01-02

「えーっ、そうなの? それ本当なのかなあ」

「らしい。よく知らんけど」

「まあ、知らないよね。出がらしを腐らせた記憶なんてないもんね」


 たかつかは、けんと歩いてる。

 昨夜テレビの健康情報番組でやっていたカテキンパワーのことなど、なんということのない話をしながら、しき商店街のオレンジと茶色のタイル道を、肩を並べて。


 二人は幼馴染である。

 香奈は十三歳。中学二年生。

 謙斗は十六歳。二学年上の高校一年生、香奈の姉であるらいと同い年だ。魅来は、高校へは通っていないが。


 香奈、魅来、謙斗、三人は他人がむしろ心配するくらいべったりの仲だった。

 幼い頃から、ずっと。

 一年ほど前に、ある事件が起こる、その時までは。


「そもそも自分でいれないもんな、緑茶なんてさ。飲まないし、飲むとしてもペットボトルばっかりだろ」

「え、わたしいれるよ」

「珍しいよ、それ」

「そうかなあ」


 などと他愛のない会話を続ける二人。


 現在は朝。

 行き先はそれぞれ異なるが、登校の途中である。


 謙斗は、たち高等学校。この商店街の先にあるひがしうす駅から、電車で一駅のところにある県立高校だ。

 香奈は、うす第二中学校。東臼城駅までは行かずに、手前で折れて、少し歩いたところにある。


 特に事情がない限りは、このように分かれ道まで一緒に歩くことが多い。

 本当に仲がいいね、と友達からよくいわれるが、それは真実ではない。いや、仲がいいのは間違いないが、なにか事情があるからこうして肩を並べているのではなく、事情がないからこうしているだけ。そこをみんな分かっていない。


 三人いつも一緒だった頃には、そんな弁明をする必要はなかったのだが。


 いつも一緒だった、といっても、登下校においては自分だけ仲間外れな記憶しかない。

 それも当然で、通う中学校と小学校が家から反対方向なのでルートがまったく重ならないし、

 さらにさかのぼれば三人ともが小学生だったとはいえ、自分だけが幼い子供で、二人の大人びた会話についていけなかったし。

 去年は去年で、中一と中三ということで同じ学校だったけれど、謙斗と姉の仲がよすぎて、自分は一歩引いていたし……それに、あんなことが起きてしまったから。


 遠い記憶だ。

 一年も前のことじゃないのに、でもなんだか遠い記憶だ。


 別に思い出そうとしたわけではないが(そもそもあんなこと、わざわざ思い出そうとするはずがない)、香奈は無意識に目を細めていた。

 でも、その細めた目がすぐ驚きに見開かれていた。


「お、なんだあれっ!」


 という謙斗の声にびっくりしたのだ。

 びくりとしながら顔を謙斗へと向け、続いて彼の視線を追った。

 確かに、「なんだあれ」であった。誰でもそう思うだろう。感嘆符を付けるか付けないか、という違い程度で。


 商店街のタイル道をひょろひょろとした若者が歩いているのだが、身にまとっているのがインド僧のような黄色い布なのだ。

 顔はどう見ても日本人。髪の毛もちょっとオシャレにぼさぼささせたような、いわゆる普通の若者。あくまで着ている物だけインド風なのだ。

 こちらへ、ゆっくりと歩いてくる。こちらへといっても、香奈たちと進行方向が反対なのでお互いに近付いているというだけのことだが。

 すれ違った。

 香奈は思わず足を止め振り返り、去り行く背中を見つめていた。


「確かに、すごい」


 呟いていた。

 だが別に、いつまでも見ていたくなるようなものでもない。二人は前へ向き直り、また歩き出す。


「バンドでもやっているのかな」


 見ていても仕方ないといっても、見たからには話題にするのは当然だろう。


「あの格好からバンドという発想に結び付く思考が、おれにはまったく理解出来ないのだが。……あ、香奈、ひょっとして、ちょっとバンドに興味わいてきてる年頃? やってみたいとか」

「いやあ、全然」

「なあんだ」

「残念そうにいう意味が分かんない。ああ、でもギターは弾いてみたいなあ。でけでけでけでけって」


 香奈は軽く腰を落とし身体を左右に揺すりながら、ギターを構え弾く真似をした。


「それベースじゃなかったっけ? でけでけ、って。ベンチャーズのだろ?」

「え、ギターでしょ。といっても、よくは知らないけど、なんとなくそうだと思ってた」

「うーむ。ギターが正解な気もしてきた。低い音っぽい記憶からベースと思っていただけで、よくよく考えてみると別に低くもない」

「それはそうと、さっきの人、なんであんな格好をしていたんだろうね。バンドじゃないというのならさあ」

「いやだから、どう考えてもバンドと関係ないだろ、一般常識的に。そりゃ、たまたまバンドマンかも知れないけど」

「だったらきっと、カレーとかヨガが大好きなんだな」

「お前ら、ほんと姉妹きようだいだな。確か去年も、スーパーで木こりみたいなゴツい外国人がメイプルシロップ手にして選んでいるってだけでカナダがどうこうって二人でおおはしゃぎして……」


 言葉途中で謙斗は、しまったという表情を顔に浮かべ、口を閉ざした。


 香奈の表情が暗くかげっていた。

 それに気づいたからこそ、謙斗は慌て、口を閉ざしたのだろう。


「ごめんっ」


 謙斗は頭を下げ、謝った。

 沈んだようにぼーっとしていた香奈であったが、不意に我に返って、


「あ、ああっ、な、なんで謝るのか分からないっ。こっちこそごめん」

「香奈の方こそ、なんで謝るのか分からないよ」

「だって」


 こんな程度のことで、なんだか暗い雰囲気にしてしまって。

 インドの格好だからカレーが好きとか、どうでもいいこといわなければよかったよ。そこからの会話の流れで、こうなってしまったのだから。


 まあ、わたしの気持ちが弱いというのが、一番の問題なんですけどお。

 でも、仕方ないじゃないか。

 好きでこんなふうになったわけじゃないんだ。


 と、作り笑顔で場を取り繕いながらも、心の中でぐちぐちと考えてしまう。

 そんな香奈にとって、後ろから投げ掛けられた声はまさに助け舟だったことだろう。


「おはよう香奈、おはようございます謙斗先輩」


 女子の声。

 と、ほとんど同時に、二人は後ろから肩をばしりばしりと叩かれていた。

 振り返ると、そこにいるのははやかわ。香奈の小学生からの友達であり、現在中学でのクラスメイトだ。


「おー、サッチーおはようっ」


 香奈は、明るく元気な大声を出した。気まずくなっていた雰囲気をごまかそうと。


「おはよ、早川。つうか何故おれと香奈とで挨拶を分けるんだよ」

「一応先輩ですからね、一応。あたしは香奈と違って幼馴染じゃないわけですし、例え不本意であろうとも良識あり健全な中学生としては一定の距離は置かないと」

「とかいいつつ、思いっ切り肩を叩いたよな、おれだけ。恨み晴らさでみたいに。良識あるとかいっといて」

「だから、一応っていったじゃないですか」

「つうか一応じゃない先輩ってなんだよ」


 軽口いえる空気が復活。佐知恵さまさまである。

 三人はお喋りをしながらタイル道を歩くが、だがすぐに商店街を抜けてしまい、謙斗だけお別れだ。

 真っ直ぐ進むと突き当りが鉄道の高架、そこに東臼城駅があり、彼だけそこから隣の駅へ向かうのだ。


「じゃあな。お前ら義務教育組は、しっかり勉学に励んで、将来の日本を豊かにするために尽くすんだぞ」


 勝手な理屈をいいながら、謙斗は一人、駅へと向かう。


「先に社会に出て立派な模範を示してくれれば、いくらでも従いますよ」


 佐知恵が謙斗の背中へと、言葉をやり返した。

 香奈と佐知恵は、高架にたどり着く一つ前の道へと折れた。線路に平行するようにして、少し歩けば彼女らの通う中学校だ。


「しっかし仲がいいよねー。野田先輩と香奈はさあ」


 はあ。今日もいわれたか。

 毎日毎日飽きないなあ。


「そんなことないよ。ちびとかいうんだよ」


 ほぼ毎日いわれるからといって、慣れるものでもない。あまり気分のいいものではなく、香奈は、中に一体なにが入っているのかというくらいに、ほっぺたを膨らませた。


「仲がいいからいうんじゃない?」

「悪くてもいうよ! サトダとかさあ」


 さとよしひこ、香奈をよくちび扱いするクラスメイトである。


「いまの会話を二段論法で考えると、つまり香奈は、里田に好かれている、ということだ」

「絶対になあい!」


 香奈は、どんと肩を佐知恵にぶつけた。香奈の方が遥かに背が低いものだから、当たるのは肩でなく肘のちょっと上であるが。


「どうだかなあ」


 佐知恵も笑いながら、腰を軽く落として肩をぶつけ返す。


「そっちに、反撃の権利などない」


 さらにやり返す香奈。


 そもそも二段論法など、論法ではない。

 外に出たら雨だった、つまり香奈が外に出ると雨が降る、とか。


 などと、雑談というか戦いというかを続けているうちに、彼女らの通う中学校に到着した。

 こうして今日も、愛すべき平凡な日常が始まったのである。

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