第170話 楪を引き離せ!②
土曜日がやってきて、美衣子は楪に教えてもらった通り家に向かう。
「でか……」
思わず声に出してしまった。お屋敷、とでも言ったらいいのだろうか。大きな池が庭にあるとても大きな家だった。
呼び鈴を押して中から出てきたのは家の人ではなく、お手伝いさんだった。そして、中に通されてからようやく楪に会える。
「何よ、これ。あんた超お嬢様じゃん」
「別にお嬢様とかじゃないわよ」
少し微笑みながら歩いていく楪の横を歩き、部屋に案内される。優雅な楪と、この家はとてもマッチしているように感じた。
楪の部屋自体は、極端に大きかったりするわけではなく、ごく普通の綺麗に整頓された部屋だった。
「あんた、随分嬉しそうね。そんなにも親にアピールできるのが嬉しいの?」
ええ、と楪が迷いなく頷いてから続ける。
「もちろん嬉しいわ。でも、こうやって友達を家に呼べることが嬉しいのもあるかもしれないわ。たとえ相手が鵜坂さんだったとしても。クラスメイトに家に来てもらえるのって、楽しいものなのね。たとえ相手が鵜坂さんだったとしても」
「相手がわたしで悪かったわね」
大事なことでもないのに2回も言われてしまったから、苛立ちながら続ける。
「ていうか、あんた普通に友達呼んだら良いじゃないの。あんたなら普通に友達がいっぱいのに」
「わざわざ呼ばないわよ。意味もなく友達を部屋に呼ぶ行動って好きじゃないから」
美衣子は楪が彼女の両親からの評価を上げるために有用ということか。
「ほんと、めんどくさいわね。損得勘定抜きで仲良くできる友達とかいないわけ?」
「いないわ」ときっぱりと言い切られてしまい、逆に清々しさすら覚えてしまう。
「あんた思ったよりも歪んでるわね……」
「そうかしら? 人間、大なり小なり損得でしか動けない生き物だと思うわよ。自分自身が相手といて楽しいと思える感情だって、広い意味での損得勘定だと思うし」
「なんだか詭弁みたいね。まあ、あんたの考えなんてどうでもいいけどさ。さっさとご両親に挨拶しに行きましょうよ。わたしもさっさと家に帰りたいし」
「ダメに決まってるでしょ! 来てすぐに帰っちゃうなんて、それを友達と言い張るのは難しいもの」
はいはい、と呆れたように頷いたけれど、確かにすぐに帰ったら怪しまれるだろうし、諦めた。どうせ今日で楪と仲良くするのはラストだし、少しくらい付き合ってあげようと思って、楪の部屋で待機しておくことにした。
「親に紹介したくなったら言ってね」
美衣子が大きなクッションにもたれながら、スマホを触り出した。早くこの家から出たいから、無難に過ごして乗り切ろうと思った。楪の方も美衣子が来ていることを気にせずに、勉強を始めた。美衣子も楪も、2人ともお互いがいないかのように振る舞った。
楪の方を見ると、背筋を伸ばして姿勢良く椅子に座っている。美衣子がダラけた格好をしているから、これではどちらが招かれたのかわからなかった。
「あんたさ、家で誰も見てない時もダラけたりはしないわけ?」
「今は鵜坂さんが見てるから、誰も見てない時には該当しないと思うけど?」
「わたしはノーカンでしょ。あんたにとっては敵みたいなものなんだから、気にせずユルっとしたらいいのに」
「敵なら尚更弱みを見せるわけにはいかないじゃないの。それに、相手が誰であっても、見られているときは気は抜かないわ。一人の時だって、突然親が部屋に入ってくる可能性もあるわけだし、気を抜いている暇なんてないわよ」
あっそ、と美衣子はまたスマホに視線を戻した。優等生でいるのも疲れそうだな。
そんな不毛な会話が一区切りつくと、楪は勉強机に置いてあった箱を取る。
「これ、パパが海外出張のときに買ってきてくれたチョコだから、食べていいわよ」
楪は美衣子の方を見ずに、背中を向けたままチョコレートを、美衣子のいる方の机の上に置いた。
「どーも」と気のない返事をしてから個包装になっている高そうなチョコレートを口の中に入れる。
(何これ、美味しい……!)
ほんのりミルクの香りが漂う味の濃いチョコレートは美味しかった。それを楪に伝えるのもなんだか癪だったからいわなかったけれど、少し感動してしまっていた。
チョコレートをもらったのに、とくに会話が広がらなかった時点で、何を喋ればいいのかもわからなかったし、何かを喋ろうとも思わなかった。そのせいで、静かな時間が室内に漂う。
退屈な時間を2時間ほど過ごしたところで、ようやく楪が声をかけてくる。
「そろそろいいかしら。行きましょう」
ええ、と美衣子も立ち上がって楪についていく。ようやくつまらない友達ごっこを終えるために、最後の作戦が始まる。
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