2 隠しきれない

 宿に戻ると真っ先に扉に鍵をかけ、斎は要目を壁際のベッドに座らせた。

 道中、要目はずっと何も話さず、ただ斎に身を任せていた。

 要目のあんな姿は初めて見た。斎の知っている要目は気丈に振る舞う少女だったが、今は全く違う。

 かなり動揺し、虚ろで何を考えているのか分からない。心配だ。


「ループス、のはずでした」

「?」


 要目は両手で頭を抱える。


「私にはループスに見えた.……でも、実際はあの女の子だった。わたし、貴方達を殺そうと」

「やめろ」


 斎は要目の言葉を遮る。


「もう過ぎたことだ。現に要目は私も、女の子も、誰も傷つけていない」


 斎の言葉に要目は黙り込む。

 こういう時、どうすればいいのだろうか。

 何か励ましの言葉をかけるべきなのか、それともそっとしておけばいいのか。

 経験がない斎にはこういう時の対処法が分からない。


「……あいつはループスといいます」


 あの少年がループスという名前であることは要目の言葉で分かった。そして要目がループスにただならぬ恨みを抱いていることも一連の出来事で容易に想像できた。


「私がループスに出会ったのは三年前のことでした」


     *


 三年前の要目は幼く人見知りの泣き虫で、いつも母の緋目ひめの背中に隠れている子供だった。


「おかあさん」


 要目が服の裾をぎゅっと掴むと緋目は優しく頭を撫でながら言った。


「大丈夫、おかあさんいつもここにいるからね」


 いつもそう言ってくれた。その言葉で要目は安心していた。

 確かこの日も、要目は緋目の背中に隠れていた。緋目の背中から見える先には要目の父がいた。


「初めまして、奏夜かなやといいます」


 要目の父、奏夜が知らない誰かと握手をしている。その誰かの傍に要目と同じ年ぐらいの子供がいた。

 要目の家は由緒ある名家である。丘の上の大きな屋敷、池がある庭はまさに名家を象徴していた。そんな奏夜の下に毎日のように知らない人が挨拶に来ては、いつも固い挨拶を交していた。

 だが、要目の知っている奏夜は無邪気な父だった。

 要目と屋敷で鬼ごっこをして緋目に怒られた時、奏夜は要目と一緒になって大泣きした。

 大好物のチョコレートを緋目が食べ過ぎだといって取り上げた時は、要目と半分にするといってまた食べていた。だけど割るのに失敗した時は必ず大きい方を要目にくれた。「内緒だよ」と言ってこっそりボンボンショコラを一緒に食べたこともあったが、奏夜の口元にチョコがついていたせいで緋目に怒られた。

 一方、緋目は奏夜とは違い、冷静だった。

緋目は常に要目の前を歩いていた。隙あればいつでも母の背中か傍にくっついていた。彼女は背中にひっついている要目を突き放すことは絶対しなかった。何よりも緋目の「大丈夫、ここにいる」という言葉は幼い要目に安らぎをくれた。


「本日は御足労頂き感謝いたします」


 いつもと違う奏夜は要目にとって全くおもしろくなく、奏夜らしくなくて気持ち悪かった。


「ご紹介します。妻の緋目さん、そして娘の要目です」

「よろしくお願いします」


 緋目がお辞儀をすると、その長い髪の毛が動き、要目の肌に触れてこそばゆかった。


「要目も挨拶して」

「やだ、怖い」


 この時はただ知らないものが怖いだけだった。人見知りの要目にとって知らない人は脅威だったのだ。


「要目?」

 いつの間にか傍に控えていた子供が要目の前にいる。要目は慌てて緋目の背中に顔を隠した。


「要目、出ておいで」


 緋目の言葉で要目は恐る恐る顔を出す。

 その子供は要目と同じぐらいの年に見えた。ダークブラウンの瞳と髪で、体は細かった。


「おれ、ループス。仲良くしよう、要目」


 子供が手を出す。要目はすがるように緋目を見上げた。


「おかあさん……」


 緋目が要目に目配せする。


「大丈夫、怖くないからね」

「……」 


 要目が握手をためらっていると突然、奏夜が言い出す。


「要目、ループス君、一緒に遊ぼう。お父さんも一緒に遊んでいいかい?」


 要目は激しく頷く。


「遊んで、遊んで、おとうさん!」

「おう、一緒に行こう。後は緋目さんに任せよう」


 奏夜は要目とループスの手を引く。緋目は呆れた顔をしていたが全く気にならなかった。

 要目はただ奏夜と遊べることがとても嬉しくて、いつの間にか知らない人に対する恐怖は消え去っていた。


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