第189話 本当の気持ち①

「おはよう、灯里」


美衣子は朝いつものように灯里に朝ごはんを作っていた。


「おはよ……」


灯里の声がいつもよりもさらにダウナーだった。ゲホゲホと咳をしながらぼんやりとした様子で席に座っていた。


「ねえ、灯里。大丈夫?」


明らかにいつもとは違う様子の灯里を見て、心配になってしまう。美衣子の作った食パンを一口齧ってから小さく息を吐き出した。


「ごめんなさい、美衣子。ちゃんと食べるわ」


灯里が一人で勝手に罪悪感に駆られているけれど、別に気にすることでもなかった。それよりも、明らかに調子の悪そうな灯里の姿がただただ心配だった。


いつもよりも遅いペースでなんとか完食した灯里が明らかにおかしな状態だったから、確認する。


「ねえ、灯里。なんだかしんどそうよ」


ソッと美衣子のおでこを灯里のおでこに当てようとする。


「ねえ、美衣子。そんな距離に来られたらキスしたくなるわ」


うふふ、と嬉しそうな灯里のおでこの熱さにびっくりする。


「ちょっと、灯里。あんたすごい熱よ!?」


「冷めるようなこと言わないでよ。わたし、美衣子とキスがしたかったわ。欲しいのはそんなつまらないセリフじゃないのだけれど」


灯里が無邪気な少女みたいに頬を膨らませていた。


「そんなこと言ってる場合じゃないでしょ! 早く会社に休む連絡しないと」


「休む連絡? どうしてよ? 休まない人が休む連絡を入れるなんて変よ?」


「休まない人、ってまさかあんたその体調で出社するつもりじゃないでしょうね……?」


「何を言ってるのよ? 当たり前でしょ」


そう言って、灯里がふらつきながら立ち上がる。


「足元フラついてるわ」


美衣子が慌てて灯里に近づいて、前に立つ。


「今日は寝ておいた方が良いわ」


「ごめんなさい、美衣子。退いてもらっても良いかしら」


美衣子のことを退かしてでも出社しようとしているけれど、絶対にやめておいた方がいい。


「行かせないわ」


ギュッと美衣子が灯里に抱きついた。


「……朝からイチャついてきてくれるなんて、ようやくわたしの愛が通じてくれたのかしら?」


冗談なのか本気なのかわからないようなことを言われてしまった。


「愛でもなんでも良いから、もうほんとに休んでよ。自分の体がボロボロになるまで働く必要があるの?」


美衣子が必死に訴えかけたのに、「あるわ」と真面目な顔で答えられてしまった。こうなったら灯里を止めるための奥の手を使うしかない。


「なら、わたしの為に休んでよ。たまにはわたしとずっと一緒にいてよ……」


手を絡ませながら、上目遣いで言ってみた。美衣子なりの全力の甘え方。普段甘えることがないから、これが正しい甘え方かどうかは分からないけれど、灯里にはそれなりに効果はあったらしい。


熱で火照って赤くなっていた灯里の顔がさらに赤くなっていった。


「……そんなのズルいわ」


灯里が大きなため息をついた。


「わかったわよ。今日1日だけね。明日は出社するわよ」


「治ってたら出社させてあげる」


「1日で治すわ」


「治ってから言って」


灯里は、あーい、と珍しくだらっとした間延びした口調で返事をしてから部屋に戻っていった。普段の灯里から聞いたことの無いような返事を聞いて、余程体調が悪いのだろうと察する。


「それにしてもほんと社畜の鑑ね。あの子一体どんな大きな仕事を任されてるのよ」


苦笑いをしながら朝ごはんの片付けをした。それから、昼と夜にはお粥を作って灯里の部屋に持っていく。ノックをしたら、灯里は「ちょっと待って頂戴」と言って、時間を置いてから美衣子に部屋に入るように促すのだった。


きちんとした看病をしたけれど、残念ながら1日では灯里の風邪は治らなかった。


「ねえ、みぃこ……。仕事に行かせてよ……」


昨日の朝よりも調子が悪そうにふらつきながら部屋から出ようとするから、美衣子は灯里の部屋の入り口で手を横に広げて通せんぼをする。


「ダメよ! 明らかに調子悪いじゃないのよ」


「家からの仕事じゃできることとできないことがあるもの」


「家からの仕事って……、昨日仕事してたの? あんたちゃんと寝てなさいよ!」


「ダメよ。わたしが休んだら業務に支障が出るもの」


「どうせあんたのことだから、ずっと座って家でパソコン触ってたんでしょ!」


灯里が黙って目を逸らした。沈黙という形での肯定をされてしまった。


「もうっ、ちゃんと寝てないとダメじゃないのよ!」


美衣子が大きくため息を吐き出した。


「今日は1日わたしが近くで見ておくから、緊急時以外仕事に対応するの禁止だからね!」


「み、美衣子がずっと傍に付き添ってくれるの……? そんなの悪いわよ」


灯里が掛け布団で顔を隠しながら言う。


「あんたが仕事ばっかりして、風邪を治そうとしないからでしょ? わたしだって好きで見張りみたいなことするわけじゃないわよ」


「み、美衣子が見張るならお仕事できないわね……」


灯里が掛け布団に顔ごと潜って隠れるようにして、しばらくするとそのまま眠ってしまった。スースーと、綺麗な寝息を立てている。


美衣子は約束通り灯里の寝ているベッドのすぐ横でジッと付き添った。ベッドの傍に椅子を置いて、ジッと灯里を見つめていた。


(灯里のことをこうやってジッと見つめるのはなんだか申し訳ない気分になるわね……)


好きな子の寝顔を見つめるなんて、なんだか危ない気もする。綺麗な灯里の顔はどれだけ見ていても飽きなかった。


「汗かいてきてるのね」


洗面所から絞ったタオルを取ってきて、顔を拭く。


撫でるように拭いていると、灯里が目を覚ましてしまった。顔を近づけた状態で目が合ってしまったから、少し気まずい。


灯里が驚いたように目を見開いているし、なんだか悪いことをしたみたいな気分にもなる。


「ごめんなさい、起こしちゃったわね……。汗を拭いてるだけだから気にせず寝てよ」


「ね、寝られるわけないわ。美衣子にこんな近くで汗拭いてもらってるって考えたら緊張しちゃうじゃないの……!」


「別にわたしと灯里の友達関係で今更体を拭いてもらったくらいで緊張する必要なんてないでしょ」


「美衣子はズルいのよ……」


「何がズルいのよ?」


美衣子は冷静さを装っているけれど、心臓は大きく跳ねていた。灯里の答えが美衣子の欲しいものだったら嬉しいな、とは思った。


けれど、灯里は「なんでもない!!」と言って、美衣子の手を退けて顔を布団に埋めてしまった。

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