03-02
小さな手が、リズミカルに左右に動いている。
高塚香奈が、キーボードを演奏しているのだ。
流れるような動きだが、出る音は酷い。
当然だ。鍵盤を、それっぽく適当に叩いているだけだからだ。
なにが自分に合うのか、色々な楽器を弾かせてもらって試しているのである。
ここは酒屋が所有している、現在ほとんど使われていない倉庫。
もともとは金属加工をする工房で、深夜の作業も想定しており防音性は非常に高い。
昼にエレキギターを掻き鳴らす程度では、まず近所から苦情が出ることはないだろう。
現在この倉庫の中にいるのは、香奈と、商店街の老人が四人。
商店街の老人というと、地味でおとなしそうな印象を抱いてしまうかも知れないが、逆である。彼らにおいては、いや、現在の彼らにおいては。
全員、黒革のぴっちりした上下に、顔は白塗りで目の周囲には星やコウモリなどのペイント、トゲの生えたリストバンドに、腰からはジャラジャラ鎖がぶら下がっているのだから。
鶏の生き血をすすりそうな、
悪魔すら呪い殺しそうな、
彼ら、
金物屋、フラワーこと奥野正二、
本屋、マッキーこと徳重秀夫、
コンビニ、ジミーこと田中和夫、
煎餅店、キッズこと外間豊、
の、四人である。
まあ悪魔呪い殺しそうなのは、あくまで外見だけであり、内面はおっとり温厚な彼らであるが。
なお、この酒屋倉庫でやっているのはただの楽器練習であり、他人に見せるものではなく、従って黒革の服に白塗り顔面である必要性はない。単に、そうしないと気分が出ないからやっているだけだ。
と、そんな理由でこの老人たちは、バンド練習時にはいつもこのビジュアルなのである。
四人とも普段があまりにおっとりしているため、そうでもしないと強気になれず、強気になれなければせっかくの「へびめたばんど」なのに楽しめないから、ということなのだろうな。そうかどうか知らないが、香奈はそう思っている。
それよりも……
「やっぱり、駄目だあ!」
幼い頃にピアノをやっていたこともあるから相性悪くないかも、とキーボードを試し弾きしていた香奈であったが、弾けども弾けどもどうにも馴染まず、頭がわけ分からなくなってきて、演奏を止めた。
ピアノを習っていたといっても、始めてからそれほど経たないうちに、姉がやめたことで自分もやめてしまったので、たいした期間ではないのだが。
さて、キーボードの次は、マッキーから借りてギターの試し弾き。
マッキーとは、このバンドでのニックネームであり、本名は徳重秀夫。商店街にある本屋さんの、前店主である。
教本を見せてもらって(ひょっとして本屋の売り物じゃないだろうな、と疑いつつ)、コードの練習を開始する香奈。
自分の小さな手では指が痛いけど、とりあえずのところ一番気持ちがいいのはこのギターだろうか。
とはいえ、出るのは不協和音ばかりだが。
アンプのボリュームをかなり絞っているというのに、それでも耳を覆いたくなるほどに。
うーん、と不満げに首を傾げる香奈。
「理屈では分かるんだけど、やってみると上手く指が動かないんだよなあ。マッキー、お手本を見せてよ」
「オーケーッ!」
マッキー徳重秀夫は、香奈からギターを受け取ると、いそいそストラップを肩にかける。
白塗り顔で、コウモリペイントで、
仁王立ち、
弦を抑えて、
腕を振り上げ、
振り下ろし、
じゃらあん、
Cマイナーセブン、
いや、単なる雑音であった。
もう一回チャレンジするマッキー。
じゃらあん、
Cマイナーセブン、
いや、単なる雑音であった。
何度チャレンジしても、似たような音しか出ない。
香奈よりも酷い不協和音だ。
本当に酷い。
じゃん、じゃんじゃ、じゃじゃん、じゃん、
なのに、済ました平然とした顔で弾き続けるマッキー。
「いやあ、謙ちゃんさえいれば色々と教えてもらえるんだけどなあ」
不意に、ライオンのような髪の毛の中で、白塗り顔をくしゃくしゃにさせながら笑った。
酷い音、という自覚はあったようである。
なお、謙ちゃんとは、香奈の幼馴染みである野田謙斗のことだ。ロックバンドで使うような楽器を一通り弾きこなすため、演奏コーチを担当しているのだが、今日はまだ来ていない。
来ないことの方が多い。
本人いわく多忙のためということだが、どうも本当にそうらしい。
老人会の仲間である謙斗の祖父からの情報によると、孫は、学校では帰宅部という身分であるが、居残り補習が多く、その身分をまるで堪能出来ていないとのことだ。
バンド活動全体や楽器個々に対しての、アドバイザーという立場なので、現在のところ参加が少なくともあまり問題ないといえばないが。
老人の中に子供一人かあ、と最初はやりにくそうだった香奈も、もうすっかり溶け込んでいるし。
「わたし、ジャカジャカジャカジャカって素早く引っ掻き回しながら、口早になんか青春の主張みたいなの叫んでいくの、あれ、やってみたい!」
香奈、手本を見せてもらおうとマッキーにギターを戻したというのに、ほとんど見せてもらうことなく、またギターを借りようと手を差し出した。
マッキーは、ストラップを外して香奈へと渡しながら、苦い顔で、
「まだコードがおれとどっこいどっこいってくらい無茶苦茶なのに、無理って話だろ。あれはな、ピックを動かすだけでも意外と難しいんだぞ。叫ぶだけでもたぶん難しいぞ。……そもそも、なにを叫ぶような主張があるんだ」
「えーとお。……お孫さん何人ですかああ!」
ジャガジャガジャガジャガ!
とりあえず適当に弦を抑えて、とりあえず激しくピックを上下させながら、不協和音に合わせて考えなしに叫んでみた香奈であるが、出てきたのは普段疑問に思ったことすらない、主張でもなんでもない、どうでもいい言葉であった。
「三人」
ジミーが、片手を上げながら、真顔で答える。
「へえ、三人かあ。というか、わたし、そんな変なこと叫んでたのかあ!」
ジャガジャガジャガジャガ、
ジャガジャガジャガジャガ、
「七人。ひ孫は、九人」
「多いですねえ、マッキーのとこ。本屋さん継いでる和文さんしか会ったことないから一人かと思ってた。……音は無茶苦茶だけどお、結構喋りながら弾けるもんだ♪」
ジャガジャガジャガジャガ、
ジャガジャガジャガジャガ。
その音に合わせるようにキッズが、自分のドラムを叩きながら、
「孫はいない。子供は三人。しかし、もうみんな死んでる」
「といわれましても、なんて返せばいいんですかあ? ……なんか空気が重くなったからあ、やっぱりマッキーに、ギターを、戻す、ぜっ……あいたっ! やっぱり無理だ!」
ジャガジャガ掻き鳴らしながら同時にストラップを外そうと、変な姿勢で腕を持ち上げようとして、手の甲で自分の顔を思い切り殴ってしまった。
改めて、そーっとストラップを外してマッキーに戻す。
受け取ったマッキーは、「香奈のジャガジャガ青春の主張」を演奏ヘタクソなところまで引き継ぎ激しく掻き鳴らしながら、大きな声で、
「そろそろ香奈ちゃんのバンドネームを考えようぜっ!」
ジャガジャガジャガジャガ、
ジャガジャガジャガジャガ、
「かな……かーな……カーネル大佐」
キッズがドラムをバスッと叩きながらバカなことをいう。
「いやです」
香奈、即答。
「カーネル大佐だから、GHQ」
べんべん、とジミーがベースで続く。
「だから、カーネル大佐じゃないですってば。というか、GHQならマッカーサーじゃないですか? 昨日社会で習ったばかりだから、タイムリーなんですけど」
そもそも、カーネル大佐ってなんだ? その名前たまに聞く気がする。どこで聞いたか覚えてないけど。まあどうでもいいけど。
マッキーによるギターのジャガジャガ演奏をGHQに、いやBGMに、命名検討会は続く。
「香奈だから、かなっぺ」
「嫌です。かっぺみたいで恥ずかしいし、そもそも名前からバレるじゃないですかあ」
まあ、田舎っぺであることは否定しませんけどお。
「女子だからジョッシー」
「却下」
なんなんだ、その無意味かつ破壊的なセンスは。
「前向きだからムッキー」
「あまりのみっともなさに、後ろ向きになっちゃいますよ! あと、マッキーとかぶるし」
そんな前向きでもないし、わたし。
「香奈だからカナダ」
「国名じゃないですかあ」
ジミーとかマッキーとか、由来はともかくみんなはちゃんと人名っぽいのに。
「カナダからの手紙」
「なんか聞いたことある! って曲名じゃないですか!」
カナダから離れろ! 連想ゲームじゃないんだ!
「香奈だからカナ」
「そのまんまだけど……いいです、もう、それで」
続けても疲れるし。というか、もう疲れたし。
インパクトしか狙っていないような変な名前や、連想から引っ張ってきただけの無意味な単語で呼ばれるくらいなら、名前でバレバレな方が、まだいい。
「よおしベイビー」
逆さにした酒のケースに座ってずっと沈黙していたフラワーが、なにがベイビーか分からないが突然立ち上がって、
「というわけで、名前も無事に決定し、これで我々はフルメンバーになったわ け だ ぜ! では改めてえ、フラワー、マッキー、ジミー、キィーーッズ、エーーーンド カナ!」
フラワーの、DJさながらの低い饒舌な語り口に、キッズがダララララとドラムロールを合わせる。
ジャン!
両手のスティックを、振り下ろし叩き付ける。
沈黙。
誰も口を開く者なく、しーんとした静寂が倉庫の中に訪れた。
全員、無言で顔を見合わせている。
「ひょっとして、まだバンド名を考えてなかったんですかあ?」
この前もこんなことがあったから、もうとっくに考えているものだとばかり思っていた。
焦る必要はないとはいえ、ちょっとのんびりすぎやしないか。
他人事ながら、心配になる香奈であった。
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