04-03

 ちょっと寂しげな顔のまま、自分の部屋に入り、そっとドアを閉める。

 日の暮れかけて薄暗くなった部屋の中央に、呆然としたような顔で立っている。


 ふーーーーっ。

 長いため息を、吐いた。


 小柄な身体にはちょっと不釣り合いな、茶色の合成皮ギターケース。

 肩に掛けて背負っていたのを、下ろしつつ回して身体の前へ。


「元気、元気、元気な子ならどうする。元気な子ならどうする」


 小さな声でぶつぶついいながら、ケースの持ち手を握って、目の前に掲げまじまじと見つめる。

 そんなことをしているうち、いつの間にか、顔にじんわりと笑みが浮かんでいた。

 ぶるぶるっと身震いすると、


「ついにマイギターがきたーーーっ!」


 叫んでいた。

 大きな声で叫んでいた。

 うおおーっ、と右拳を突き上げた。

 そーっと下ろしたかと思うと、もう一回突き上げた。


「さっそくっ、さっそく開けちゃうっ!」


 興奮を隠さず、さっと屈んでケースを床に置くと、チーーッとファスナーを開いていく。間違っても破損させてしまわぬように、ゆっくりと、ゆっくりと、早く開けたいけど、ぐっとこらえてゆっくりと。


 中に閉じ込められていた東京の空気とともに、ギターのにおいが部屋に拡散した。

 ギターのにおい、といってもどんなにおいか分からないが、なにかしらの成分が部屋に広がったことに間違いはないだろう。ギターではなく、皮ケースの内側のにおいかも知れないけれど。


 開ききると、ファスナーに擦れて表面に傷がつくことがないように、そおーっと中のギターを取り出した。

 オレンジ色の、ギターを。

 ストラトタイプの、ギターを。

 わたしの、ギターを。

 ついに、買ってしまった、わたしのギターを。


 ちょこんと床に正座して、

 太ももの上に乗っけて、

 手を添えて、

 見た目や、

 ずっしりくる重さ、

 質感、

 冷たさ、

 などを地味に楽しんでいたかと思うと突然、ガバッと身を伏せて、空っぽになったギターケースに顔を押し当てて改めて合成皮のにおいをくんくん嗅いでみたりなんかして。


「わたしは変態かあああ!」


 ざざんっ!

 上半身起こすなり弦を強く弾いて、自分のアホな行動にオチをつけてみたりなんか。


 気を取り直して、両手に抱えたギターをまじまじと見つめてみる。

 買ったばかりだから、いたるところキラキラしている。

 顔が映り込みそうなくらいに、ピカピカしている。

 トーンやボリュームのつまみをつまんで、にゅるにゅると回してみる。アンプを繋げていないから、なんの意味もない。知ってる。分かってる。


 シールドケーブルを繋げるためのジャックを確認してみる。

 6.3ミリの、現代一般家庭の音響機器ではまず見ることのない大口径ソケット。要するにイヤホンプラグのオバケ。大昔はこのサイズがオーディオ用として当たり前だったらしいが、中二のわたしが知るはずもない。


 ここに、この穴に、コードが刺さって、反対側にアンプが繋がるんだよなあ。

 当たり前のことなのに、想像するだけで楽しい。


 楽しいついでに、弦をびーんとつまびいてみる。

 エレキギター単体であるため、当然ながら音はまったく響かない。単に金属のワイヤーがぶびーんと震えただけだ。


 アコースティックギターと違ってエレキギターには音を共鳴させる部分がない。拾った振動を電気的に増幅して、始めて大きく響く音を出すことが出来るのだ。

 単体では、演奏の練習にしか使えない。ポーズ決めてかっこつけてみる練習をするくらいにしか使えない。


 どんな音が、出るんだろう。

 魂を腕に込め、ピックを持った指先に込め、振るい、弦を弾き、生じた振動が、どう電気信号に変換されて、電気信号がアンプに送られて、増幅されて、それが果たして、スピーカーからどんな音になって飛び出してくるのだろう。


 わたしが、このギターと共に作る音が、どんなふうに空気を、鼓膜を、肌を、心を、震わすのだろう。

 買う前にお店で試し弾きはしたのだけど、緊張していたから記憶もうやむやだ。


 練習場の酒屋倉庫では、

 フラワーたちバンド仲間との演奏では、

 このギターは、一体どんな音を奏でるのだろう。

 どんなふうに、自分を主張するのだろう。

 それが、わたしをどう変えていくのだろう。


 わくわくする。

 早く、合わせてみたいな。

 ベースやドラムと。

 早く、会ってみたいな。

 そんなことしている、自分と。

 いや、まあ、借りたギターでは、もうさんざん弾いているけど、この、買ったばかりの自分のギターでさ。


 にやにや笑みを浮かべながら、まるで幼い我が子のようにしっかりギターを抱えて、立ち上がる。


 腕にずしりとくる重さをそのまましばらく楽むと、やがてベッドに腰を降ろした。

 購入時に無料で一枚付けてくれたピックを取り出して、適当に弾いてみる。

 指で弾いた時と同様、音はまったく響かない。

 響かないものだから、ついつい調子に乗って、


 じゃん じゃじゃ じゃじゃんじゃん、

 じゃん じゃじゃ じゃじゃんじゃん、


「へーい!」


 叫びながら腕を振り下ろす。

 その瞬間、ピック割れた。


「うええーーーーっ。ピックってこんな簡単に壊れちゃうものなの?」


 知らなかったあ。

 特に乱暴な弾き方をしたわけでもないよお。

 安物だったのかな。

 サービスで貰ったものだから、文句はいえないけど。

 謙斗くんがいっていた通り、何枚か買っておけばよかったなあ。愛着を持ちたいから一枚でいいんだ、って突っぱねちゃったからな。

 どこで買えるのかな。

 コンビニじゃ売ってないだろうな。

 そのために東京に行くのもな。

 横浜で買えないのかな。

 通販で買えばいいのかな。

 張替え用の弦は一式買ったけど、それだけじゃ不安になってきた。もう一式、ピックと一緒に買おう。今度、謙斗くんに相談しよう。


 とりあえずは仕方ない、指で弾いておこう。

 でもまあ、自分のでよかった。練習場で、マッキーのピックを壊さなくてよかった。

 マッキーのは安物じゃないから簡単に壊れなかったのかも知れないけど、それだけに割っちゃってたら弁償に幾らかかってたことか。多分お金いらないとかいうだろうけど、そうはいかないからな。


「ええと、では」


 買ってきた教本を自分の脇に置いて、適当なページを広げた。

 Gコード、の説明が乗っているページだ。


「苦手なんだよな、このコード」


 簡単とかいってる人の気持ちが理解出来ない。猛勉強しといて全然やってないとかいうタイプの人が、そういうこというんだよきっと。


 苦手だけど、

 でもページ開いちゃったからな。

 せっかくの初ギターにケチがついてしまうから、やるしかない。


 図説の通りに指で弦を抑えて、右手をスナップきかせて振るう。


 ざん、

 ざん、

 あれ、予想していたより、悪くないのでは。

 まあ初心者だしい、ピックじゃないしい、あまり綺麗とも上手ともいえませんけどお、でも、それほど悪くもないんじゃないだろうか。

 苦手苦手思って避けてたけど、総合的な技術が上達していたのか、それともこのギターとわたしの相性がいいのだろうか。

 きっと両方だ。


 と、ちょっと満足げな顔になって、ちょっとだけ手を休めてから、もう一度チャレンジ。


 じゃがっ、

 びんっ、


 同じように手を動かしたはずなのに、今度は最悪な不協和音。何故だ。

 いいや、いちおうやったし次っ、と教本のページをまた適当に開いて別のコード。


 うお、Bコードかっ。

 なんでこんなのばっかり。

 ええと、

 指を、

 こうやって、と、抑えて、

 ちょっと辛いけど我慢して、

 このまま、このままで、

 右腕を、下ろす、

 弾く。


 ざん

 ネックを抑える手をじゅいっと少し先端へとスライドさせて、もう一回、

 ざんっ

 ざんっ


「うーん。音がどうこうよりも、指が痛くなってきたぞ」


 ピックなしで直に指で弾いている右手よりも、むしろ弦やフレットを押さえている左手の方が。


「手が小さいのかな、わたし」


 まあ、クラスの他の女子と比べてもかなり小柄な方だし、手が小さいのは間違いないのだろう。

 Bコードは指がつりそうになるけど、でも指はそんなに広げないからなんとかなりそうでもあるんだけど、Gなんかは小さい手には厳しいな。

 慣れれば慣れるのかも知れないけど、無茶して広げて、骨が変な方向に成長したりしないだろうな。


 小学生向けの教本なんか、あるかないか探してみれば良かったな。ギターの大きさが同じなんだから、小さい手でどう弾くのかというテクニックについて触れているかも知れないし。


 って、あれ本当にサイズ同じなのかな。それとも、オモチャでない本格的な子供用ギターというのも、あるのかな。

 まあ、いまさらだ。

 このギターでやるしかないのだ。

 もう海賊船カナ号は二度と帰らぬ夢幻への旅に出航したのだあ。

 無理なく出来るコードから、ちょっとずつ覚えていこう。現代の海賊としては、無理せずコツコツ。

 まあ、そのうち自然に指も広がるだろう。

 買ったこの教本では一切触れてないけど、マッキーに教えて貰ったパワーコードとかいう二つだけ押さえるコード、あれをマスターしてから普通のコードを覚えた方がいいのかな。単純な割になんだか指が痛くなるから、避けてたけど。

 普通のコードと、並行で覚えていくか。

 ならばまずはとりあえず、普通のコードCコードっ、


 ざん

 ざん

 ざんざーんざん、


「うーん」


 じゅいじゅいとワイヤー擦る音が出ているだけで、いざアンプを繋げた時にどんな音が鳴るのかまったく想像がつかないんだけど。

 慣れてる人なら分かるのかな。

 このギターに、これこれこんなエフェクタ繋げて、こんなライブハウスの作りだと、反響具合考えてだいたいこんな音だよなあ、とか分かるのかな。


 ベテランには分かるとしても素人のわたしには無理そうなので、だったらやっぱりアンプも一緒に買っておけばよかったかな。

 オモチャみたいな、一番安いのでいいから。

 自分の部屋でも、小さい音に絞ればそんなに迷惑でもないだろうし。


 そうだ、ヘッドホンをつけるという手だってあるじゃないか。確かアンプに、そういうの差すところがあったはずだ。

 でも、もう買い物は済ませてしまっているからなあ。お父さんに、追加のお願いもしにくいよなあ。

 思い切って、お小遣いの貯金で買っちゃおうかな。


 ちょっと厳しいけど、

 張り替え用の弦とピックと、一緒に買っちゃおうかな。


 まあ、そういった話はあとあと。

 とりあえずのところは、最初の予定通りに練習場のアンプに繋がせてもらおう。マッキーのアンプに。

 ダブルギター体制とか、バンドの今後によっては改めて考える。


 って、あれ、もしかしたら、サイドギターというのがつまりダブルギター?

 サイドギターを担当するといいよ、とかいわれて、それで御茶ノ水にギターを買いに行くことになったんだけど。


 こんなことも分からない初心者が、ギターなんかやってていいんだろうか。

 やっぱりパワーコードかなあ、とかいっちょ前のこといってていいんだろうか。


 いいのだ。

 とにかく、突き進むのみ。

 とりあえず、マッキーのアンプを拝借して。

 そうこうしているうちに、謙斗くんの知り合いとか、マッキーの知り合いとか、お古のアンプを安く譲ってもらえるかも知れないし。


 とにかく練習だ。

 せっかく買ってもらったギターなんだ。

 無駄にせず、己の糧にするぞ。なんの糧だかよく分からないけど。


「よおし、頑張るぞーっ!」


 おーっ、と自分の言葉に自分で応じて、勇ましく右拳を突き上げた。


「受験勉強もしっかりやるぞーーっ!」


 おーっ!

 そんな自分の無意味なハイテンションっぷりに、なんだかじわじわとおかしくなって、吹き出してしまった。

 吹き出して、そして、大爆笑。


 しばらくお腹をおさえて笑い続けていたが、やがて笑いもおさまって、お腹の痛いのもおさまると、抱えてているギターの弦を、びいんと適当に弾いた。


 なにを、しているんだろうな。


 不意に、心の中でそんな台詞を呟いていた。


 本当にさ、なにをしているんだろうな、わたし。

 ここで、こんな楽器なんか持って、こんなことしていて。

 なにを、やっているのだろう。

 なにを、めざしているのだろう。

 そもそもわたし、どんな人生を送りたいと思っているのかな。

 なんだか他人事みたいだけど。

 一人で大笑いしていた反動で、なんだかそんなこと考えちゃうよ。

 こんなことしながら、

 自分に頑張れ頑張れっていい続けながら、

 なにをめざして、

 なにをやって、

 どんな人生を送って、

 そんなことしながら、時が流れて、

 一年後、

 五年後、

 十年後、

 五十年後、

 その時その時の、わたしのそばには、誰がいて、わたしはなにをしているのだろう。

 幸せに、なれているかな。

 ……なれるのかな。

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