第2部
第2部 プロローグ
第159話 完璧な彼女①
ただ、灯里が歩くだけで視線を向けられるのは、その身長のせいだけではない。モデルと見間違えるくらい整った容姿とか、若くして管理職に抜擢された優秀さとか、とにかく社内で目立つ要素はたくさんあった。
まだ20代なのに社内で最年少の課長職に異例の大抜擢をされたのは、彼女が父親の経営する会社にいることとか、女性管理職を増やす方向にある社会情勢とか、そういうのもあったのかもしれない。それなのに、大半の人間が彼女の昇進に納得しているのは、ひとえに彼女が優秀だったからに違いない。
高校時代には、県内トップの進学校にいながら、常に学年トップの成績を収め続けてきた。大学は、本当は当時から好きだった
灯里が自分に見合ったところに行ってくれないなら灯里と友達をやめる、なんて言われたら引き下がるしかなかった。高校2年生の後半に美衣子が月原茉那と仲良くなった時に、とても寂しい思いをしたから。美衣子の言う絶交は灯里にとってかなり重たい言葉であることは間違いない。
灯里は多分、周りからみればとても恵まれて、とても羨望の眼差しを受ける生活をしていたとは自分でもそれなりに自覚はあった。けれど、本当に一番欲しいものだけはまったく手に入れられていなかったのだった。
「あの……、楪課長、お昼一緒に行ってもらってもいいですか?」
同じ部署の入社3年目の子に声をかけられて「いいわよ」と快諾して、2人で一緒に近くのカフェに行く。
「お口に合うかしら?」
「楪課長と食べたら、なんでも美味しいです」
頬を押さえて幸せそうな表情をしている彼女を見て、灯里は作り物の優しい笑顔を浮かべながら、内心ため息をついた。
もし美衣子と再会できて、また仲良くなれた時に使えるお店かどうか見極めたいのだから、きちんと味の評価をして欲しいのだけれど。灯里と食べたから美味しいとか言われても、何も嬉しくはない。
美衣子とは大学2回生の冬以降、一度も話せてはいない。それなのに、20代後半の今になっても未だに美衣子のことが好きだった。美衣子以外、誰も愛せなかった。
小さくため息をついたときに、ちょうどスマホに電話がかかってきた。「ちょっとごめんね」と言ってから席を立った。
「お世話になってます。楪です」
そそくさと外に出ながら仕事の電話を取る。ヨーロッパの支店の話が動いているから、今の灯里はとくに忙しかった。電話を終えて、慌てて戻ってから、後輩に言う。
「悪いわね。今から打ち合わせ入っちゃったから、すぐに会社に戻らないといけなくなっちゃったの」
そっと5千円札を置いてから、店を出る。後輩もいつも灯里がバタバタしていることはわかっているから、何も声はかけなかった。
そうやって、四六時中慌ただしい日々が続いているから、帰宅時間はだいたい終電にも乗れない時間になってしまっていた。すでに25時を回った時計をチラリと見てから、急いでオフィスを後にする。
会社から出て、タクシーを拾おうとしたときに、見知らぬ男の人に声をかけられる。ヒールパンプスを履いた灯里よりも少し背が低いくらいの、顔を赤らめたの男性。
今日が金曜日だということに今更気がついた。差し当たり週末になったのを良いことに、終電を無くすくらいまで呑んで泥酔した男性というところだろうか。
「ねえ、お姉さん。これから一緒に飲まない?」
案の定だ。
「もう帰りますので」
ナンパなんて普段でもイライラするのに、日跨ぎでの仕事終わりに声をかけられて、心底イライラする。
配車アプリで呼んだタクシーに早く来てもらいたかった。男性の方は見ずに、道路の方だけ見て、それらしい車が来ないか確認を続けていた。
「ねえ、いいでしょ? 飲もうよ」
「飲まないって言ってるでしょ?」
大きく舌打ちをしてから、ようやくやってきたタクシーに乗り込んだ。明日も出社するから、仲の良い同僚相手に誘われたとしても断るつもりなのに、そんな見知らぬ男に声をかけられて、一緒に飲みに行くわけはない。
こんな状況下で、灯里が誘われてついて行くとしたら、美衣子からの誘いだけだ。
「美衣子ならよかったのに……」
俯きながら小さな声で呟く。
当の美衣子はまったく会ってくれないし、音信不通なのだ。先日茉那とカフェで一緒に話している時に窓から覗く美衣子を見て、改めて恋心が湧いてしまった。それも、以前にも増して強く。
大抵の物の手に入れ方はわかってしまったのに、美衣子からの恋心という灯里にとって一番欲しいものだけは手に入れるどころか、その糸口すら掴めない。
カフェから覗く美衣子を見た日には、逃げる美衣子のことを必死に追いかけたけど、まったく追いつけなかった。
ヒールパンプスを両手に持って、裸足で無様に走ったけれど、美衣子には追いつけなかった。運動不足の足をもつれさせて、その場で思いっきり転んでしまったら、すぐ目の前にいた美衣子がまた離れてしまった。
「美衣子……、会いたいわ……」
疲労のせいで緩んだ涙腺からボタボタと大粒の涙が流れていた。
タクシーの運転手が何も声をかけないのが救いだった。誰にも声なんてかけてほしくなかった。美衣子以外には……。
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