02-06

 鼻に詰めていた、ティッシュを細く丸めた物を抜いた。

 先端に、どろり赤い色がついているが、先ほどまで詰めていたのよりは少なくなっている。

 おそらくもう鼻血は止まっているのだろうが、念の為、新たにティッシュを尖らせて右の鼻穴に突っ込んだ。


「また、余計なこと、いっちゃったなあ」


 学習椅子の背もたれに、ギイっと背中を預けた。

 胸の中で、言葉を続ける。


 追い詰められて辛い精神状態になっている人に、あんなこといっちゃあ、そりゃ怒るよな。

 わたしが悪かった。全面的に。どう考えても。

 でも、軽々しく死ねとかいって欲しくないんだ。

 その言葉が、お姉ちゃん自身をいつか傷つけることになってしまいそうで。

 簡単に自らの生命を絶ってしまわないか、と。

 でも、だからって、お姉ちゃんの心を追い込んでいい道理ではないよな。

 どうすればいいんだろうな。

 どうすれば、もとに戻れるんだろう。

 わたしたちは。

 って、こんなことばっかり考えていても仕方ないな。

 勉強でもやっとくか。


 椅子を半回転させ机に向かい、英語の教科書と参考書を取る。

 いったん机の上に置いて、


「と、その前に時間割を揃えちゃお」


 カバンの中に入っているものを、机の上に全部出した。

 ずららら、と表紙がズレながらならぶ中に、音楽の教科書が目に入った。


 そういや、今日は楽しかったなあ。

 自由自在に楽器が演奏出来たら、もっと楽しいんだろうなあ。


 などと心に呟いているうち、気づけば両手でキーボードを弾く真似をしていた。

 うわなんか恥ずかしいっ、などと照れながらも、続いて、ギター。

 そして、鉛筆両手に、ドラム。

 小さい頃に何年かピアノを習っていたし、じゃあキーボードが一番向いているのかな。

 でも、ギターもかっこいいなあ。

 かっこいいけど、でも、ボーカルもやってみたいなあ。

 ……歌、下手ですけどお。

 って、なんだか加入したみたくなっちゃってるぞ。


 今日はちょっと弾かせてもらっただけだ。

 弾かせてもらっただけではあるけど、でも、とても楽しかったことに変わりはないから……

 よし、ならば今日のお題は、それでいこう!


 学習机の引き出しからICレコーダーを取り出して、机の上に置くと、録音ボタンを押した。



「九月十四日。

 天気、晴れ。

 お姉ちゃん、

 今日はね、とっても楽しいことがあったよ。


 いっても信じてくれないだろうなー。

 商店街のお年寄りたち、金物屋の正二さん、本屋の秀夫さん、コンビニの和夫さん、お煎餅店の豊さんが、地域活性化のために、ヘビメタバンドを結成しただなんて。


 しかもなんと、謙斗くんが楽器演奏のコーチ。

 メンバーが四人とも八十歳を過ぎていて、それでバンド結成だなんて、なんだか凄いよね。

 昔から続けてたとか、昔やっていたとか、そういうのなら分かるけど、始めてああいう楽器に触れたんだって。ぎょいいいん、っていう楽器に。


 骨折したりしないか心配だよ。結構重かったからね、ギターとか、アンプとか。

 バンドだけあって、みんなニックネームで呼び合っているんだけどね、それがまた凄いの凄くないのって。


 正二さんが、フラワー。

 鼻が大きいからあっ、とかいって。え、え、ってわけが分からなくなっちゃったよ。

 確かに正二さんって鼻が大きいけどさあ。そうじゃないだろ、って。なんでやねん、って。


 和夫さん、地味だからっジミーーーッ、て全然地味じゃないんだよお。いっちばん派手にしてんの。顔の白いペイントも、鎖のジャラジャラも。

 まあ、普段は確かに地味で目立たない感じだけどさあ。


 あ、みんなね、黒いレザーのぴっちりした服を着ていて、フェイスペイントも凄いのね、真っ白で悪魔みたいで。コウモリとか描いてるし。


 あと……これ、いっちゃってもいいのかなあ。ニックネームの話。

 秀夫さん、末期ガンだからマッキーって。

 本人もいわれてノリノリで、イエーッ、って。

 進行はゆっくりで、先に寿命がくるから心配ないよ、なんて笑ってんだよ。

 笑えないよ、あんなの。


 でもね、お年寄りが覚悟してそうして明るく生きているんだったら、じゃあ応援してあげなきゃな、って思ってね、いっちゃったよ。

 へーい、マッキー! って。

 明るく生きていくことでガンが治っちゃった例だって、広い世の中にはあるらしいから、本人が楽しく過ごすことが出来ればいいよね」



 音声日記である。

 姉に聞かせる予定があるわけではない。だが聞かせるつもりで、そこに姉がいるつもりで、吹き込んでいる。

 基本的には、自分のためだ。

 いつか聞かせたい、笑い合いたい、と思うことで自分が頑張れるから。

 世の中は楽しいんだよ、と姉に教えてあげたいから。そういう思いもあるのかも知れない。

 聞かせる予定がないのなら、意味などない気もするが。


 明るく生きていくこと云々というところで、その言葉が姉へのあてつけになってしまわないか、と引っ掛かるものを感じ、最初から録音し直した方がいいかなとちょっと躊躇ったが、でもそんなつもりはまったくないのだから、と言葉を続けた。



「あと最後にね、

 これも凄いんだあ、

 外間豊さん知ってる?

 お煎餅屋さんの豊さん。

 高い声で、そうでっしょ、とか喋る人。

 九十歳近くで最年長のはずなのに、ニックネームがなんとねえ……」

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