第187話 旅行と恋と絶交と③
「灯里、わたし彼氏できたから」
旅行から数週間の日々が経ち、灯里とカフェに行った日のことだった。旅行の日からも変わらずに灯里から週末に会いたいと言われていたのに、拒んでいた。そして、久しぶりに会った時に、美衣子は打ち明けたのだった。
ストローでアイスコーヒーを啜りながら、できるだけ自然体を装って彼氏ができたことをしれっと伝えた時、灯里が見たことないような顔をした。
まるで、幽霊でも見たかのような、恐怖に満ちた顔。顔から血の気が引いている状態というのはまさに今の灯里のことを言うのだろうと思えるような、真っ青な顔をしていた。
「嘘よね、美衣子? 冗談よね……?」
灯里の呼吸が浅くなっていた。彼氏ができたことを伝えたら灯里がびっくりすることを想定はしていたけれど、ここまで絶望に満ちた表情をするとは思わなかったから、少し申し訳なくなってしまう。
「本当よ。同じサークルの子」
一応過去問をもらうためだけに飲み会とかイベントごとだけ定期的に出ていたあまり興味のなかったサークルだけど、こんなところで役立つとは思わなかった。前々から美衣子によく声をかけてくれていた男子に告白してみたら、想像以上にあっさり成功した。
とくに恋愛感情もないし、なんなら友達としてもそこまで興味はなかったけれど、誰でも良かったから付き合った。灯里に対して抱いた、心臓の跳ねるような感情が恋心なのか、それともただの友情の延長なのか、男子と恋をしてみなければわからなかったから。
そんな軽いノリで試してみただけのつもりだったのに、灯里の反応が思ったよりも大きかった。
後から思えば、美衣子は、灯里の美衣子への愛の感情をとんでもなく過小評価していたのだけれど、それはこの時の美衣子にはまったく想像もしていないことだった。
灯里くらい重たい愛をぶつけてくる子や、ストレートに恋心をぶつけてくる茉那のような子しか友達がいなかったわけだから、それが普通だと思ってしまっていた。
だから、当時は灯里の美衣子への感情も、ごく普通の友達がぶつけてくるような感情だと思っていた。
「灯里はモテるんだから、すぐに彼氏だって作れるわよ」
「誰でも良いんだったら、もうとっくに作ってるわよ……」
灯里がアイスコーヒーのストローを力強く噛み締める。
「まだ好きな人がいなかったってこと? なら、わたしと距離を置いたらきっと好きな人ができ――」
喫茶店の机を勢いよく叩いて灯里が立ち上がった。机の上のものがカタカタと揺れている。
「灯里、どうしたのよ?」
「ごめんなさい。今日は帰るわ。吐きそうなの」
「ええ、わかったわ……」
よろめきながら帰っていく灯里だけど、きちんと自分の飲んだコーヒーの代金を机の上に置くことは忘れずに帰って行った。
それから、彼氏とは何度かのデートを重ねたけれど、残念ながらきちんと恋に落ちることはなかった。
(これじゃあ結局、灯里への感情を恋と呼んで良いのかはわからないわね……)
彼と何度かのデートを重ねている間、2ヶ月ほど灯里からの連絡がなかった。何度か美衣子の方からも連絡したのに、返信はなかったから、美衣子も放っておいた。
とはいえ、灯里が美衣子からの連絡を無視することなんて今までなかったから、異常事態であったのだと思う。
11月の下旬ごろになり、ようやく灯里から美衣子に連絡が入り、美衣子の下宿先の家で会うことになったのだった。
「久しぶりね、灯里。一体どうしたのよ?」
「ごめんなさい、いろいろあったのよ……」
「珍しいわね。いっつもわたしが連絡したら絶対に返してくれたのに」
「ええ、それもごめんなさい。わたし、ちょっと大人気なかったわ。美衣子に彼氏ができたのなら、ちゃんとお祝いしてあげないといけないはずなのに、あんな態度とっちゃって申し訳なかったわ」
前に会った時よりも少し痩せたようにも見えたけれど、もう既に気持ちは落ち着いているようで安心した。
「美衣子にいきなり彼氏ができたって聞いたから、あの日はびっくりしちゃったのよ。でも、美衣子はとっても魅力的だものね。彼氏の一人や二人、作ったら良いと思うわ」
「複数人は作らないわよ……」
美衣子が苦笑いをした。
「まあなんでも良いんだけどね、そんなことよりもクリスマスの旅行の話、そろそろ計画立てないといけないと思って」
「クリスマスの旅行?」
「そうよ。前の夏休みに湖を見に行った夜に約束したじゃない」
「そういえばそうだったような……」
なんとなく移動中に言われたことを思い出してきた。
「いくつかリストアップしてきたのよ。美衣子と一緒に行きたいところ」
灯里が『美衣子との旅行計画!』と書かれたノートを広げてパラパラと捲っていく。ノートには、旅行計画がびっしりと書かれていた。
「ねえ、待ってよ、灯里。わたしクリスマスは彼氏と一緒に過ごすことになってるの」
「先約はわたしよ?」
「そうだけど……」
「ねえ、美衣子。わたしと彼氏どっちが大事なの?」
「そりゃ、まあ……」
灯里しか目の前にはい無いのだから、灯里の名前を出してあげるのが一番無難なのかもしれない。事実として灯里の方が大事なわけだし。けれど、それを言うと
彼氏とクリスマスに会う理由がなくなってしまうから、言えなかった。
「ねえ、美衣子ったら!」
「そ、そんなの選べないわ……」
「ねえ、クリスマス開けてよ! 美衣子と出かけたいわ!」
「それ以外の日じゃダメなの?」
「美衣子の彼氏の方が優先されるのが嫌なのよ。わたしの方を優先して欲しいのよ……」
「それはちょっとわがままなんじゃない?」
まあ、先約を反故にしておいて言えた義理じゃないかもしれないけれど。
「どうしてもムリなの……?」
美衣子はしっかりと頷いた。
「……わかったわ。じゃあ、諦めるわ」
灯里の瞳の中から光が消えたような気がして、一瞬背筋が震えてしまった。
「ところで、美衣子の彼氏ってどんな人なのかしら? きっと美衣子の彼氏だから素敵な人でしょうね」
灯里がまた優しく微笑んだから、さっきの冷たい瞳は気のせいだったのだろう。そう思って、スマホの画面を見せる。
「やっぱり素敵な人ね」
ほめてもらったけれど、まあね、と適当に相槌を打っておいた。灯里が美衣子以外の人を褒めるのは珍しかった。彼が褒められても、特に嬉しくはなかった。
とりあえず、灯里が納得してくれたようで安心していると、「あっ」と大きな声を出された。
「どうしたのよ」
「用事を思い出しちゃったわ。今日はちょっと帰るわね」
「良いけど、随分急ね」
「急な用を思い出したのよ」
はいはい、と適当に灯里を見送った。灯里の本心も知らないで、美衣子は呑気に一人部屋の中でスマホを触っていたのだった。
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