

 彼が手にしていたラノベを見て、私はあの時は何もかもが終わったと絶望した。まさか、学校に忘れてしまったラノベが机から落ちて、しかも他人に中身を見られたなんて……今思い出してもゾッとする。


 オタクだってことを隠してるのに、どうして学校にラノベなんかを持ってきてるんだ! 自分からバラしに行くようなもんじゃないか!


 そんな意見もあるかもしれない。だけど、学校にも読書の時間があるわけだし、一人になる時間だってある。その時間を有効に使わないで何がオタクか……そう思ってしまったのだ。


 それこそ、漫画は学校に持ってこれない分、家で好き放題読めるわけだし、ゲームもしかり。ラノベは漫画より読むハードルが若干高い……と自分では思っている。

 しかし、学校で読むからこそ捗るというものだ。それに特徴的な表紙とかはブックカバーという便利なもので隠せるのだから尚更持っていきたいというものだ……はい、長々と言い訳すいませんでした。


 しかし、今思い返すと拾ってくれたのが戸賀崎君で本当によかった。


 戸賀崎君の事は知らなかったわけじゃない。でも、それまではただのクラスメイトにすぎなかった。席だって離れてたし、何より一度も話したことなかったしね。

 そんな彼にラノベを見られた瞬間、色々と悪いことが頭をよぎった。正直、オタクだってことをバラされるかもしれないと思ったし、バラさない代わりに何か酷いことをされるかもしれない。

 マンガやアニメの見すぎだって思われるかもしれないけど、あの時はそれほど怖かった。


 でも、私の中で『その本は私のじゃないから』と言って、その場を切り抜ける選択肢は全く考えていなかった。


 多分、戸賀崎君の性格を鑑みるにその一言があれば『あっ、そうなのね』で済んだ話だと思う。というか、彼もそのセリフを望んでいたんじゃないだろうか? 穏便にことを収めるためには一番の選択肢だっただろうし。


 それでも私はその言葉を口にしなかった。理由はもちろん、例え嘘であったとしてもその作品を裏切るようなことをしたくなかったから。私が大好きな作品を否定したくなかったから。

 後、実はもう一つ理由があって……「もしかして?」という期待があったからだ。


 期待というのは、ラノベの中身を見たであろう戸賀崎君から作品に対する困惑はあまり伝わってこなかったからだ。驚いてはいたけど、それはあくまでこの作品を読んでいたのが私だってことに対して。

 自分で言うのもなんだけど、あの作品は結構際どいシーンや挿絵が多い。耐性がない人なら間違いなくびっくりするだろうし、嫌悪感を抱いたっておかしくはなかったはずだ。


 でも、彼からはそれを感じなかった。今思えば、ほとんど直感に近かったけど……。


 だからこそ私は彼に問い掛けた。『どう思った』って。その本を読んでいる私について、その本について。両方の意味を込めて。


 そこから話していくうちに彼からボロが出た。読んだことのある人しか出てこない感想が彼の口から飛び出したからだ。……私も色々変なことを口走った気がするけど、あんまり覚えてないからいいや。


「半分賭けみたいなものだったけど、……まさか本当に戸賀崎君もオタクだったなんて」


 それが本当に全てだった。彼もまた私と同じく、オタクだったのだ。私は賭けに勝利したのだ。これが興奮せずにいられるだろうか? いや、絶対に無理。


 彼がオタクだってわかってからの動きは早かった。その日のうちにコラボカフェに出掛けたり、部活を作ったり、成り行きとはいえGWには一緒に遊びに行ったり……。


 もちろん、それまでの毎日も充実してたし友達と出かけるのも楽しかった。

 だけど、やっぱり心の中で求めていたんだと思う。一緒に趣味を語り合える友達を。……ま、まぁ、いきなりコラボカフェに連れてったのは流石に反省してるけど。とにかく、それくらい内心ではテンションが上がっていたということだ。


 オタク友達はリアルでもネットとかでも探していなかったわけじゃない。でも、自分からカミングアウトして、周りから否定されるのが怖かった。

 ネットはともかく、リアルでオタクだってカミングアウトしたらなんて思われるのか。周りが見ているのは『表の一ノ瀬舞』だけで、『裏の一ノ瀬舞』は誰も知らない。いや、誰も私に裏があるだなんて思っていない。


 だからこそ、オタクだってことがバレるのが怖かったのである。多分、バレたら私が積み上げてきたものは一瞬にして崩れ去る。オタクだっていじられて、バカにされて……あの時みたいに、中学生の時みたいに。

 

 口の中にじんわりと苦みが広がってきたところで私はぶんぶんと頭をふる。やっぱり、過去のトラウマは簡単に消えるものではない。


「まぁ、オタク友達がこんな形で実現するとは思わなかったけどね」


 嫌な苦みをこれ以上広げない様に私は呟く。


 彼、戸賀崎君と話していくうちに分かったことはオタクである(特にラノベに詳しい)ことはもちろん、彼はなんだかんだ面倒見がいいということだ。


 クラスでは目立つ方じゃないし、ぶっちゃけ存在感はないに等しい。


 だけど、ぶつぶつ文句を言いながらも部活づくりを手伝ってくれたし、私の好きなアニメやラノベの話も最後まで聞いてくれる。男らしいってわけじゃないけど、人の良さは多分これまでであってきた人の中でもトップクラスだ。まぁ、お人好しってだけかもしれないけど。


 その、人の良さに甘えている自分がいることも確かだ。何というか、振り回したくなる人の良さとでもいうべきなのだろうか? 反応が面白いのでついついからかっちゃう。


「……そういえば、このラノベを見せた時の戸賀崎君、かなりびっくりしていたような気がするけど、気のせいかしら?」


 枕元に置いてあるラノベに視線を移す。部室を手に入れた日に大好きなラノベだと言って紹介したものだ。

 それを見た瞬間、いつもは若干鬱陶し気に話を聞いている戸賀崎君の目が、いつも以上に見開かれた……気がする。もしかして、特にこの作品が好きだったからこその反応だったのかも。


「……だったら、私と同じね」


 このラノベは私にとって特別なもの。手を伸ばしてぺらぺらとページをめくる。読み過ぎたせいか、いたるページにめくり跡が残る。だけど、これが私にとって特別なのには変わりがない。むしろ、特別感が増したまである。


 そして、このラノベが私にとって特別だって理由。私は纏っていたラノベのカバーを外し、そのまま裏返す。


 裏表紙には、『舞ちゃんへ』と書かれたAoi先生直筆のサインが書かれていた。


「もう結構前の事だよね……」


 実をいうと私はAoi先生にあったことがある。それは私がまだ中学生だった頃。その頃から私はオタクで、色々な漫画やアニメ、そしてラノベを読み漁っていた。というか、友達のいなかった私にはそれくらいしかやることがなかったのだ。


 サイン会に行ったのも先生のデビュー作でもある、『双剣使いは魔法使いに夢を見る』が特別大好きだったからである。


 別に初めて買ったラノベってわけじゃない。私がオタクになったきっかけの作品でもない。

 手に取ったきっかけだって正直、覚えていない。多分、絵柄が好みだったからとかそんな理由だったはず。


 ただ、中学時代の辛い時期に先生の作品に出合い、救われたからこそ今私はここにいる。先生の描く物語の世界観が、魅力的なキャラクターたちが私をどん底から救ってくれたのだ。


 ここまで聞けば私が先生のサイン会にいった理由も何となく伝わっただろう。


 てっきり男性とばかり思っていた先生が実は女性だったのも驚いたし、何より滅茶苦茶美人で驚いたのは強烈なインパクトとして記憶に残っている。

 そして少しだけだけど、会話をすることもできた。娘さんと息子さんがいるということ。オタクになるきっかけとなったアニメの事。


 それから、私の質問にも誠実に答えてくれた。


『……自分を変えるにはどうしたらいいですか?』


 今思い返すと随分、抽象的な質問だったと思う。先生も少しびっくりしたような顔をしてたし。自分の語彙力のなさに今更ながら顔が熱くなる。

 今でこそ、お化粧も覚えてお洒落も覚えて今どきの高校生ができている……と思ってるけど、中学時代は今思い出してもかなり酷かった。


 いうなれば芋っぽいとでもいうのか。それでいて性格は暗いし人見知りだったし、何よりオタク。友達もいない。いじる側からしてみれば格好の的であったことは間違いがない。


 だからこそ、私は自分を変えたかった。いじられてバカにされる自分を変えたかった。だけど、いつも勇気が出なくて足踏みをしていた。


 このままでいい。私が変わろうとしたってどうせ大して変われない。変わったってどうせまたいじられるに決まってる。心の中でいつも言い訳ばかりしていた。


 こんな自分が本当に変われるのだろうか? いつも誰かのせいにして逃げているだけの、こんな私が。 


 だけど先生は、私の質問に答えをくれた。少しだけ考えた後、


『何かを犠牲にすることかな』


 といった。


『舞ちゃんが何を変えたいのかは分からないけど、変わるためには必ず何かを犠牲にしなきゃいけない。それが時間なのか、お金なのか、はたまた別のモノなのか』

『犠牲……ですか?』

『そう。舞ちゃんの変わりたいって気持ちがどれくらいか、私は分からないけど本当に変わりたかったらやっぱり一筋縄じゃいけないと思うんだ。なにより、まずは変わりたいと思っても動かない自分を動かさなきゃいけないし』


 図星だった。そして同時に先生も遠い目をしていることに気付く。 


『……Aoi先生も何かを犠牲にしたことがあるんですか?』

『……うん。色々ね。私、我が儘だったから』


 その時、先生は笑っていたが同時に泣いているようにも見えた。


『だけど、犠牲にした分、今はこっちの業界に飛び込んで良かったって思ってる。毎日がすごく充実してる。もちろん、作家としてはまだまだ半人前だし、締め切りだっていつもギリギリになっちゃうし、それこそいろんな人に助けられっぱなしで今を生きているって感じ』

『そ、そうなんですね……とてもそんな風には見えないですけど』

『意外とそんなもんなのよ。だからね、舞ちゃん』


 先生が私の手を取る。


『舞ちゃんも勇気を持って。大丈夫、こんな私でも変われたんだから。それにね、勇気をもって変わった人には必ずいい未来が待ってる。そう信じてみてもいいんじゃないかな』


 そこで終了の時間が来て、先生との会話はそこで終わってしまった。だけど、その時の私には多分、その言葉で十分だったと思う。

 先生の言葉があったから、私は変わることができた。勇気を持つことができた。


 お洒落の勉強をして、髪もちゃんと整えて、眼鏡をコンタクトにかえて。高校もあえて遠いところを選んだ。ここまでくれば自分の事を知っている人もいないだろうという判断からである。


 全然違う環境を選ぶことだって一つの勇気だ。そう思って臨んだ受験も不思議と緊張はしなかった。


 俗にいう高校デビュー。バカにする人だっているかもしれないけど、初めて自分が変われたって思えたから後ろめたさは全くなかった。


 そして変わった私は高校生になり……今に至るというわけだ。


「先生がいなかったらどうなってただろうな……」


 考えても仕方がない……いや、考えなくても分かることをわざわざ考えたって意味がないことだ。

 それよりも、今度しっかり戸賀崎君に聞いてみなくちゃ。彼も私と同じで滅茶苦茶大ファンって分かったらもっと話が弾むだろうし。

 GW明けは漫画版を学校に持っていって――。


「舞ちゃーん!!」

「きゃっ!? お、お姉ちゃん!?」


 思考を遮るような声とともに、私の首に腕がまわされる。

 

 腕をまわしてきたのは私の姉である一ノ瀬藍いちのせあいだった。現在、大学生でもあるお姉ちゃんは、涙声でぐずぐずと鼻をすすりながら私に更に体重をかけてくる。

 ……背中におおよそ世間一般の女性よりも大きいとされる、二つの双丘が押し付けらる。このサイズは漫画とかでしか見たことがないサイズだ。お姉ちゃん、サイズいくつだっけ?


「お、お姉ちゃん、重い……」

「ごべんね~、一緒にいってあげられなくてーー」


 私の抗議はまるで届かなかった。むしろもっと重くなった。

 どうやら、今日一緒に出掛けられなかったことを気にしているらしい。今日だって大学に行く直前まで何とかならないかと画策していたからね……。結局諦めたけど。


 うちのお姉ちゃんは妹の私から見ても美人の部類に入ると思う。それに私と違ってちゃんと社交性もあり、友達付き合いも昔から上手だった。あと、私と違って重度のオタクではない。いわゆるライトなオタク。流行ってる漫画やアニメを見る程度。

 

 『これで重度のシスコンじゃなければ』とはお姉ちゃんの大学の友達からの評。


 ちなみに、私の高校デビューはお姉ちゃんを多分に参考にしている。


 そんなお姉ちゃんは私の背中でたっぷり5分ほどぐずぐずしていたが、はたと思い出したように訪ねてくる。


「……ところで、一緒に行ったっていう男の子の事なんだけど」

「戸賀崎君の事? それがどうかしたの?」

「いや、まぁ、一緒に出掛けたっていうし? 舞ちゃんに邪な視線を向けてなかったかな~って」

「邪って……戸賀崎君は別にそんな人じゃないよ。むしろ、最近はやりの草食系ってやつ」

「そう……だけど、分からないじゃない。草食系を装っておいて実はロールキャベツ系でしたってことも!」

「戸賀崎君に限ってそれはないと思うんだけどな」


 器用に隠す人もいるけど、戸賀崎君はありのままを出している気がする。だから、その辺の心配はする必要がない気がするんだけど。

 というか、多分戸賀崎君は嘘をつくのが下手なタイプだと勝手に思っている。


「でもぉ、舞ちゃん、高校に入ってからとっても、とぉっても可愛くなったから、お姉ちゃん心配で心配で。もちろん、中学生の頃から可愛かったけど!!」

「もぉ、相変わらず心配性だなぁ。私の事なら心配いらないって。変な男に掴まらない様にちゃんと漫画とかアニメで勉強してるんだから!」

「それがお姉ちゃん、一番心配」


 真顔でツッコまれた。ま、まぁ、今のは半分くらい冗談だから。恋愛経験だってまだないくらいだし。


「……それに、ここだってこんなに立派になって」

「ひゃあっ!?」

「こんなのを抱えてほっとく男がいるわけ……うぐっ!?」


 いきなりお姉ちゃんが胸をまさぐってきて変な声が出た。そして思わずお姉ちゃんを突き飛ばす私。突き飛ばされたお姉ちゃんは床にしりもちをついて呻き声を上げる。


「な、なな、何するのいきなり!?」

「……セクハラ?」

「そこはスキンシップって言ってほしかったんだけど……」


 胸を抱きながらジト目で睨む。油断も隙もあったもんじゃない。お姉ちゃんほどあるわけじゃないから、そんなに揉み心地があるわけじゃないんだけど……。


「とにかく、戸賀崎君はお姉ちゃんが心配するほど変な人じゃないから」

「……まぁ、今回は舞ちゃんの信頼に免じて許してあげる。だけど、いつか絶対に尻尾を掴んでやるんだから!!」

「だから、大丈夫だって……」

「それよりも、舞ちゃん私にお土産買ってきたって言ってなかった?」

「あっ、そうそう! 忘れるところだった。今回買ってきたのはね、結構いいものだよ!」

「うんうん、舞ちゃんの買ってきたものなら何でも嬉しいよ。毎回、微妙にセンスがない気がするけど、それでもお姉ちゃんは嬉しい!」

「酷い!」


 そんなやり取りをしながら一ノ瀬家の夜は更けていくのだった。


 



――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 これはとあるサイン会の日の話。


「ふふっ、先生にしてはとてもいいことをおっしゃられていましたね」

「先生にしてはが余計よ。あーあ、柄にもなくいいことは言うもんじゃないわね」

「ですが、先ほどの女の子はきっと先生の言葉に救われたと思いますよ」

「そうかしらね?」

「そうです。最初よりも晴れやかな顔をしていましたから」


 担当編集である八重洲凛の言葉に私は少しだけ肩をすくめる。


「……でも、今だってたまに思うわ。この選択が本当に正しかったのだろうかって。さっきの女の子には偉そうに言ってたけど、内心はまだ迷ってる。大人の事情で大事な子供たちを振り回して、それでいてついて来てくれた息子には母親らしいことの一つだって中々できてない。」

「……なんだかいつにもましてセンチメンタルですね」

「あんなこと言った手前、色々思い出しちゃったのよ。まだ迷ってる自分が心の中にいるなって。いつまで迷い続けるんだろうって」

「……じゃあ、迷わなくなるまで悩んだらいいんじゃないですか?」


 あっけらかんと言い放つ凜の顔を私は思わず凝視する。


「先生の悩みはすぐに答えが出るものではないと思います。というか、それを承知でこの世界に入ってきたんじゃないですか?」

「そりゃ、そうだけども……でも、あの女の子に一丁前に言っておいて、自分は明るい未来を示してあげられてるのか――」

「亮君の事ですか?」

「…………」


 彼女の問いかけには応えず私は視線を床に移す。図星なので何も言えなかった。

 彼女には私の家庭環境をふんわりと伝えている。……というか、お酒の席で私が我慢できずにぶちまけた。あの日の事は本当に私の数ある失態の一つである。


「まぁ、確かに分からないですからね。亮君の気持ちは亮君しか分かりません。相手から言ってきてくれれば話は別ですけど、自分から好き好んで思ってることを言うような性格ではなさそうですし」

「だったら――」

「ですけど、亮君の口から『母さんについてきたのは間違いだった』って言われました?」


 ある意味核心をつく質問に私は思わず口を噤む。そして苦々しげに、呻くようにして呟く。

 

「……言われてないけど」

「だったらいいじゃないですか。……まっ、本当のところは分かりませんけどね。実は内心『ついてくるんじゃなかった』って思ってるかもしれないですし」


 うって変わって突き放すような凛の言葉。そんな彼女の顔を私は恨めし気に見つめる。しかし、当の本人は涼しい顔だ。

 担当についた時から思ってたけど、たまに彼女の実年齢が分からなくなってくる。胆が据わり過ぎていて時折怖くなるくらい。


 ……でも、少し気持ちが楽になった。


「……あなた、年齢はいくつだっけ?」

「ぴちぴちの23歳ですよ。さっ、そろそろ休憩も終わります。最後までサービス精神旺盛で頼みますよ先生」


 休憩室を出ていく凜を見送った私は、ほっぺたをぺしっと叩いて気合を入れ直す。


「よしっ!」


 今の選択が正しいとはまだ思えないけど、正しい選択だったって言えるように頑張らなくちゃ。

 私について来てくれた息子を悲しませないためにも。

 

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