第15話 新たな食材

 一日中降り続いた雨がようやく上がった。

 雨が上がった翌日は地面もぬかるんでいたが、いつの間にかできていた支流も姿を消していた。近くの小川の流れも普段の勢いに戻っているように思う。


「ようやくいつも通りにもどったかなぁ」


 空を見上げてポツリと呟くと、スノウも一緒になって空を見上げている。と言っても陽の光の射さない森の奥だ。薄暗さは相変わらずではあるが、少なくとも雨が降っていた時よりは明るく感じられる。


「ずっとじめじめしていたからちょっと水浴びに行こうかな」


 同意するようにスノウが頷くと、嬉しそうに付いてくる。きっと私と水遊びをしようと画策しているに違いない。

 ついでに着ている布も洗ってしまおう。すぐ汚れが落ちるので洗濯も楽だ。


「うん。きれいな水にもどってるな」


『小さい川だからな』


 私を観察する役目を持つ、もとい金魚の糞のキースがいつものように相槌を打つ。

 小川へと到着すると、体に巻き付けていた布を外して川へと浸ける。ちょっと濯ぐだけですぐ汚れが取れる優れものの布だ。

 ナイフで適度な大きさに切って布巾代わりに使っている布も、同じように川で水洗いするだけで油汚れも奇麗に落ちた。


「グルルルル」


 落ちた汚れに満足していると、スノウが川上を睨みつけているのに気が付いた。

 よく見れば水面からでっかいハサミが出ている。


「なにあれ」


 内側がギザギザになっていて挟まれたらすごく痛そうだ。ハサミだけで30センチくらいあるし、もしかしたら体を挟まれたら胴体がちぎれるかもしれない。


『あれは……、カニだな』


 嫌な想像に体を震わせていると、キースが教えてくれる。


「カニ?」


 キースに詳しい話を聞こうと振り返ったとき、視界の隅でくだんのカニが水面から体を出してこちらに近づいてきた。

 二度見するように素早くカニへと視線を戻すと、思ったよりカニは素早いらしく目の前にまで迫っている。足が左右に四本ずつついていて、大きなはさみを二つ持っている。足の端から端までは1.5メートルくらいになるだろうか。赤茶色をしていて横歩きで近づいてきていた。


「うわあぁぁぁ!?」


 思わず悲鳴を上げて川の中にしりもちをついてしまう。布巾代わりの布が一枚、流されて何処かへいったがそれどころではない。


「グルアアアァァァ!」


 カニが振り上げたハサミを私に叩きつけようとする直前に、スノウが咆哮を上げてカニへと襲い掛かった。前足を胴体へ振り下ろすと頭へと牙を立てる。

 バキバキと甲羅が割れる音を響かせて、そのままカニは動かなくなった。


「はぁ、はぁ」


 心臓がバクバクする音を聞きながら、動かなくなったカニから目が離せない。前回現れたカエルは、シュネーと対峙してしばらく動かなかった。でもカニは速攻で襲って来たのだ。シュネーたちがいつも近くにいてくれるけど、ここは危険な森の中なのだ。


『常に危機感を持っていないと、あっさりと死んでしまうぞ』


 キースから忠告が飛んでくるけどまさにその通りだ。

 スノウが私を心配するように寄ってきて、顔をこすりつけてきてくれる。


「あ、ありがとうスノウ。……たしかに、ちょっときき感が足りなかったきがする」


 スノウの首をもふもふしながらさっきの光景を振り返る。目の前に正体不明の生物が現れたというのに視線を逸らすなんて、なんて馬鹿なことをしたんだと思う。王宮で暮らしていた頃は、最後を除いて直接危害を加えられるなんてことはなかった。


「気を付けないとな」


『しかしこれはこれで運がよかったとも言えるな』


「なんでだよ」


 襲われたことが運がいいとか、そんなことがあるわけないだろう。


『食材が手に入ったんだから運がいいだろう』


「えっ?」


 今なんて言ったの? 食材? この足がいっぱい生えているよくわからない生き物が? マジで?


『カニと言えば高級食材ではないか』


「……ええっ!?」


 え、ちょっ、マジか。ちょっと気持ち悪いとか思ってたのに……。

 いやしかし、高級食材と言われるとちょっとだけ興味が出てこないこともない。


「すごく硬そうなんだけど」


『殻の中には身が詰まっているのだ。ただ茹でるだけでも美味いぞ』


「キースがそう言うなら……」


 川の中に放置されていた布を引き上げると、スノウに手伝ってもらって枝に引っ掛ける。鞄から魔道コンロと鍋を出すと、川の水を汲んで強火にかけた。お湯が沸くまでの間にカニを川から引っ張り出すと、キースの助言を受けながらナイフで胴体と足を切り離していく。

 足を半分鍋に投入するともういっぱいになった。お湯が沸騰してくると、赤茶色をしていたカニの足が鮮やかな赤色へと変わっていく。


「おお、なんかいい匂いもしてきた」


『そうだろう』


 なぜか得意そうなキースをスルーして、いい色になったカニの足を取り出す。関節はともかく足の真ん中はちょっとナイフで切れそうにない。河原の石を掴んで振り下ろすと殻が割れたので剥いていく。最後はするりと殻が剥け、直径5センチほどの細長いプリっとした身が出てきた。

 匂いを嗅いでみるけど悪くない。いやむしろ美味しそうな匂いだ。

 勢いに任せてがぶりとかぶりつく。


「――!?」


 味付けをしていないにもかかわらず、甘みと旨味が口の中に広がっていく。微妙に塩味も感じられるが、コイツは海からきたんだろうか。


「カニ、美味い。……スノウも食べる?」


 スノウの前にも出してやると、ガツガツと美味しそうに食べ始める。どうやら気に入ったようだ。


「うまー」


 こうして私の中で、カニは高級食材という位置づけとなるのだった。

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