第163話 会いたくないあの子③
「……で、チャンスを頂戴って言っても具体的にどうするわけ?」
美衣子が苛立った様子で尋ねると、灯里が真面目な顔で言う。
「美衣子にわたしの部屋を貸してあげる」
「はぁ?」
「今住む場所がないって聞いたわ。わたしの部屋、使って良いから」
透華からはそこまで詳細に連絡を受けていたのかと思ってため息をついた。先ほどスマホを大慌ててでいじっていたのは、そのことを伝えるためだったようだ。
「つまり、灯里と同棲しろってこと?」
どういう神経をしていたら彼氏を寝とっておいて一緒に住もうなんて言えるのだろうか。
美衣子が苛立っていると、灯里が首を横に振った。
「違うわ」
カバンの中から、鍵を美衣子に渡した。
「好きに使ってくれていい。わたしはもうそこに帰らないから、美衣子が使って」
「はぁ? なにそれ。別荘か何かにでも帰るつもり? 家が2つあって一個貸してくれるってこと? さすが、お金持ちは違うわね」
美衣子が舌打ちをしながら、高校時代に行った灯里の実家を思い出していた。元々家がお金持ちだし、今の灯里もお金に余裕がありそうだったから、いくらでも融通は利きそうだ。
だけど、灯里は否定する。
「違うわ。わたしはしばらく美衣子の新居が見つかるまでホテル住まいにするから、ゆっくり使っておいてもらって良いってこと」
「ホテル住まいって、そんなにお金が有り余ってるわけ?」
「まさか。さすがに高い家賃を払いながら、ホテル住まいなんて貯金を崩さないと無理だわ。わたしはただ、美衣子の役に立ちたいだけよ」
「役に立ちたいって言うのなら、いますぐわたしの前から立ち去って欲しいんだけど!」
「でも、美衣子には行くところはあるのかしら?」
「べ、別に実家に帰れば良いし……」
正直あまり気乗りしないけど、一応帰れる場所はあるのだから、無理に灯里を頼る必要なんてないのだ。
「ねえ、美衣子お願い。わたしに罪を償わさせて……。わたしの家を使っても良いわ。いつ返してくれても構わないし、返さなくても良い」
「賃貸の又貸しはダメなんだけど? それに、返さないとオーナーさんに迷惑かけるから、そんな話には乗れないわ」
「オーナーには説明するわ。お金や交渉術を使えば、わたしならうまく納得させられると思うから。2部屋もあるから使い心地は良いはずよ」
美衣子の為に手段を選ばないのは昔からだったけど、昔よりも使える手段は増えているようだ。灯里はきっと学生時代からより一層、何もかも持っている完璧な女性になっているに違いない。
「あんたさ、わたしの為ならなんでもしそうで怖いんだけど?」
「美衣子が望むことなら、わたしはなんでもやるわ」
真っ直ぐ射抜くような視線で美衣子のことを見つめてくるから、思わず後退りしてしまう。何の迷いもない、綺麗な瞳が心の奥まで覗き込んでくるようだった。
美衣子の為にそこまで必死になるのはやめてほしいけれど、口頭で言ってやめてくれる子なら、透華のお店で土下座なんて始めない。
それに、家を借りれるのは正直タイミング的に悪い話ではない。けれど、灯里の住む場所がなくなるのはどうなのだろうかと思う。だけど、そのくらいなら平気でするくらい、灯里は美衣子に尽くそうとしてくれている。
彼氏を奪われたことを許すか許さないかは一旦置いておいて、灯里が反省していることはわかった。それなら、灯里を利用することは悪いことではないのかもしれない。
「ねえ、あんたの家、2部屋あるんだっけ?」
「ええ」
「だったら、1部屋だけ借りても良いかしら? お金はきちんと折半するから」
「え、一緒に住むってこと……?」
困惑と期待を入り混ぜたような表情をしている灯里から視線を逸らしながら、しっかりと頷いた。
「で、でも……。美衣子はわたしの顔も見たくないと思うのに良いのかしら……?」
「良いわよ、別に。灯里のことはまだ許せないから口利くつもりはないし、挨拶してくれても無視するし、新しい引っ越し先が見つかったら勝手に出ていくけど、それでも良いなら貸してよ」
あえてめちゃくちゃな条件をつけてやって困らせようと思ったのに、灯里はホッとしたように微笑んだ。絵画の中から出てきたみたいな現実離れした美しい微笑みを見せてくる。
「嬉しいわ、ありがとう」
灯里が優しく抱きしめてきたから、思いっきり振り解く。勢いよく風が舞って、上品なコロンの香りが辺りに充満した。
「やめなさいよ、わたしはまだあんたのこと許してないんだから!!」
ほんと、あんなことがあって、とっても怒ってたにも関わらず、また同棲するなんて。美衣子は我ながら、自分の判断に呆れてしまった。
でも、仕方がない。あの日彼氏を寝取られて、灯里が自分以外の人間に恋をしていたのだと知るまでの間、短い期間とはいえ美衣子は灯里に恋をしてしまっていたのだから……。
もちろん、そんなこと灯里に伝えるつもりはないし、今となっては黒歴史なのだけれど。
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