4 現在に戻る

 こうなる前の要目は血も涙も心もある少女だった。

 だが、あの日を境に変わってしまった。

 話し終わった要目はこう続ける。


「私の体は死体同然です。細胞も死にました。本当に血も涙もありません」


 話を聞いて、斎は要目がなぜ自分に触っても平気なのか、分かった。

 要目には斎の毒で死ぬ細胞がないからだ。

 斎の毒は生物の生きている細胞に作用する。だけど体も細胞も死んでいる要目には毒は効かない。


「だけど君は動いている、生きている」


 体は死んでいても斎とこうやって話している。それは生きているのではないか、と見たままのことを言った。だが要目はすぐに否定する。


「私の体が動いているのは、脳に『この体は自分のものだ』と錯覚させているからです」


 要目曰く、脳を媒介に見えない糸で死体同然の体を操っているのだという。

 いうなれば操り人形マリオネットのように。


「そのせいでしょうか、血にも肉にもならないのに空腹を覚えます。満たされないのに喉の渇きを覚えます。試しに飲食しましたが、そのまま口から出ました。それでも脳は勘違いし続けます、怖いくらいに。そして……」


 要目は俯き、膝に乗せた手を軽く握りしめる。


「そして、今でも懐かしい記憶を求め続けます」


 要目がショコララテやココアを求めるのは、こうなる前によく飲んでいたからだという。  

 以前の暮らしや体は戻らないのに、脳が勝手に明るい思い出を求め続ける。


「私のせいです」

「?」


 話が飛んだかと思った。今までの話で要目に非はない。


「私……わたしがループスにあの日は家に家族三人しかいないって教えたから。そもそも、あいつを好きになったせいでわたしは……」


 要目は顔を上に向ける。


「失わなくてもいいものを失った……」


 要目の両目から水が伝う。斎は驚いたが、何よりも要目が一番驚いていた。要目は頬を伝う水を手で拭う。


「おかしいですね。さっき飲んだ水が両目から出ている。本当に壊れてしまったみたい。笑える……」

「笑えない」


 斎は要目の前にしゃがみ、指でその水――涙を拭ってやった。


「要目は、壊れていないよ」


 要目は唇を噛みしめると斎の首に腕を回して飛び込んできた。そのまま声を殺して泣き続ける。

 少なくとも斎には要目が泣いていると思えた。

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