第181話 元カノ③

突然灯里が去ってしまったせいで、透華と2人でテーブルに向き合った。


よりによって、透華が昔灯里と付き合っていたなんて、あんまり聞きたくないことを聞かされてから2人になってしまったから、とても気まずい。


「美衣子ちゃん。悪いけど、ご飯一緒に食べてもらっても良い? わたし一人で食べたら、太っちゃうし」


「良いですけど、透華さんは良いんですか?」


「良いに決まってるよ。もうお店閉じてるから暇なんだ」


良いかどうか聞いたのは、透華が灯里の元カノということを知ってしまったからなのだけれど。高校時代の美衣子なら空気を読まずにストレートに聞きなおしていたかもしれないけれど、今の美衣子にはそんなことを聞く度胸もない。


曖昧に「それなら良いんですけど」と返事をしてしまっていた。


「美衣子ちゃんはお酒飲むんだっけ?」


「飲めないことはないですよ」


「じゃあ、適当に持ってくるね」


「いえ、そこまで手厚くしてもらわなくても……」


「わたしが飲みたいんだって。一人で飲むのもきついから、美衣子ちゃん付き合ってよ。いろいろとお酒飲まないと話せないお話もあるからさ。美衣子ちゃん相手だと」


あはは、と美衣子は乾いた笑いで返したけれど、明らかに最後の美衣子ちゃん相手だと、の部分が不穏だった。透華がお店の奥から缶チューハイを何本か持ってくる。


「もっと良いお酒あったら良かったんだけど、これしかなかったよ。ごめんね」


透華が苦笑いをしながら、グラスに注いでいってから、美衣子に渡す。


「じゃあ、美衣子ちゃんと灯里ちゃんの仲直りを祝して乾杯ってことで」


微笑みながらグラスをこちらに向けてくる透華のペースに合わせて、美衣子もグラスを触れさせる。カチンと綺麗な音が店内に響いた。


「あの、透華さん、2人が付き合ってたっていうのは……」


「慌てないでよ、美衣子ちゃん。そういう話は急がなくても良いじゃん」


透華は美衣子の取り皿に、ハンバーグとサラダを装っていた。


「いえ、でも……。そういう話をしたいんじゃないのかなって思いまして……」


「元カノの話なんて聞いたって面白くないでしょ? それとも、美衣子ちゃん気になるの? 灯里ちゃんがどんな恋をしてきたのか。嫉妬かな?」


透華は、両方の肘を机の上に乗せて、組んだ手の上に顎を乗せながら、美衣子の方をニヤリと見つめた。


「べ、別にそんなんじゃないですから! だいたいわたしが灯里に嫉妬する理由ないですし!」


「……だよね。美衣子ちゃんは勝ち確だもん、少なくともわたしに対しては。嫉妬しているのはわたしの方」


本当は美衣子の心にモヤっとした気持ちが渦巻いてはいたけれど、透華は深く追求しようとはしてこなかった。


「嫉妬って、別にわたしは灯里の恋人でもなんでもないんですから、そんな感情持たなくても……」


「美衣子ちゃんは羨ましいよね。灯里ちゃんに愛されてるから、余裕があって」


「愛されてないから、わたしは彼氏を灯里に取られたんですよ? 灯里の中でわたしの元カレの方が、わたしよりも優先されるべき存在だったから、奪ったわけで……」


「本当にそうおもってるの?」


「それ以外、何があるんですか?」


美衣子が少し苛立った声で答えた。


「ちょっと呆れちゃうかも。あんだけずっと一緒にいたのに、灯里ちゃんのこと何も見えてないんじゃん」


すでにほんのり顔が赤くなっている透華がもう1缶空けて、グラスに注いでいた。度数9%の強いやつだ。


酔っているから普段言わないようなキツイことを言っているのか、キツイことを言うために酔っている状態を作りたいのかは判断できなかった。


「何も見えてないって、なら、透華さんはちゃんと灯里のこと知ってるんですか?」


「知ってるよ。だって、わたしは灯里ちゃんの彼女だったんだもん。美衣子ちゃんとは違って」


元カノマウントを取ってくる透華に困惑しながらも、何も言えなかった。一体透華は何を知っているというのだ。


「そもそも透華さんはわたしが灯里に彼氏取られた話だって、ろくに知らないくせに……」


「そうだね。わたしが聞いたのは、あくまでも灯里ちゃんからの一方的な話だけだったから、そういう意味では何もしらないのかもしれない。少なくとも、美衣子ちゃんの内面の事情については、知らないことも多いかも。でも、美衣子ちゃんに嫌われた灯里ちゃんに真っ先に頼ってもらったのはわたしだったから、そういう意味では灯里ちゃん……、ううん、灯里のこと詳しく知ってるよ」


透華が灯里のことを呼び捨てで呼ぶ。呼び方には、ほんのりと甘さが漂っていた。


「美衣子ちゃんに嫌われてから1週間くらい経ってからかな。灯里ちゃんが見たことないくらい生気の無い顔をして、うちにやってきたの。今もかなり痩せてるけど、あのときはもう骨と皮だけだったと思う。1週間ほとんど何も食べてないから、何か作ってって、わざわざわたしのところに来たんだ」


そう、と美衣子が適当に相槌を打ったけれど、2人の関係性は気になっていたから、耳はしっかりと傾けていた。


「多分重たいものは胃に入らないと思ったから、わたしはお粥を作ったんだ。塩と梅干しだけ乗せたシンプルなやつ。灯里の横に座って、食べさせてあげたんだ。フーフーって息を吹きかけて、お粥を冷ましながら。灯里が心の底から『美味しい』って微笑みながら言ってくれたから、わたし嬉しかったんだよね。普段灯里って何を食べても無愛想だから。それから、灯里は少しだけ教えてくれたの。美衣子ちゃんに嫌われてしまったこと。それで、全然食事が喉を通らず、ずっとベッドで横になっていたこと」


透華が小さく息を吐き出した。そして、一瞬美衣子のことを見てから、視線を下げた。


普段のんびりとした口調の透華だけど、今日は随分とテンポ良く、冷静な声で話していた。


「灯里はきっと美衣子ちゃんに嫌われて、相当メンタルがやられていたんだと思う。だから、わたし思い切って言っちゃったんだ。わたしのこと好きになったらって。ずっと灯里に片思いしてたから。弱みにつけ込むみたいでダメな気はしたし、そもそも灯里がわたしの告白にオッケーしてくれる世界なんて無いと思ってた。きっと、『何バカなこと言ってんの』ってあしらわれると思ってた。それで、いつもみたいな元気な灯里になってくれたら、フラれてもわたしにとっては良いことだからって思って。だけど、灯里は小さく頷いてくれた。『あなたのことは愛せないわ。でも、それでもいいなら良いわよ』って」


、なんてとんでもない前置きをしていたのに、透華は受け入れたということか。そして、そのことに対する原因を作っていたのは、もしかしたら。


そんな美衣子の不安そうな表情なんてまったく気にせず透華は続けた。


「わたし、まさか灯里と美衣子ちゃんの仲違いの原因が彼氏絡みなんて考えもしてなかったから、後から思えば、本当に灯里がめちゃくちゃなことをしすぎててビックリしたけど」


優等生の灯里が美衣子の彼氏を奪ったり、さらには美衣子の彼氏と付き合いながら透華とも付き合うなんて。


柄にもない事実があの時期の灯里からはどんどん出てくるのだった。

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