第2話 いつもいつでもうまくいく保証はない
「…………」
「…………」
重たい空気が流れる中、俺と一ノ瀬は見つめ合っていた。お互いに滝のような汗を流しながら。
先ほどから、かれこれ3分程度見つめ合っているが、お互いに一言も発することはなかった。
気まずいなんてものじゃない。気まずいなんて言葉で片付けていい状況じゃない。さながら、刹那の見切りをプレイしているかのような緊張感だ(若き日の俺は、結局メタ〇イトに勝てませんでした)。
それにしても、まさか初めて見つめ合ったのがこんな場面だなんて。もっと少女漫画のワンシーンのような、ロマンチックな場面を想像してたよ俺は。
(だけど、こんな状況であっても可愛さは変わらないんだよな)
こんな状況であっても可愛いと思えるほど、一ノ瀬の顔は整っていた。
まつ毛は長いし、肌はシミ一つなく透き通っているようにすら見える。ぷっくりとした唇もサラサラの髪もそうだけど、全ての顔のパーツが完璧なんだよな。
恐らく何の知識もなしに芸能人だと言われれば、全ての人が信じるだろう。流石、数多の男子生徒からひっきりなしに告白されるだけの事はある。
……恐らく、こんな状況でなければもっと可愛いと感じていたことだろう。ものすごく残念だ。
おっと、今はこんな呑気に考え事をしていいタイミングではなかった。もう一度思考を巡らせ、何とかこの状況を突破できる作戦を考える。
(実は中身読んでませんでしたー……ってのは不可能だな。多分、読んでたところガッツリ見られてるし)
その場に鞄を落とすほど動揺してたし、見られていたのは間違いない。この作戦は使えないだろう。とすると、他に良い作戦は……。
(……というか、一ノ瀬が『その本、私のじゃないよ!』って一言、言ってくれればいいのでは?)
これが普段からよく話すような友達なら色々と面倒かもしれない。ただし、今、目の前にいる相手は同じクラスでありながら、全く喋ったことのないクラスメイトである。
これがアンチ一ノ瀬であれば、彼女の秘密がクラス中にばら撒かれていたかもしれない。しかし、俺は一ノ瀬の事が好きなので、彼女の秘密をばらすようなことは絶対にしない(一ノ瀬はこちらの事情なんて、知ったこっちゃないだろうけど)。
後は、彼女のクラス内での圧倒的なカーストの高さもポイントだろう。
皆さんも知っての通り、俺はクラスのカースト的には最下層にいる(自分で言ってて涙が出てきた)。仮に俺がこの秘密をクラスにばら撒いたところで、『陰キャが目立とうとして、変なこと言ってら』程度にしか思われないはずだ。誰にも信じてもらえないだろう。
そもそも、こんなことをしたところで、こちら側にメリットがまるでない。ただでさえあってないような俺の評判が、地の果てまで落ちるだけである。
そうなると、教室は俺にとってものすごく居心地の悪い場所になる。さながら針の筵といったところか。
いくら友達の少なさに定評があっても、俺は比企谷〇幡のようなメンタルは持ち合わせていない。不登校になって学校に来なくなる未来が見える。
とどのつまり、今回の最適解は彼女が本の持ち主であることを否定すること。そうすれば俺も、『あぁ、そうなんだ』と本を元の通り戻しておけばいいわけである。そして、俺はクールに教室から去っていく。うん、この作戦でいこう。
残った一ノ瀬が本を回収しようがどうしようが、俺には関係ないこと。
そして俺は、今日あった出来事を全て忘れる。これで万事解決だ。……まぁこんな衝撃的な事実、忘れられないだろうけど。墓場まで持っていくことになりそうだ。
いずれにせよ、一ノ瀬側にデメリットはない。
『…………』
さて、作戦も決まったことだし、早いところ一ノ瀬から切り出してもらわないと。
それに、あまりこの状況が続くと、俺の精神的にもよろしくない。さっきからキリキリと胃が悲鳴を上げている。望んだわけではないとはいえ、一応、好きな人と見つめ合っているわけだし……。
すると、今まで動揺を隠しきれていなかった彼女が、恐る恐るといった感じで口を開く。
「……見た? その本の中身」
「……見ました」
嘘を言ってもしょうがないので、俺は素直に白状する。まぁ、さっきもいったとおりなので、変に誤魔化すよりは正直に話したほうがいいだろう。
さぁ、ここまでは想像通り。後は一ノ瀬が否定をするだけだ。一言、「私のじゃないよ」と言ってくれるだけでいい。その一言で、お互いがハッピーになれるのだから。
「はぁ、やっちゃったな……どうして今日に限って教室に忘れちゃったんだろ。しかも、まさか中身まで見られるだなんて……」
俺の答えを聞いた彼女は、何やらぼそぼそと呟いている。下を向いているため表情は計り知れないが、恐らく、こんな展開になってしまった自分のミスを悔いているのだろう。
俺だって同じ状況になれば、同じくらい悔やむだろうよ。……俺の場合だと、面白がって周りにばらされそうだから余計に笑えない。
そこで、しばらく逡巡していた一ノ瀬がパッと顔を上げた。
「……どう思った?」
「だよね。一ノ瀬のじゃな……って、はい?」
「だ、だから、どう思ったのかって聞いてるのよ」
予想してなかった言葉が返ってきた。一瞬だけ脳がフリーズするも、すぐに思考を研ぎ澄ませる。
恐らく本の内容もだけど、こんな本を読んでる私ってどう思う? って意味も含まれているだろう。
まぁ、最近でこそオタクの文化は普通に受け入れられ始めているが、アニメや漫画そのものに拒否反応を示す人たちがいるのもまた事実だ。市民権を得たアニメにすら、変な言いがかりをつけるやつらもいるわけだし。
しかし、この質問に対する答えはどうしたものか。ここは正直言うべきなのか、それとも適当に『絵がエロかった』とでもいうべきなのか。
幸か不幸か、俺はこの作品を知ってしまっている。少し考えた俺は、素直に思ったことを彼女に伝えることに。
「いや、まぁ一ノ瀬がこの本を? って感じで驚きはしたけど…別にいいんじゃないか? こういった本を読んでたって」
「本当にそう思ってる? ……変だって思ってるんじゃないの? こんな本を読むのはおかしいって。それで、弱みを握ったあなたは私に『秘密をばらされたくなかったら、俺の言うことを何でも聞いてもらおうか』って迫ってくるのよ。犯〇れることを覚悟した私は、涙を浮かべながら制服を脱いで下着姿に――」
「まてまてまて! しねぇよ、そんな事!」
話がおかしな方向に逸れだしたので、思わず強めにツッコミを入れてしまった。一ノ瀬さんって、意外と妄想癖があるのかな? しかも、結構過激な。思わず想像して鼻血が出そうに……ゲフンゲフン。
にしたって、現実世界でそんなエ〇漫画みたいなことをしたら、俺は普通に少年院にぶち込まれる。どっちみち、人生ゲームオーバーだ。
「別に趣味なんて人それぞれだし、否定できるものでもないでしょ。尚更、それを弱みだなんて思ったりしないし」
「……本当にそう思ってる? 男は皆、ゴブリンなんでしょ?」
疑いの視線を俺に向ける一ノ瀬。男はみんなゴブリンって、パワーワード過ぎる。
エ〇漫画の見すぎだし、ゴブリンさんへの風評被害もいいところである。ゴブリンさんの中にもきっとまともな奴が……いるのかな?
「まぁ、確かにゴブリンかもしれないけど……だからといって、そんなことはしないよ。それにこの作品、面白いしな。熱いバトルがあるからこそ、あのエロい部分も光るわけだし」
その言葉を聞いた瞬間、一ノ瀬の瞳が輝いたのが分かった。同志を見つけたオタクの反応、そのまんまである。
「そうなの、そうなのよ!! この作品はエロいだけじゃないのよ! たしかにエロい部分はこの作品のアイデンティティでもあるけど、あくまでそれはスパイス。熱い戦闘シーンこそ魅力があるわけ!」
「そうそう。イラストだけを見て判断しないでほしいって感じだよな。確かにラノベにおいてイラストは重要だけど、あくまで作品の評価は作者の紡ぐ物語なんだからさ。熱い戦闘シーンもあれば、兄妹・姉妹の物語もある。ほんといい作品だよな」
「あなたよく分かってるじゃない! お互いがお互いに対して想いを抱えて葛藤してるところとか、本当に胸に刺さる……って、あれ? どうしてそこまで知ってるの?」
「だってもなにも、読んだことあるから……あっ!」
慌てて口を塞ぐが、ときすでに遅し。余計なことを、というか言ってはならないことを言ってしまった。驚きの表情で一ノ瀬が俺を見つめている。
もしかするとこの時の俺は、好きな人と話をできている高揚感から、多少なり浮かれていたのかもしれない。
「もしかして……あなたも私と同じ?」
「……キットカンチガイデスヨワタシハナニモシラナイデス。イヤーイチノセサンガコンナホンヲヨムナンテビックリ」
「いやいや、隠し事下手すぎるでしょ。なによその、ラノベでもしないような否定の仕方は」
苦し紛れの嘘も、あっという間に見破られてしまった。多分、動揺して片言になったのがいけなかっただろう(それ以前の問題かもしれないが)。
というか、この状況はよろしくない。俺が陰キャで、しかもキモオタだってことがバレてしまう。……いや、陰キャってことはバレてるか。
ただし、俺がオタクだってことは友人である輝だけにしか教えていない。
堂々と『俺はオタクだ!!』って言えるメンタリティの持ち主ならいいが、もちろん俺にそんなことをできるメンタルがあるわけがない。オタクに対する世間の目は何時だって厳しいのである。
「あなたってオタクだったりする?」
「黙秘権を行使します」
「黙秘権って……まさにそれが答えのようなものじゃない。オタクってことがバレたくないから黙秘する。さっきから思ってるけど、めちゃくちゃ嘘へたよね?」
いよいよ誤魔化しが難しくなってきた。さっきとは別の意味でダラダラと滝のような汗が流れ始める。
俺の平和な学園人生、もはやこれまで……いや、待てよ。これはある意味チャンスなのではないだろうか?
彼女がオタクであることが分かった今、俺がオタクであることを隠す必要は多分ない。
むしろ、ここでカミングアウトをすることによって、一ノ瀬との共通点ができ、仲良くなれるかもしれない。というか、仲良くなれる気がする! これこそ逆転の発想だ。
好きな漫画やアニメを語り合うもよし。一緒に聖地巡礼をするもよし。そして仲を深めていった俺たちはいつしか惹かれ合って……。
「さっきからニヤニヤニヤニヤ……一体何を考えてるのよ」
妄想が顔に出ていたのか、一ノ瀬は心底ドン引きしていた。身体を両腕で抱いて、侮蔑の視線を俺に向けている。
そ、そんなに気持ち悪い顔をしていたのか俺は……。妄想癖は彼女と大差ないのかもしれない。
そして、冷静な人は気付いたかもしれない。人生、そんなうまくいくはずがないと。
同志ではあるが仲良くなれるかは分からないし、オタクというレッテルを貼られて俺たちの関係は終わるかもしれない。
あくまで彼女は、クラスのカーストトップ。俺は最下層。妄想のように、いつもいつでもうまくいくなんて保証は、どこにもないのだから。
しかし、何度でも言おう。この時の俺は浮かれていた。好きな人と話せて、完全に浮かれていた。
だからこそ、カミングアウトこそが最良の選択肢だと疑っていなかったのである。
「で、話が逸れちゃったけどあなた、オタクなんでしょ?」
「……はい、俺も一ノ瀬と同じオタクです」
オタクをカミングアウトした俺は彼女の反応を待つ。きっと一ノ瀬は俺のカミングアウトに再び目を輝かせ――。
「へぇ、そうなんだ。ふーん……」
それは一体どっちの『ふーん』なんだよ!?
あまりにもうっすい反応に、俺は心の中でツッコむ。先ほどまでの高揚感が嘘のように吹き飛び、一気に現実感が戻ってきた。もしや、俺は先走ってとんでもないことをしてしまった?
再びダラダラと冷や汗が流れ始める。想像(妄想)していた反応とあまりにも違い過ぎる。くそっ、オー〇ド博士の言葉を信じてもっと冷静になればよかった。
「…………」
俺のカミングアウトを受け、何やら思案を巡らせる一ノ瀬。彼女が次の言葉を発するまでの時間が、1分にも1時間にも感じた。そして、次に出た言葉は完全に俺の想定外で……、
「ねぇ、この後暇だったりする?」
「……へっ?」
「ちょっと、付き合ってほしいところがあって」
「……まぁ、いいけど」
「決まりね。それじゃあ行きましょ」
「お、おいっ! ちょっと……」
突然すぎる決定に動揺を隠せない俺。一方、鞄を拾い上げスタスタと歩いて行ってしまう一ノ瀬。
(えっ? 何この状況!? というか、一体どこへ行くんだ!?)
頭の中がクエスチョンマークだらけになるも、彼女の真意が読めない以上、取り敢えず付いて行くしかない。
疑問だらけ、謎だらけのまま、俺は慌てて一ノ瀬の背中を追いかけるのだった。
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