第184話 元カノ⑥

「わたしたちがしたのはセックスじゃなくて、ただ体を見せ合っただけよ」


呆れた調子でため息をついたけれど、それでも透華は納得しなかった。


「灯里がわたしの前で服を脱いだことなんてないから、やっぱり美衣子ちゃんは特別なんだよ」


「逆にあんたたちはどんな恋人関係なのよ……」


美衣子と灯里がただの友達にしては濃い関係であることは認めるとしても、透華と灯里が恋人同士にしては何もしていなさすぎた気がした。


「ただ一緒にいただけ。お互いに寂しさを埋め合わせてたの」


意味はよくわからなかったけれど、透華にも何か埋め合わせる必要のあるものがあったらしい。


「けど、美衣子ちゃんには嫉妬しちゃうな。灯里ちゃんはずっと美衣子ちゃんのことだけ見てたんだから」


「でも恋人は透華さんでしたし」


「偽りの恋人なんて、本物の恋の前では弱いよ」


寂しそうに透華さんが笑う。


「まあ、いずれにしても、もう恋人関係じゃないし。今はわたしは灯里ちゃんと美衣子ちゃんが仲直りできて本当に良かったと思ってるよ。灯里ちゃんも、美衣子ちゃんもうまくいってくれて良かったと思う」


その表情に嘘は無さそうで、それはそれで少し怖く感じた。一応美衣子は透華とっては恋敵に近い存在であるはずなのに。


それに、酔っている時にはかなり嫉妬心のようなものも出していたから、てっきり透華は美衣子のことが嫌いなのだろうと思っていた。


「透華さんはわたしのこと嫌いなわけではないんですか?」


「まさか。灯里ちゃんの友達はわたしの友達だよ。美衣子ちゃんも大事な友達。嫉妬はしているけれど、別にそれは美衣子ちゃんのことが嫌いとかじゃないよ。灯里に好かれてるのが羨ましいだけ」


「優しいんですね」


「嫉妬しちゃってる時点で優しくないと思うよ。あれだけ美衣子ちゃん一筋の灯里を見続けてきたのに、今更美衣子ちゃんに敵意向けるのは意味わからないしね。わたしはもうすでに、一足先に負けルートに入った子だから」


透華が苦笑する。一足先にというのが何を意味するのかはよくわからなかった。


「まあ、もっと付け入る隙があれば、わたしはきっと美衣子ちゃんに憎悪に近い嫉妬をしてたんだろうけど、残念ながらそんな隙まったくないから、もう諦めついちゃったよ。羨ましがるくらいは許してよ」


そして小さな声で透華がつぶやく。


「まあでも、もう灯里ちゃんはそんな美衣子ちゃんの手にすら届かなくなっちゃうんだけどね……」


「あの、透華さん、それってどういう意味ですか?」


とても意味深なことを言われてしまったから、美衣子は不安になった。


「美衣子ちゃんって灯里ちゃんからどのくらい聞いたの?」


「その言い方意地悪なんで、もっと直接教えてくださいよ」


「ちょっとくらい元カノマウント取らせてよ。情報量くらい美衣子ちゃんより優位でいさせてほしいよ」


透華が寂しそうに笑ってから続ける。


「まあ、灯里ちゃんが何も言わないのも、きっと美衣子ちゃんのことが好きすぎて現実を見たくないとか、そういう話だと思うけどね……」


「あの……、灯里に何があるんですか? 大変な話だったら教えて欲しいんですけど……」


「言わないよ。わたしの口からは言わない。でも、きっともうすぐ事実と向き合わないといけないんじゃないかな? まあ、美衣子ちゃんは別に灯里ちゃんのこと愛してはないだろうから、結ばれなくてもそこまでのダメージは無いとは思うけど……」


あまりにも意味深な言葉を透華から聞いてしまった。一体どういうことなのだろうか。


全く分からないけれど、一つ言うならば、結ばれなくてもダメージがない、というのはもはやあり得ない。すでに美衣子の心には灯里への感情が蘇ってきてしまっているのだから……。


「ま、今日はもう遅いし、このくらいにしておこうか。これ以上詮索されたら困っちゃうし」


透華が苦笑いしながら、お開きにしてしまったので、その先を聞くことはできなかった。



透華との飲みが終わってから家に帰ってきたのは21時ごろなのに、灯里はそれから3時間ほど経ってから帰ってきた。


「美衣子、まだ起きてたの? 今日は晩御飯もう食べた後だから、寝てても大丈夫だと思うけど?」


「あんたほとんど透華さんの料理食べずに出て行ったじゃないのよ……」


灯里の机の上に小さめのおにぎりを2つ置いておいた。


「別にいらなかったらわたしが明日食べるから、そのままにしといて」


「当然いただくわ。美衣子、ありがとう」


灯里が優しく微笑んでくれたけれど、少し疲れたような笑みだった。


「ねえ、あんたさ。毎日長い時間働いてるし、まともに休んでもないみたいだけど、大丈夫なの?」


「ええ、今が大事なときだから問題ないわ」


「なら良いんだけど……」


正直良くはないけれど、灯里の抱えている事情に深入りするのは良くないと思ってそれ以上は止めることもできなかった。手を洗いに行こうとして部屋を出ようとしていた灯里の背中に呼びかけた。


「ねえ、灯里……」


ん? とゆっくりこちらを振り向いた。疲れ切っているのに、無理に笑顔を作っているせいで、余計に普段よりも色気が溢れている。


「あのさ、灯里ってさ……」


聞きたいことだらけだった。灯里の今の美衣子に対する本当の感情も。透華の言っていたこれから起きうる、灯里が隠している何かも。だけど、その続きが出てこなかった。聞きたいことが散らかりすぎていて、どうやって聞いたらいいのかわからなかった。


「ごめん、なんでもないわ」


「おかしな美衣子ね」


灯里は小さく首を傾げながら笑って、また手洗い場へと向かっていった。灯里の去った部屋で美衣子は小さく呟いた。


「もはや、わたしは自分の感情から逃げられなくなってきてるわね……」


そっと心臓を押さえて、早く鳴っていく鼓動を確認する。


「好きなのよ、灯里のこと……。あの時だって、本当は逃げちゃダメだったんだわ……」


あの時もっと素直になっていたら、灯里ともしかしたら恋人にでもなれていたのだろうか。後悔しても仕方がないけれど、どうしても大学時代のことを思い出してしまう。


灯里との楽しいはずの旅行で狂った歯車を立て直すことができなかった後悔を思い出すと、いまだにお腹が痛くなってくるのだ。

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