第4章 ギ夕キ夕ー

04-01

 さすがは東京というべきなのか、まあうるささ半端でない。

 交通量も我がしきとは桁違いに凄いし、通行人の数だってとんでもない。


 あまりのうるささに、声を大きくしないとまるで声が通らない。

 だからみんなが大声を出すので、余計にうるさくなって、もっと大声を出さなければならないのではないか。東京はそんな循環で無限に騒音レベルが上昇していくのではないか。

 もう十一月、すっかり冬も近くなって肌寒いくらいだというのに、このうるささと戦っているだけで暑く熱く厚くなってしまう。あいや最後のは間違い、むしろ薄くなる。


 地元から出たのがあまりにも久しぶりなもので、世の中にはこんなところもあるのだということをすっかり忘れていた。

 東京都。地図で見るとすぐお隣さんだというのに、こうもまったく世界が違うとは。


 っと、そんなことよりも、買い物に集中だ。

 もしかしたら一生に一度の買い物かも知れないのだから。


「これ軽そうでいいんじゃないか?」


 野田謙斗が、ずらり立て掛けてあるギターのうち、オレンジ色のを指差した。ヘラクレスオオカブトのように二本の角がにょっきり突き出ている形状のものだ。


 ここは楽器店。

 高塚香奈は謙斗と一緒に、東京は御茶ノ水を訪れているのである。

 うーん、と香奈は渋い表情を作る。


「重くてもいいから、デザイン重視で選びたいなあ」

「だから、どんなのが好みよ?」

「だから、それが分からないから困ってるんじゃないかああ」


 と、香奈の悲痛な訴えを、自動車の重低音がさらっていく。

 ここは建物の中ではあるものの、一階は扉が全開放されているため、外の音がまあうるさいことうるさいこと。

 知らずに大声になってしまうわけだが、それでもよく聞こえず伝わらず。知らず謙斗と密着してしまい、はっと気付いて離れて、聞こえず近付いて、延々と繰り返している。

 「二階はそれなりに静かですから、気に入ったのがあったらそこで試してみて下さい」、と店員にいわれているが、その気に入ったのをなかなか探すことが出来ずに、だらだら時間ばかりを費やしてしまっている。


「色は、こういう赤いのがいいんだけど。ああでも、隣の、蛍光の黄緑色も面白いなあ」

「まずは持ってみるんだよ。そのために、こうして手に取れるようになっているんだから。重さや形、つまり身体にしっくりとくるの優先で、いくつか候補出ししといて、その中から今度は見た目の好みで絞っていくんだよ」

「そうなの?」

「さっきも同じこといったぞ」

「そうだっけ?」


 覚えてない。うるさいからなのか、ギターを見るのに集中してたからか分からないけど。

 とにかく、そういうものだというのなら、そうやって探してみるけど。

 うーん。

 と、また渋い表情になって、中腰のまま横移動、目の前に並んでいる商品へと視線を投げていく。


「どれを、まず手に取ってみるべきか」


 うーむ。


「端っこから取ってけばいいだけだろ」

「ああ、そうか」


 いわれてみればその通りだ。

 ここ、シムラ楽器店は、エレキギターとか、エレキベースとか、シンセサイザーとかMIDI機器とか、そういうものを専門に扱っている店、つまりバンド向きの楽器店だ。

 香奈はここに、エレキギターを買いにきたのである。


 きっかけは、先日行われた中学校での運動会。

 商店街のヘビメタ老人たちがヘビメタルックで校庭に乱入して楽器を掻き鳴らすという騒動を起こした件は前章に記したが、それによって、彼ら「シャドウオリオン」の存在が、一気に知られることになった。


 一気もなにも、自分の家族にすら内緒にしていたのだから、知られた以上は一気なのは当たり前というものであるが。


 練習場である酒屋倉庫の周囲を、フェイスペイントをしたまま平気でうろついていたため、これまでは、知る人は知っているがでもよくは分からない、という幽霊のような存在だった。都市伝説とまではいかないまでも、そんな下地があったものだから、認知あっという間で、当然メンバーの中に香奈がいることも知られてしまう。

 もちろんそのことは香奈の両親にも知られてしまう。


 知られてしまうが、

 しかし両親の反応は、ちょっと予想外だった。


 断固反対せいぜいが黙認、と思っていたら意外と積極的で、「受験勉強も大切だが、楽器をやってみるのも悪くないんじゃないか」


 おそらくは、メンバーが商店街の老人ばかりということが大きいのだろう。同年代や少し上の、いわゆる若者ましてや男性だったならばきっと反対していたはずだ。


 ともかく、活動容認どころか、常識の範囲で購入出来るような価格の楽器を、一つ買ってくれることになった。


 まだ、どの楽器を本格的にやるか決めていなかったので、バンド仲間である老人たちに相談し、サイドギターを担当することになった。

 つまり買ってもらう楽器をエレキギターに決めたのだ。


 決めたはいいが、どこでどんなものを買えばいいのか、さっぱり分からない。

 どこで売っているのかも知らない。商店街でも見たことない。コンビニでも文房具店でも見たことない。

 そこで、野田謙斗に付き合いをお願いして、一緒に御茶ノ水まできたというわけである。


「これかなあ、やっぱり」


 と、香奈が両手に持ってみたのは、

 ストラトタイプ、つまり二本角が特徴のギター。

 オレンジのボディで、ネックの根本付近だけが木目調プラスティックになっているデザイン。

 先ほど、軽くていいんじゃないかと謙斗が推していたものだ。


「悪くないけど、こっちの方がいいんじゃない?」

「え、え、謙斗くんがこれ勧めたんじゃんか」

「だって、それじゃないのがいいっていうから」

「うん、なんか見た目が気に入ってきた。そうなると、軽いし、持ってみて馴染む感があるし、だからこれに決めた」

「そんなら、まあいいけど」


 店員にお願いして、店舗二階でパワーアンプに繋げて実際の音や感触を試し、購入を決断した。


 なお、パワーアンプやエフェクターの類は買わなかった。ギター単体、ケース、交換用の弦のみだ。


 アンプは自宅で使うにはうるさ過ぎるし、とりあえずはマッキーが使っているのを借りればいいだろう。

 エフェクターは、まだ「自分好みの音が」とかそういう域まで技術も耳も達していないので、無駄な買い物になりそうな気がする。

 と、そのような理由で。


 ギターと一括でないと、後からでは買ってもらえなさそうな気もするが、だからといって出してもらう身として不要かも知れない物を買うのも忍びない。

 そういう理屈からすると、このギターは絶対に埃をかぶらせてはいけないわけだが。


 なお、自宅まで安価で配送可ということだが、利用はしなかった。安価ではあっても無料ではないし、それよりなによりケースを担いで外を歩いてみたかったので。

 電車が混雑していたらどうしよう、という不安はあるが。


 茶色い合成皮のギターケースを背負っているバンドマン、誰もが映像や雰囲気をイメージ出来るある意味で定番といえる格好であるが、まさか自分がそうすることになるとは考えたこともなかった。

 生きていると、なにが起こるか分からないものである。


 さて、無事にギター購入も済ませ、お店の外に出たが、まだ午後一時、太陽は高い。

 出かける前に自宅で軽い朝食をとったきりなので、すっかりお腹がすいてしまっていた。


 ギターケースを担いだまま、神保町まで坂を下って、古本街にある欧風カレー店に寄った。

 よく知らんけど有名な店らしいよ、と謙斗がいうので。


 有名店にしては、それほどは混んでおらず、

 どうなんだろう、と一口食べてみてびっくり。家庭で母が作る市販ルーのカレーと、あまりに味も食感もなにもかも違うので。


 これが本格的なカレーなんだあ、と、しみじみ感動した後は、

 近くの書店でギターの教本と、ちょっと背伸びしてバンド系の雑誌を買って、敷渡への帰路に着いたのだった。


 電車がちょっと混み始めており、ギター折れないか焦ったけれど。

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