06-04
「……それでその、運動会の時の大騒ぎのせいでね、
おじいちゃんたち、すっかり界隈の有名人になっちゃったんだあ。
コンサートどこでやんのお、とかあ、
サインくださあい、とかあ、
頑張ってくださあい、とかあ、
みんな冷やかし気分が半分以上なんだろうけど、とにかくやたら声を掛けられるようになったせいで、俄然やる気が出ちゃってね。
ベヒモーション高まってたくさん練習したいぞ、とかフラワーがいうの。
それをいうならモチベーションだあ、って何回教えても直んないんだよね。
やる気が出てるんだから、まあいいんですけどお。
お年寄りで暇があるからって、こんなだらだら練習やってていいのかああ、ってずっと思ってたから、まあ別にいいんですけどお。
それで真面目にやってくれるのなら。
モテモテになって、みんな若返っちゃうかも知れないしね。
では今日はこのへんで。
おやすみなさい」
ベッドと机の間の、狭いところに。
ここは妹である香奈の部屋だ。
ここで魅来は一人、ICレコーダーを胸の上で握りしめて、つまらなさそうな、表情の薄い、うつろな目で、天井を見上げている。
手の中の、小さな内蔵スピーカーからは、半分割れているような酷い音質で、ギターのコードが流れている。
おそらく香奈の演奏だろう。
「……聞いた? お姉ちゃん、いまの聞いた?
CコードとGコードを、結構上手に弾けるようになったよ。
練習して、だんだんとやれることが広がっていくって気持ちいいよね。
これまで出来なかったことが、出来るようになるということが。
どっかーん、って嬉しさマックス突然くるのもいいけど、じんわりじんわり思わず微笑んじゃうようなのもいいよね。
って実は、いまのわたしの発言、単なる『逃げ』でございまして、
書いてって頼まれているオリジナル曲の歌詞が、作詞が、
全然、
ちっとも、
考えつかないんだよおおおお。
バカ。
バカ。
わたしの脳みその、バカ。
っていうのを、そのまま歌詞にしてみたらどうだろう。
はい、没~っ。
ちゃんちゃん」
妹が日々吹き込んでいた、音声日記を聞いている。
手に握ったICレコーダーの、小さな内蔵スピーカーから、いまにも割れそうな音で。圧縮しているためかラジオよりも酷い音質だが、間違いなく妹の声だ。
前々から、なにやら日記のようなものを、ペンで書かずに録音で残しているらしいことは知っていた。
妹の部屋のドアに近寄って、聞き耳を立てていたこともある。もう、何回もだ。
妹が興奮して大声を張り上げた時くらいしか、はっきり言葉が聞き取れなかったとはいえ、それだけでも日記なんだと判断するには充分だ。
その音声日記を、現在聞いているのである。
勝手に再生してしまうことには相当な躊躇いがあったが、こうして聞き始めてしまうと、止まらなかった。抑えることが出来なかった。
日記はすべて、姉である自分へと話し掛ける形式で記録されている。
本当に聞かせようとしていたのかは分からないが、形式としてはそうだ。
引きこもりの身分特性を生かして三時間半ほどずーっと聞き続けて、ようやく再生が終わった。
もともとレコーダーに差し込まれていたSDカードなので、おそらくは最新の日記ということだろう。
最後の最後は特段のイベントもなく、明日も練習を頑張ろう、と地味に普通に終わっている。
それはそうだ。
まさか翌日に、溺れかけた犬を助けようと川沿いの道路を走って自動車にはねられて死ぬ、などと思うはずもないからだ。
ICレコーダーが入っていたのと同じ引き出しに、SDカードが他に何枚かあったので、適当に選んで、差し替えてみた。
電源を入れて、再生ボタンを押すと、また床にごろりと横になった。
小さな、質の悪いスピーカーから、また、妹の声。
「九月二十八日。
今日から、こうやって声で日記をつけることにしました。
紙に書くよりも、はっきりとした感情が出ると思うから。
でも始まりである今日は、日記というよりは、お姉ちゃんに伝えたいことなんだ。
お姉ちゃん。
あのね。
わたし、決めたから。
強く生きるって、決めたから。
笑って生きるって、決めたから。
だって、
もしもわたしが強いなら、
もしもわたしが、強いわたしなら、
辛いことがあった、泣きたいことがあった、なんてきっと思わない。
そうでも思わないと崩れちゃう、とか、そんなんじゃないぞ。
絶対。
わたしは、強い。
お姉ちゃんは、もっと強い。
強いんだ。
わたしたち二人は、
誰にも、
絶対に負けないんだ!
世界最強なんだ!
だから必ず……」
停止ボタンを押しながら、がばっと勢いよく上半身を起こしていた。
どきどき鼓動する胸を、右手でそっと押さえた。
ふーっ、
ため息を吐きながら、額に手をあて髪の毛を掻き上げた。
ICレコーダーの電源を切り、カバーを開け、SDカードを抜いた。
カードに貼られているラベルシールにボールペンで書かれている日付を確認する。
先ほど香奈がいっていた通り、九月二十八日からのものだ。
ただし、去年のだ。
つまり、
そんな頃から、こんな日記をつけていたのか。
こんなことを、いっていたのか、あいつは。
こんなことを、思っていたのか、あいつは。
あんな目にあって、
嘆き、恨み、死にたくもなったに違いない。
落ち込み、後悔し、思い出してはどうにもならず、すすり泣いていたに違いない。
でも、戦っていた。
その間も、戦っていたんだ。
立ち直ったから、ではないだろう。
立ち直れていないからこそ、立ち直るために、こんなことをして、戦い続けていたんだ。
先ほどまで自分が聞いていたのは、つい最近の日記。世の中は楽しいんだ、と訴えたいような明るいものばかりだったが、それも戦いだ。
そして、いま聞いたばかりの(辛くて耐えられず再生を停止してしまったが)、これは、まったく違うもの。
自身への宣戦布告、決意表明、
まだ、あのことがあってからの、記憶も感情も整理できていない状態のはずなのに。
どれほどの決意で、こんなことを始めたのだろう。
どれほどのことを、この音声日記であたしへと伝えたかったのだろうか。
分からない。
あんまり分かりたくもない。
気分がすっきりすることなど、どう転ぼうとも絶対にないからだ。
ふと、部屋のすみに置かれている楽器が視界に入った。
合成皮のケースの上に置かれたエレキギターだ。
弦がすべて切れている、ボロボロの傷だらけになっている、オレンジ色のエレキギター。
あたしが、これを振り回して、殴ったのだ。
香奈の頭を、ぶん殴ったのだ。
突然、部屋に入り込んでくるから。
楽しそうに、ギター弾いているから。
助けようと、してくるから……
自分こそ本当は泣きたいくせして、笑いながら、あたしのことを、助けようとしてくるから! ……だからっ!
魅来は、上体だけ起こしたままで、這い寄るようにギターへと近付いた。
手を伸ばし、ネックを掴み、持った。
オレンジ色の、先端が二本角のカブトムシみたいな、エレキギター。
ずしりとくる重さを膝で受け、冷たく硬い感触を撫でているうちに、
ぐ、
不意に呻き声が漏れた。
その呻きに感情の糸を切られたか、
泣き出していた。
ぐ、
くっ、
抑えようとするが、どうしても止まらなかった。
涙がこぼれていた。
カーペットに爪を立て、かきむしり、
嗚咽の声を漏らし、
いつまでも、むせび泣き続けていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます