03-05
「といってたあの言葉はなんだったんだああ!」
香奈の悲痛な叫びは、むなしく青い空と喧騒に吸い込まれるばかり。
「いやあ、いったことを忘れていたわけじゃないんだけど、やっぱり応援するならこの格好かなあ、ということで」
と頭を掻いて笑っているのは奥野正二さん。いや、今はフラワーと呼ぶべきか。呼ぶべきだろう。
何故ならば、
白塗り顔の中央に黒く大きなコウモリマーク、
ぴっちりテカテカ黒革の上下、
ドクロのネックレスに、
鋲付きのベルトからは、鎖がジャラジャラぶら下がっている、
変身後の姿だからである。
ここは、中学校の校庭だというのに。
フラワー一人ではない。
その隣には、やはり白塗り顔面、左目の周囲に星マーク、ぼわっとしたライオン頭の徳重秀夫さん、いや、マッキー。
さらに隣、同じような格好をしているジミーとキッズ。
ここは、中学校の校庭だというのに。
「きたるべき日に備えて度胸を鍛えておきたい、というのもあるしな。いざという時に恥ずかしくないように」
マッキーは腕を組んで、道理に一人うんうん頷いている。
「はああああ? そもそも全然恥ずかしがってないじゃないかあ。むしろ恥ずかしいのはこっちの方だああ! 先生も、なんだってこんなのを入場させたあ! このご時世に、セキュリティ甘いぞお! ……四百メートルの結果がボロボロだったらマッキーたちのせいだああああ!」
はっと気づいたように、口を閉ざし、周囲を見回すと、生徒たちも、保護者たちも、周囲のみんながみんなこっちを見ている。
目を丸くしている者、指を差して笑っている者。
まあ、そういう反応にもなるだろう。
中学校の校庭にこんなのが四人も揃えば。
そうならない方が、世の中が異常だ。
しかし、異常だろうが正常だろうが、恥ずかしいのはわたし。
恥ずかしすぎる、
恥ずかしすぎる、
「恥ずかしすぎるうう!」
わたしが一体なにをしたというのか!
最悪だああああ!
香奈は、がくりうなだれ長いため息を吐いた。
さて、中学校の校庭に、どうして生徒以外の者がたくさんいるのか? 答えは簡単、今日は香奈の通う中学校の、運動会の日なのである。
従って周囲には、香奈と同じく白シャツに青い短パン姿の生徒たちがうじゃうじゃといる。
我が息子、我が娘を応援しようと訪れた、たくさんの保護者たちがいる。
顔面ペイント黒革に鎖ジャラジャラの老人が四人もいれば、「なんだなんだ」「一体なんのコスプレだ」と、好奇の視線に晒されるのは必然というものだろう。
単なる老人ならいざ知らず、みながみな九十近い超高齢老人ともなれば、なおさらだ。
このヘビメタ老人たちの身内に、現在この中学校に通っている生徒はいない。ならば何故ここに彼らがいるのかというと、仲間の応援だ。
バンド仲間である香奈、いやカナの。
なお、香奈の両親は来ていない。日曜日であるため仕事はないはずだし、去年は両親とも応援に駆け付けてくれたのだが。
香奈が推測するに、長女があのような状態なのに、という後ろめたい気持ちがあるからだろう。
先月の授業参観には参加してくれたが、このようなお祭り的な要素のある催しには行きにくいのだろう。
友達の親はみんな来ているため、まあ寂しくはある。
「仕方がないのは分かるけど。……だからといって代わりがこれ、というのもあんまりじゃないかあ」
ちらり老人たちの悪魔的な姿を見て、またため息。
「おれもいるじゃないか。って、なんの話かよく分からないんだけど」
幼馴染の野田謙斗が、ハンカチで手を拭き拭きやってくる。トイレに行っていたのだろう。
高校の体育祭はまた別の日で、今日は単なる日曜日であるため、彼も老人たちと一緒に香奈の応援に来ているのだ。
確かに、この集団の中では一番というか唯一まともな存在ではあるけれど。
「いないよりは、マシだけど……」
でも、いるからって、だからなんなんだ。
謙斗くんは例えどんなに恥ずかしかろうと、別にここに通ってるわけじゃないんだから関係ないじゃないか。開き直れるじゃないか。
この学校の生徒でこの人たちに囲まれてるのって、わたし一人じゃないか。
そうだよ、地球には何十億もの人間がいるのに、ここの生徒でいまこんな目にあっているの、世の中でわたしだけじゃないか。
恥ずかしさ独り占め。全然嬉しくないっ。
心の中で、ぶつぶつぐちぐちこぼしていると、
ざりざりっ、
と、朝礼台横にある本部テントのスピーカーから音が。続いて女子生徒の声が、半分割れた酷い音で、
「この後の、女子四百メートル走に出場する生徒は、掲揚台の前に集まってください。繰り返します。女子四百メートル走に出場する生徒は、掲揚台の前に集まってください」
ざざ、ざりざりっ。
ほっ、と香奈は胸をなでおろした。
やっとこの場から離れられる大義名分が出来た。
「じゃ、わたし行くけど、それ以上、変なことしないでくださいね」
釘を刺した。
「え、それ以上も以下も、ぼくたち別になにもしていない」
白塗り顔のフラワー、抗議というよりは単純な疑問の言葉だろうか。
「その格好で神聖な学校の校庭にいることが、充分に変なことでしょ!」
踵を返すと、体操服の裾を両手でつまんで直しながら、掲揚台へと歩き出す。
まったくもう、と不満の声をぶつぶつと吐き出しながら。
「高塚さん、なんか、凄いね」
二つ隣のクラスの
並べるといっても、香奈の方が頭一つほど低いが。
「いや、あの、その、た、他人っ! 近所の商店街の人たちらしいんだけど、わたしの顔を見たことあるというだけで、話し掛けてきたんだよお」
「ふーん。仲が良さそうに見えたけどなあ」
「冗談も休み休みいいたまえ、君いっ!」
肩で体当たり。を、ひらりかわされ、ととっとよろけて、ごまかし笑い。
そんなことをしているうちに、掲揚台に到着だ。
女子の群れの中で体育座りし、緊張しながら男子四百メートル走が終わるのを待つ。
男子全員が走り終えて、女子の番が来た。
第一走者が走り、第二走者が走り、いよいよというか、ついにというか、香奈たち第三走者の番が来た。
それぞれスタートラインに着く。
香奈は第一コース。一番内側だ。
緊張する。
走るのは得意だけど、それと緊張するしないは別の話。
心臓、ドキドキだ。
どうせなら一番外側のコースならよかったのに。
走る距離は同じだというのに、内側だとみんなの背中ばかりが前方にあって、絶望的な気持ちになってしまうから。
大丈夫。
大丈夫だ。
自分を信じろ、香奈。
あの妙な応援団が妙なことしてこない限り、きっと勝つ。
釘は刺しておいたから、問題ないはずだ。
集中、集中、集中だ。
不安をごまかすために心の中でぶつぶついっていると、やがて、
「位置について!」
スターターの女子生徒が、ピストルを天へと構えた。
いよいよだ。
ごくり、
香奈はつばを飲んだ。
クラウチングスタートの姿勢になると、顔を軽く持ち上げて、前方を睨むように見る。
意識を、集中させる。
そして、
ピストルの音が、空気をつんざいた。
スタートだ。
みな一斉に走り出す。
腕を振る。
香奈も懸命に腕を振る。全力で、空気を掻き分ける。
焦っていた。
どうやら出遅れてしまった、ということに。
しっかり集中していたし、ピストルと同時にしっかり地を蹴ったつもりだったのに。
トラック競技のため僅差だと現在の順位が分かりにくいが、おそらく四人中の三位。
きっと、さっきの件があったからだ。
あんなのに囲まれて恥ずかしーーっ、という気持ちで畏縮してしまったんだ。
でも、
ここから挽回だ。
そうだ。
走り出したら、なにをいっても言い訳になる。
頑張るだけだ。
がむしゃらに走るだけだ。
いくぞお!
まずは、一人っ。
第三コースを走る遠藤茜の、真横に並んだ。
香奈は一番内側なので、これで二位に立ったことになる。
次だっ!
と、恥ずかしい気持ちを完全に振り切って、トップへと怒涛の追い上げを見せる香奈。
だがしかし、
ここでまた、香奈を羞恥の極みに落とし込むような出来事が起ころうとは。
見なければよかったのだが、ついちらり横目を動かしてしまったのだから仕方ない。
何事かというと、フラワーやマッキー、バンドメンバーの老人たちが、そんな大きなものを一体どこに隠し持っていたのか、なんと楽器の演奏を始めたのである。
ぎゃあああああ!
香奈は心の中で絶叫していた。
な、なにやってんの、この人たちーーーっ!
ギターはともかく、ドラムセットなんてどうやって持ち込んだあああ!
もちろんアンプのための電源などは取れず、ここまで距離があるためドラムのジャスジャス叩く音くらいしか届いてこないが、どう見ても、四人でジャカジャカと乱れ弾いて騒いでいることは間違いなかった。
彼らの周囲が驚きにざわついている。
全力で走りながら、遠くを横目でちらり、でも充分過ぎるほどに分かる、ざわついているのが分かる。そりゃあざわつく、当たり前。
他人。
他人。
他人。
頼む。呼ばないでくれ。
せめて、わたしの名前を呼ばないでくれ。
ゴールに着くまでは。
いや、ゴールに着いた後も。出来れば金輪際。
「へーい、カナ!」
呼ばれたあ!
知り合いだと思われてしまうじゃないかあ。冗談はやめてよマッキー! というか誰ですかあ、あなたたちはあ。
うお、抜かれたあっ!
茜ちゃんに抜き返されたっ。
一位どころか三位になっちゃったじゃないか!
ああああ、もう駄目だあ!
脱力しかけながらも、なんとか全力で腕を振り、足を回し、
全力疾走ではあるが、コンマ何パーセントだかの余力で、ちら、とまた演奏している老人たちへと視線を向けた。
睨んでやる。
せめてもの抵抗、睨んでやるう。
そういうつもりの、ちらりだったはずなのだが、
しかし、これはどうしたわけだろうか。
笑っていた。
老人たちを見る香奈の顔には、笑みが溢れていた。
自分でも理由は分からないが、なんだか楽しい気分になっていたのだ。
ぶんぶん腕を振るいながら、再び遠くへ横目を向ける。老人たちが動き出したような気がして、気になったのだ。
動き出したのは、マッキーである。
香奈のゴールを迎えよう、というつもりなのか、マッキーが走り出していた。八十歳をとっくに過ぎているくせに、まるで若者のように足をばったばったと動かして、
しかも、しかも、
ジャカラジャカラ、とギターの弦を引っ掻きながら。
ざわざわする中を、白塗り顔で突き抜けながら。
マッキーは走る。
香奈も走る。なんだかおかしくておかしくて、心の中で大笑いしながら。
もうゴールまで百メートルを切った。
最後のストレートに入ったところで一人を抜いて、二位になった。
ゴールラインが近付いてくる。
一位の背中が近付いてくる。
ジャガジャガジャガジャガ、掻き鳴らされるギターの音。
走る。
香奈は走る。全力で腕を振る。
捉えた。
第四コースを走る、志田由紀子の背中を。
捉え、
近付き、
並び、
そして、
抜いた。
躍り出た。ついに一位だ。
ゴールまで、あとほんの少し。
十メートル。
五メートル。
激しく激しく掻き鳴らされているギターの音が、さらに激しさを増して激しく激しく掻き鳴らされる。
その音を、すぐそば、その姿を、すぐ目の前。秀夫さんいやマッキーが、ゴールのすぐ横で迷惑かえりみずヘッドバンギングぶんぶん頭を振って、めちゃくちゃな演奏で騒音まきちらしている。空気を破壊しまくっている。
「マッキーッ、イエーーイ!」
香奈はハイタッチするかのように片手を上げて、ぴょーんと跳ねるようにテープを切った。
ゴール!
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