第3話 人に理想を押し付けるのは、ただの傲慢なのかもしれない
(これから一体、どこへ連れていかれるのだろう?)
教室を後にした俺たちは、現在駅までの道のりを歩いているところだった。しかし、先ほどの会話から現在に至るまで一ノ瀬は黙ったまま。どこに行くのかすら分からないままである。
目の前を歩く彼女の背中を見つめつつ、心の中は不安でいっぱいになっていた。
(さっきはあんな感じだったけど、やっぱり怒ってるよな……)
一歩後ろを歩いている俺からは、彼女の表情を伺い知ることはできなかった。しかし、その背中から負のオーラが立ち上っている気がしてならない(俺の気のせいかもしれないが)。
事故とはいえ、俺は彼女の秘密を知ってしまった。それは彼女にとって耐えがたい屈辱だったに違いない。教室での最初の反応がその証拠である。
その後はうまく感情を隠していたが、絶対にバレたくなかったのだろう。最近は比較的オタクに優しい世の中になりつつあるが、それでもまだ風当たりが強いことも事実である。だからこそ、隠してたってところもあるだろうしな。
(それにしても……まだ信じられないな。一ノ瀬がオタクだなんて)
一ノ瀬がオタクだということは今日、初めて知ったし、恐らく他の誰も知らない情報だろう。というか、オタク文化と程遠い位置にいる存在だと思ってたし。
確かに、たまに友人の輪から外れて本を読んでいる姿を見たこともあったが、まさかその文庫カバーの中身がライトノベルだなんて、誰も想像できないだろう。よくある恋愛小説を読んでいるとばかり思っていた。
(どうでもいいけど、足はやっ!)
スタスタと歩いていく一ノ瀬を必死に追いかける俺。何気に歩くスピードが速いんだよな。俺も歩くのは早い方だけど、それ以上である。
オタクって基本的に歩くの早いイメージがあるけど、一ノ瀬もそれに漏れない速さっぷりだ。少しでも気を抜くと置いて行かれそうである。
(しかし、この方向……駅に向かっているのか?)
相変わらずどこに向かうか分からないままだが、一ノ瀬が駅の方角に向かって歩いているのだけは確かだった。
だけど、駅に向かうだけでわざわざついてこいなんていうかな? 脅すだけならあの場でもできたはずだし。いや、もしかするとより人気のない場所で俺を脅す気なんじゃ!? でも、それなら学校の方が絶対都合がいいような……。
迷いのない彼女の足取りに、俺はより一層この状況が分からなくなり始め――。
「ねぇ」
「は、はひっ!」
「なによその返事……」
急に話しかけられたので、思わず声が裏返ってしまった。考え事してたのもあるけど、恥ずかしいものは恥ずかしい。陰キャは基本、話しかけられ慣れてないから、もっと優しく声をかけてほしいものだ。
「な、なんでしょう?」
「名前、なんだったっけ?」
「名前?」
「そう。これまで一度も話したことなかったでしょ? 自己紹介の時発表してた気がするけど、忘れちゃって」
なるほど。だからさっきまで俺の名前を呼んでいなかったのか。納得納得……好きな人に名前を覚えられていないなんて、いくらなんでも悲しすぎる。いや、俺も名前を覚えていない人まだまだいるし、話したこともないからある意味当然か。
もしくは、俺の存在感がなさすぎる方が問題かもしれない。それが理由ならもっと悲しいんだけど……。
心の中だけで肩を落としつつ、俺は自身の名前を一ノ瀬に伝える。
「
「戸賀崎君ね。了解、覚えたわ。私は……必要ないかもしれないけど、一応。一ノ瀬舞よ。よろしくね、戸賀崎君」
一ノ瀬の口から『戸賀崎君』という言葉を聞いた瞬間、名前を覚えられていないことなど、どうでもよくなった。
込み上げてきた感情は純粋なる喜び。そして何事にも変えられない高揚感と共に、身体の芯が熱くなる感覚。好きな人から名前(苗字ではあるが)呼ばれるって、こんなにもテンションが上がるもんなんだな。
思わず「テンション上がってきたぁー!!」と叫びかけたが、寸でのところで言葉を飲み込む。危うく変質者に成り下がるところだった。
「ニヤニヤしてるけど、どうかしたの?」
「……いや、何でもないよ」
顔にはバッチリ出ていたらしい。気持ち悪い人認定される前に俺は表情をいつも通りに戻す。
「ところで、今はどこに向かってるんだ?」
せっかくのタイミングを逃すわけにはいかないと、俺は口を開く。ここまで何も聞かずにきたけど、そろそろ教えてくれてもいいはずだ。
それに、さっきの会話から察するに滅茶苦茶怒っているわけでもなさそうなんだよな。多分、俺の名前を知らないから話しかけずらかっただけだろう。
「……確かに、そろそろ言わなきゃ駄目よね」
「まぁ、流石にどこ行くぐらいは教えてほしいかな。分からないままついてくのは結構不安だし」
「そう、よね……」
「…………」
「…………」
ん? なんだこの意味深な沈黙は。そして、なんだその意味深な表情は。
一ノ瀬の反応に俺は思わず身構える。結構、軽い気持ちで聞いたのにこの反応。も、もしや、かなりまずいことに片足を突っ込んでしまったのでは?
いや、ここまできてしまえば関係のないことだ。一ノ瀬の秘密を知ってしまったわけだし、今更もいいところである。
俺は彼女の次の言葉に備えて、ジッと耳を傾ける。
「実はね……」
「お、おう……」
一呼吸置いた後、彼女はある意味衝撃的な行き先を俺に伝えてきて――。
「男女のペア限定で入場できる、コラボカフェに行く予定なのよ」
「よし、任せろ。例え火の中水の中でも俺はどこへでも……今なんて?」
聞き慣れない、というか想像の斜め上の回答が返ってきた気がするけど。えっと、コラボカフェ? そんでもって、男女のペア限定?
「だから、コラボカフェって言ってるでしょ。コラボカフェ!」
「いやまぁ、コラボカフェは分かるんだけどさ。その答えが予想外でびっくりしたというかなんというか……ちなみに、そのコラボカフェは何のコラボなの?」
「戸賀崎君も知ってると思うけど、最近まで放送してた『からかわれ上手の佐々木さん』ってあったでしょ?」
「あー、あったね。あれ、面白かったな~」
彼女が話したのは、最近まで2期が放送されていた人気アニメのことだ。主人公の女の子が、ひたすら好きな人にからかわれるお話。いつもからかわれる側なのに、時折見せるクリティカルな言動に何度昇天しかけたか。
男の子の東片君も、いい味出してるんだよな~。いつもはからかってるくせに、大事な場面ではちゃんと男の子になるんだから。
「というか、コラボカフェなんてやってたんだ」
「そうなのよ! しかも、駅からそんなに離れてない場所で! というか、アニメ見てるのなら、それくらい知ってて当然でしょ?」
「あっ、はい。ごめんなさい」
勢いで謝ってしまったけど、俺はアニメを見ているだけでグッズとかまで追ってるわけじゃない。知らなくてもしょうがないと思うんだけど……。
って、違う違う。話が逸れてしまった。
「どうして、コラボカフェなんだ? 別にお茶するだけなら無理していく必要もないと思うんだけど」
「私だって単純なコラボカフェだったら諦めもついたわよ。でも……だけどよ!」
そこで一ノ瀬の声のトーンが一段階あがる。
「カフェ内にしか販売されてない、限定グッズがあるって言うじゃない!? これは何としてでも手に入れなきゃってなったんだけど……条件を見て膝から崩れ落ちたわね。まさかの男女のペア限定……確かに、佐々木さんファンには男女のファンが多いのも知ってたけど、まさかそんなオタク発狂ものの条件を付けてくるなんて」
「今どき珍しいよな。批判されてもおかしくない気がするんだけど」
「ほんとよ! だけど、運営が決めた以上私はそれに従うほかない。だから諦めてたの」
……なるほど。何となく話が読めてきた。
「そう言うことだったのね。佐々木さんグッズを諦めてたところに、事故とはいえたまたま俺が現れた」
「うんうん」
「そして、こんな機会はないと思い連れ出したってわけか」
「そうなのよ! 流石戸賀崎君。察しがいいわね!」
ビシッと親指を立てる一ノ瀬。俺も笑顔は浮かべてるけど複雑な気分だ。こんなところで察しが良くてもなぁ……。
それにしても、こんな熱狂的ファンがついてる佐々木さんは幸せ者だろう。……幸せなのだろうか?
「オタクってバレたことが想定外だったけどね。まぁでも、これは怪我の功名ってやつよ!」
「いいのかそれで……」
人によっては再起不能の致命傷だと思うんだけど。まぁ、本人が気にしていないからいいのかもしれない。
だけどなぁ、それにしたって――。
「……意外だよな」
「何が?」
「てっきり、秘密を知られた時点で必死に隠すもんだとばかり思ってたよ。いくらグッズが欲しいとはいえ、誰にも言ってない秘密を知られたわけだし」
俺は思っていたことを包み隠さず彼女に伝える。というか、俺が一ノ瀬の立場だったら必死に誤魔化すと思う。俺がオタクだってバレることとは、またわけが違うだろうし。
「あー、まぁ、確かに隠そうとも考えたわよ。ありとあらゆる脅しをあなたにかけて、絶対に口を割らせないようにしようかとも思ったし」
「さりげなく、とんでもないこと口にするなよ」
「もちろん冗談よ」
とても冗談に聞こえないから怖い。彼女の言葉に背筋を冷やしていると、
「まぁ、実際の所は『別にいいや』って思っちゃったのよね。隠し続けるのが疲れてきたってのもあるけど……戸賀崎君の反応を見て、多分言いふらすような人じゃないって分かったし」
「まぁ、むやみやたらに言いふらすようなことはしないけどさ」
「それに何より、こっち側の人間だってことも分かったしね。同じ趣味を持つ
「おい、滅茶苦茶不穏な言葉を言いかけただろ?」
「気のせいよ。
スッと視線を逸らす一ノ瀬。彼女は認めなかったけど、絶対に使えるって言いかけたぞ。
仲間とか家族って言葉に騙されるほど、単純じゃないぞ俺は。
「というか、グッズが欲しいだけならいつも周りにいる男子どもに頼めばよかったんじゃ? 一ノ瀬さんの頼みなら喜んでついて来てくれるだろ」
「確かについて来てくれると思うけど……ペアって言うところが色々と面倒なのよね~。ほら、私にその気がないのに勘違いされても困るし」
「……俺だって勘違いするかもしれないぞ」
「戸賀崎君なら大丈夫よ。人畜無害そうな顔してるから」
屈託のない笑顔を俺に向ける一ノ瀬。その言葉、そしてその笑顔。俺じゃなきゃ耐えられなかったぜ? 悪気がない分、最も質が悪い。まぁ、最近まで認識すらされていなかったわけで、俺の気持ちなんて知る由もないだろう。
心の中で悲しみの涙を流す俺を他所に、一ノ瀬は話を続ける。
「それに、どうせ行くなら同じ趣味の人と一緒に行ったほうがいいでしょ? オタクでもない人を連れて行ったところで、楽しさは半減だろうし、何より私が心の底から楽しめないもの」
「確かに、それはその通りかもな。好きでもない趣味に付き合わされるほど、つまんないことってないだろうし」
「私も何度か友達に薦めようとしたんだけどね。だけど、それで好きになってくれるならまだしも、否定されちゃったときって結構心に来るじゃない? だったら無理に押し付ける必要もないんじゃないかって」
「この文化って、理解できない人はとことん理解できないからな~」
俺の脳裏に一瞬、とある人物が浮かんできたがすぐに霧散していった。
「私はいい文化だと思うんだけどね。そもそもオタクに限った話じゃないけど、自分の理想を押し付けるって、それはただの傲慢ってやつなのよ」
「オタクの悪いところだよな」
「ほんと。その癖さえなくなれば、もっとうまく人と付き合うことができるのにね」
そういって笑う彼女はどこか寂しげだった。しかし一ノ瀬はその表所をすぐに隠すと、
「まぁ、色々話したけど、とにかく私はコラボカフェの限定グッズさえ手に入ればどうでもいいのよ!」
「さっきのいい感じの話が全部台無しになったんだが?」
ちょっと感動してたのに。俺の感動を返してほしい。
「そんなことで台無しになるくらいなら、きっと大した話じゃなかったのよ。それよりも、早くいかないと限定グッズが売り切れちゃう!」
「いや、男女ペアって中々ハードル高いし、大丈夫だろ?」
「そう思ってグッズを取り逃した過去があるのよ。ほら、急ぐわよ!!」
「ちょ、おいっ! 待てって!!」
駆けだした彼女を慌てて追いかける俺。
しかし、色々と想定外なことが起きている割に俺の心は充実感で満たされていたのだった。
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