第180話 元カノ②
お店に入ると、透華がすぐに入り口まで駆け寄ってきた。サイドテールを揺らている、小さくて元気いっぱいな透華は、歳上の人なのに子どもっぽく見える。
「わあ、お二人さんじゃん! ちょっと前まですっごい険悪だったのに、どうしたの?」
無邪気に首を傾げる透華に、灯里が微笑んだ。
「わたしたち、仲直りしたのよ」
「そっかぁ。よかったね。美衣子ちゃんも、灯里ちゃんのこと許してあげられるなんて優しいね」
透華が無邪気に笑いかけてくるから、美衣子は曖昧に笑った。透華はかなり灯里と美衣子の関係性を知っていそうだ。
「ねえ、あんた透華さんに何をどれだけ伝えたのよ……」
美衣子が少し背伸びをして、灯里に耳打ちをする。
「わたしの知っているありのままを全部よ」
「全部って……」
「だって、あの時は美衣子を失ったショックで弱っていたからいろいろ言っちゃったのよ……。申し訳ないとは思っているけれど、もう言っちゃったことは取り返せないから」
実際、絶交した当時の時点ではもう灯里と美衣子は無関係の生活を送り続けるはずだったから、無関係の美衣子の陰口を言っていても別に気にすることではないのだけれど。それに、愚痴った相手の透華は、灯里にとってきっとそれなりに信用できる人物のはずだから。
美衣子が小さくため息をつくと、透華が美衣子のすぐ横にやってくる。
「なになに〜。元気ないけど、灯里ちゃんと本当は仲直りしたくなかったの? もう一回喧嘩しとく?」
冗談めかして下から覗き込んでくる小さな体の透華。そんな透華の頭を灯里が軽く叩いて、窘める。
「やめなさいよ。美衣子が困るでしょ」
茉那よりも小柄な透華と、ヒールを履いた元々背の高い灯里だから、透華が見上げながら、苦笑している。
「やだなぁ、冗談だって。美衣子ちゃんが元気なさそうだったから、ちょっとからかってみただけだって」
灯里が黙って透華のことを数秒見つめた後、ため息をついた。
「あんまり変なこと言わないでよ?」
「わかってるってば」
透華が乾いた笑いを浮かべていた。
「まあ、2人ともせっかく仲直りしたんだし、晩御飯食べていったら? 灯里ちゃんから連絡もらってたから、いろいろ作っておいたよ」
透華が次々とお店のテーブルに料理を並べていく。オムライスとか一口サイズのハンバーグとか、ボウルに入ったサラダとか、なんだかパーティーみたいだった。
「パンケーキもあるよ」
上にクリームの乗った可愛らしいパンケーキ。上にはチョコレートで、可愛らしくデフォルメされた熊の絵まで描いている。
「すごい可愛いの作るんですね」
普段コーヒーを淹れているところしか見ないから、透華が可愛らしいものを持ってくるのは意外だった。机の上に乗せられた華やかな料理の数々はクラシカルで渋めなお店とはミスマッチであることは否めないが、もう営業時間は過ぎているから、そこまで気にしなくても良いのだろう。
「普段から出したら良いのに」と灯里はパンケーキを見ながら呟いた。美衣子も同じことを思った。
「お店の雰囲気壊れちゃうじゃん」
「壊したら良いじゃない」
「やだよ」と透華が真面目な声で答えた。
「わたしにとって、このお店の雰囲気はパパから受け継いだ大切なものなんだから、そう簡単には変えられないよ」
「お店は受け継いでいても、今仕切っているのはあなたでしょ? なら、あなたが自分で決断しなければならないでしょ? そうやって、いつまでも変なこだわりを持ち続けたら結局お店が立ち行かなくなってしまうわよ?」
「灯里だって親の言いなりのくせに……」
「ねえ、透華。わたしは事実を言ってあげているのよ? そんな駄々っ子の言い訳みたいなつまらない話はやめて」
灯里の口調が刺々しくなるのに合わせて、楽しそうだった透華の口調も刺々しくなっていく。
「わたしだって、事実を言ってるだけだよ。わたしにお説教する前に、その言葉は自分に向けてあげなよ?」
せっかく楽しい雰囲気だったのに、灯里が変なことを言い出すせいで空気が悪くなってしまっていた。美衣子が恐る恐る止めに入る。
「ねえ、2人ともやめなよ……」
そう言ってから、美衣子が慌ててパンケーキを食べる。
「美味しいですね。透華さん料理上手です!」
美衣子が柄にもなく空気を読んで楽しそうな声を出した。まあ、美味しかったのは事実だから、嘘はついていない。透華は美衣子の声を聞いて、また表情を戻した。
「喜んでもらえて良かった。ありがとう」
灯里が無愛想なままオムライスに口をつける。
「灯里ちゃんはどう? 美味しい?」
ええ、と軽く頷いてから食べ進めていた。
「灯里って、美衣子ちゃんの料理食べた時もこんな感じなの?」
「えっと……、まあ」と曖昧に頷いておいた。
灯里は美衣子の料理を食べて泣き出したけれど、それを言うと、まるで灯里が透華の料理に満足をしていないみたいなニュアンスになってしまいそうだった。
「なら良いんだけど……」
少し不満そうな透華は灯里のことを一瞥してから、美衣子のことを見た。
「灯里ちゃんも、美衣子ちゃんみたいに良い反応してくれると作りがいもあるんだけど、いっつも何作っても無反応だから」
「だから、別に作らなくても良いって何度も言ったはずよ」
灯里が、透華の方は見ずに雑に答えていた。
「そうはいかないよ。付き合っている彼女には美味しいご飯を作ってあげたかったんだもん」
微笑んだ透華とは対照的に、灯里の顔が真っ赤になる。
「み、美衣子。今の聞いてないわよね?」
「いや……、ごめん。思いっきり聞こえたに決まってるけど……」
「違うのよ、美衣子。昔の話だし、あれは一方的に透華が――」
灯里の言葉を遮るみたいに透華が声を出す。
「でも、灯里ちゃんはオッケーしてくれたでしょ?」
「違っ……、だって、あのときは……」
「それに、美衣子ちゃんは特に気にしてないみたいだよ?」
透華の言葉を聞いて、灯里がわかりやすくショックをうけているようだったけれど、灯里と透華の恋人関係の話を聞いても冷静だったのは、美衣子が2人の恋愛模様に無関心だったからではない。まだ情報が追いついていないからだ。
美衣子が、ええ、まあ、と曖昧に返事をすると、灯里がなんともいえない、安堵と悲しみの中間みたいな美衣子の顔をチラリと見てからまた透華に向き直す。
「ねえ、透華。なんであなたいきなりそんなこと言い出したのよ!」
「灯里ちゃんが意地悪なことばっかりするからだよ」
透華がペロっと少し舌を出した。
「あなたって、ほんと……」
灯里が苛立っていると、スマホが鳴り出した。
「ああっ、もう! こんなときにぃ!」
柄にもなく灯里が苛立っている。今にもスマホをへし折ってしまうのではないかというくらいの不機嫌そうな顔をしたと思ったら、次の瞬間にはパッと無理やり笑顔を作る。
「お世話になってます。楪です」
綺麗な声で電話に出ると、そそくさと店の外に出て行った。どんな内容の電話かはわからなかったけれど、おそらく仕事関係の電話だったのだろう。
灯里が店に戻ってくると、大慌てでカバンを持った。
「ごめんなさい。わたしはちょっと会社に戻らないと行けなくなっちゃったから」
「あ、ちょっと灯里!」
こんなセンシティブな話をしていたのに、透華と2人きりで残されるなんて。
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