5 はじまりの地

 翌日の朝、雨が降っていた。部屋の窓際で斎は雨音に耳を澄ます。

 地面に叩きつける音は一定のリズムを刻んでいる。

 要目は泣き疲れたのか、ベッドの上で丸まって寝ていた。

 今までの斎は要目が復讐したい理由なんて興味なかった。自分の身を守ることが第一だったから復讐に協力したし、知る必要ないと思っていた。

 だが、今はどうだろう。要目の過去を知ってから、斎は完全に心変わりしている。

 いや、もしかしたらもっと前から変わっていたかもしれない。


『あんたら、要目に何したんだ?』


 あの台詞は要目に興味を持っていなければ出ない。

 今まで自覚がなかっただけでもっと前から要目に惹かれていたのかもしれない。

 そして今、自覚した。

 窓枠に手を置き、何となく地面を見下ろす。雨粒は一定のリズムで地面に叩き続けている。

 だが突如、眼下に出現した傘が雨音のぶつかる音を変えた。

 傘が少し上がる。傘からちらりと見えた顔を見て、斎は拳を握った。

 斎はくるっと振り返り、静かに部屋を出る。廊下を進み、階段を降り、誰もいない広場を横切って玄関を開けた。

 斎は傘をささずに進み、傘の持ち主と向き合う。

 灰色のズボンは裾がずぶ濡れになっており、横殴りの雨がボタンベストを少し濡らしていたが、顔は濡れていなかった。


「要目、いる?」


 雨音はうるさいはずなのに傘の持ち主――ループスの声ははっきり聞こえた。


「いない」


 嘘だった。要目はいる。だが、ループスを前にすると要目は動揺する。

 これ以上動揺する要目をもう見たくない。


「ここまで来るのに随分濡れてしまった。だけど要目は濡れてもなんともないだろうね。感覚がないからさ。いいな、羨ましい」


 そう言ってループスは微笑を浮かべる。斎はループスを睨みつけて言った。


「お前……それ本気で言ってるのか?」


 斎は要目の苦悩を知らない。要目の苦悩は要目にしか分からない。知った口も聞くつもりもない。だけどループスが言う、羨ましいものではないことは分かる。

 斎の言葉にループスは噴き出した。


「何がおかしい?」

「いや」


 ループスは笑みを消し、真顔になる。


「要目は弱い奴だ、大きな傷がある。傷があると操りやすい」


 斎はたまらず手を伸ばす。だがループスは傘を前に、盾にして斎の手を防いだ。

 ループスは傘越しから言う。


「要目に伝えてくれ。はじまりの地で会おう、ってな。おれは一人だ。ずっと待ってる」


 そう言った直後、ループスは跡形もなく、その場から消える。

 体が震える。斎は右手で左腕を掴み、無理やり震えを止めた。



 斎が部屋に戻ると要目はベッドから上体を起こしていた。

 斎がループスに出会ったことを伝えようか迷っていた時、要目は言う。


「ループスが来たみたいですね」


 気づいていたのか。


「貴方が黙って出て行くものですから、私に言いにくい相手が来たと予想しました。例えば、ループスとか」


 完全に見破られている。これ以上何も言わないで逃げるのは不可能だ。要目はどんな手段を使ってでも斎に口を割らせようとするだろう。


「『はじまりの地で会おう』と言っていた」

「『はじまりの』。なるほど……悪趣味な奴です」


 要目はシーツをどけ、ベッドから降り立つ。


「『はじまりの地』、それは私が生まれた場所であり、こんな体にされた場所です」

「それって……」


 おそらく要目と斎の中である場所が共通して浮かんでいる。


「私の、生家です」

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