7 毒針と香紙

 逃走に成功し、拠点に戻ってから十分後。

 紺色のドレスから水滴が落ちている。

 天井に備え付けられた物干し竿には洗濯したばかりのドレスがハンガーにかけられている。ハンガーで干されたドレスの胸のあたりには薄い紙が洗濯鋏でくっつけてあった。


香紙こうしといいます」


 ドレスにくっついている薄い紙は桜色に染まっている。


「香紙は水滴に反応し、良い香りを生みます。形状が紙のようなので香紙と名付けられました。最大の特徴は匂いを放っている最中は桜色に染まることです」


 斎は現在の白い手袋を眺める。香紙の桜色、何よりも放つ香りの特徴が斎の手袋に起こった特徴と一致する。


「斎が寝ている間、手袋の裏にこっそり香紙を縫い付けました。だから持っていたグラスの水滴に反応して桜色に染まったわけです。おかげで怪しい人と認定され別室に行く作戦が叶いました」


 ふと、斎が要目にグラスを渡した時のことを思い出した。あの時要目は「こんなになりますか」と言った。

 あれはてっきり、「冷たい飲み物がぬるくこんなになりますか」と飲み物の状態を言ったものだと思った。

だが香紙の話を聞いてもう一つの可能性に至る。


「(グラスの水滴で)香紙が染まる時間こんなになりますか」


 考えすぎだろうか。

 斎は最も気になっていたことを質問する。


「毒針は、どこに隠していた?」

「ああ、それはですね」


 要目は右手を掲げる。


「私の右腕は切断されても縫い合わせれば元通りに使えます。だから縫い合わせる時、針に糸を通したままの状態で針先に毒を仕込んで右腕の中に隠しました。毒が効かない私だからこそ、できたことですね」


 手荷物・身体検査は簡素なものだったが、怪しいものは捨てる徹底ぶりだった。

 だが、まさか体の中に毒針を仕込んでいるとは誰も思わない。要目はそんな心理をつき、体の中に毒針を隠して遊戯場に持ち込んだ。

 解毒剤の入った香水の瓶を捨てられることも、その後の出来事も全て計算済みだったのだろう。

 また、オーナーが別室の扉に鍵をかけた時、斎はオーナーを殺して逃げられると思った。だから手袋を外そうと手をかけた時、


 動くな


 要目の唇がそう動いたのを見た。従う必要はないと思ったが、その直後にオーナーが振り返ったので結局動けなくなった。

 あれは斎が最初に読唇術を使えるか見極めた上での行動だったのだろう。使えると分かったからその方法で意思疎通を行った。

 全て要目の計画通りに動いていたのだ。要目が計画を立てた時点であのオーナーに死なない選択肢はなかった。


「私は必要だったのか?」


 そこまで計画が立てられるのなら一人でも成功してそうだ。斎が同行する必要はなかったと思う。現に何もせず、ずっと立っていただけだったのだから。


「必要でしたよ。貴方がついてきてくれたから今回の計画は成功しました。なんせ、子連れが条件なので。貴方がいたからこそ、大人の貴方が親、私が子と、子連れを演出して中に入ることができました」


 要目はどこからか一枚のトランプを取り出す。それを人指し指と中指の間に挟んで弄ぶ。


「私がやってきたゲームのルール、理解できましたか?」


 要目はトランプを消したり、出現させたりを繰り返す。斎は首を横に振る。正直、何をしていたのかさえ全く覚えていない。


「他のゲームもおそらく貴方には理解できません。私も理解するのに大分時間がかかりました。


 要目は出現させたトランプを天井に放つ。トランプは天井に刺さった。


「あの遊戯場の対象は子連れの親の方です。親にお金を使わせる。そして足りなくなれば換金場で借金させる。借金が膨らんで返せなくなれば連れの子供を人質に悪事を強要させる。あの別室は借金を返す方法を提案、もしくは実行していた場所だと考えられます。現に別室と聞いたとたん、何組の親は子供を腕の中に隠していたのが見えました」


 子供はよく売れますからね、身体も内臓も、と付け足す。

 斎は天井に刺さったトランプをただ眺める。

 今となってはあの遊戯場の仕組みなど興味ない。それに、要目がどうしてあんな質問をしたのか、も。


(どうでもいい)


 だが、耳元で囁いた要目の言葉は頭の片隅に残っている。耳がいい斎は、要目の言葉を正確に聞き取っていた。



「ベランカは、この街にいますね?」



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   おまけ①

 要目ちゃんの普段の一人称は「私」ですが、本音を語る時は一人称が「わたし」に変わります。


                             


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