第191話 本当の気持ち③

灯里はもう体調も戻ってきているし、そろそろ放っておいても良いかと思って、一人になった灯里の部屋から出て自室に戻る。途中浴室の近くを通るとシャワーの流れる音がしていた。


「とりあえず、元気になってくれたみたいでよかったわ」


小さく一人ごとを言いながら部屋に戻る。とはいえ、病み上がりの体で、また明日から元通り激務の中に身を投じるのは心配だった。


「大丈夫かしら……。また明日から普段通り働いて、倒れちゃわないかしら……」


今回は2日寝込んで治したけれど、無理をし続けたら、次は入院をするような重たい症状になってしまってもおかしくない。そのくらい、再会してからの灯里は明らかに無理をしていた。


美衣子が横になって、しばらくの間灯里のことを考えてから、ふと思い出す。


「あ、わたし灯里の部屋にお粥入れたお皿置きっぱなしだった!」


灯里がお風呂から出てくる前にさっさと回収しないと、と思いながら部屋に近づくと、中から声がしていた。


「すでにお風呂から出た後みたいね……」


仕方がないから部屋に入らしてもらって取らしてもらうか、と思ってドアの前までやってきて聞こえた声に頭を抱えてしまった。


「美衣子、愛してるわ……」


んっ、と気持ちよさそうな、艶かしい声が聞こえてくる。美衣子の名前を呼びながら、一人で甘い声を出している。


(なんだかデジャブなんだけど……)


少し前に、茉那の家にいたときに似たような甘い声を聞いた覚えがある。そのあと美紗兎が美衣子に扮してセックスをしていて驚いたのを思い出した。


その時に近い、甘い声。


「美衣子……」


部屋の中からしている声を聞いてため息をついた。


聞こえなかったことにしておいた方がいいのだろうけれど、かといって知らないふりをして明日から顔を合わせられる気もしなかった。


そうするくらいなら、今灯里の感情を確かめておくべきだと思った。


ノックもせずに勢いよくドアを開けた。案の定、お風呂上がりに裸のまま、女性器に指を入れたまま、硬直している灯里の姿があった。


「み、美衣子……!?」


一瞬にして怯えた表情に変わった灯里を見て、ため息をついた。


灯里はこの世の終わりみたいな顔をしているけれど、自分に扮した後輩に対して、友達がセックスをしているところ見るよりも、美衣子に対して純粋すぎるくらいの愛を持って一人エッチをしている灯里の方が、まだ理解はできた。


それに、正直ちょっと嬉しかった……。これは灯里には言えない感情だけれど。


「ち、違うのよ、美衣子。こ、これは……」


必死に言い訳をしているけれど、名前を呼びながら甘い声で自分の性器に指を挿れている状態をどうやっても繕える気はしなかった。美衣子が何も言わずに立っていると、灯里の瞳から涙が溢れてきていた。


「えっ、ちょっと、灯里……!?」


突然泣かれてしまって困惑してしまう。普段とても強い灯里なのに、一人エッチを見られただけで泣いてしまうなんて。


「美衣子、ごめんなさい。わたし、美衣子に体を拭いてもらって、体が火照ってちゃって、そういう気分になっちゃったの……」


涙を拭いながら、灯里は謝っている。


「泣くほどのことじゃないわよ……」


「だって、美衣子にドン引きされたら、またわたしの前から消えてしまいそうだから……。美衣子がまたいなくなってしまうのが怖くて……」


心の底から美衣子が消えることを恐れている灯里の様子を見て、美衣子は息を吐き出してから、ゆっくりと灯里に近づいた。恥ずかしそうに膝を抱えて座りながら、溢れ続ける涙を拭っている裸の灯里のことをソッと抱きしめた。


「そんなことでドン引きしないわよ」


美衣子が耳元で優しく伝えた。


「本当に? 朝起きたら出て行ったりしない?」


「しないわよ。心配なら一緒に寝る?」


美衣子の言葉を聞いて、灯里の呼吸のペースが早まったのがわかった。


「そ、その気が無いのに意地悪なこと言うのはやめなさいよ……」


「その気が無いなんて、決めつけないでよね」


ソッと灯里から身を離してから、美衣子も服を脱いでいく。高校時代は上だけ脱いで裸の体を見せ合いっこしたことはあったけれど、今日はショーツまで脱いで、全てを晒した。


「何やってんのよ……」


ちょっと前まで美衣子の前で裸を晒していた灯里の方が少し困惑していた。


「灯里の方が引かないでよね。あんたの方から人の名前使ってオナニー始めたんだから」


お互いに何も纏わず裸になり、灯里と真正面から向き合った。暗い部屋の中、窓から入ってくる月の光だけが部屋を照らしていた。


大学時代、旅行に行った日に月に照らされて神秘的に見えた灯里を思い出す。あの日、灯里への恋心から逃げてしまったから、長い時間はかかってしまった。


自分でもビックリするくらい素直になれなかったのは、灯里がそばにいる生活が当たり前だと思っていたからというのもあるかもしれない。


けれど、久しぶりに再会して、灯里のカッコいいところも、弱いところも見せてもらった。あの時は子どもだったから認められなかった気持ちはもう完全に甦っていた。


今の美衣子には、伝えられずに逃げてしまった後悔があるから、もう迷わない。


「ねえ、灯里」


美衣子が真剣な声を出すと、部屋の空気が止まったような気がした。11月下旬の部屋は裸でいるには少し寒い。早く灯里を抱きしめたい。


「どうしたのよ、美衣子?」


灯里とジッと見つめ合った。暗い部屋の中、お互いの瞳が光っている。切れ長で美形の灯里の瞳に見つめられて、緊張してきた。


「わたし、灯里のこと好きなの」


しっかり、はっきりと言い切った。


「わざわざ宣言するってことは……、期待しても良いのかしら?」


灯里が静かに息を呑んだ呼吸音を聞いて、美衣子はしっかりと頷いた。


「わたしは灯里のことを愛しているわ。恋愛感情としての好意を持っている」


灯里がほんの一瞬目を伏せた。長いまつ毛が目を覆い、感情を隠すみたいに俯いている。そんな灯里に美衣子は尋ねた。


「ねえ、灯里はわたしのことどう思ってるのよ? 気持ちを聞かせてよ……」


美衣子はベッドの上に置いてある灯里の手の甲の上に手を重ねた。


灯里は美衣子に好きの気持ちを数えきれないくらい仄めかしてきた。けれど、実際に面と向かって恋愛感情を伝えてきてくれたことは無い。


だから聞きたかった。ちゃんと灯里に愛の気持ちを伝えてほしかった。


「わたしだって、美衣子のことが誰よりも大好きよ、深く愛してるわ。けど――」


その先を聞くより先に美衣子は灯里の体をギュッと抱きしめて、キスをした。


灯里が何を言おうとしたのはわからなかったけれど、好きの気持ちをきけたのだから、その先なんてどうでも良い。

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