第148話 温もり⑤
「あったかい……」
茉那の口から小さく言葉が漏れた。美紗兎の耳元にだけ入るような、小さな声。
「茉那さん、大丈夫ですか……?」
茉那からの反応があったからか、美紗兎がゆっくりと背中をさすってくれる。その心地良さや温かさと、美紗兎が来るまでの凍れる感情とが気持ち悪く溶け合った。
生ぬるい……。もっと温めてほしい……。もっとみーちゃんで満たしてほしい……。
茉那の心の中に美紗兎を欲しがる感情が溢れてくる。
「みーちゃん……」
もっともっともっともっともっともっともっと、ちゃんと温めて欲しかった。気持ちの悪い、生ぬるい状態じゃなく、全部美紗兎で温め直して欲しかった。感情の全てを美紗兎に埋め尽くしてほしい。
「脱いで……」
冷たい表情のまま、茉那が静かに伝えると、美紗兎の表情が困惑しているのがわかった。そうだろうな、とは思う。だって、すでに美紗兎は下着姿なのだから。これ以上脱ぐと、もう何も纏えない。それでも、美紗兎は訳がわからなくても、小さく頷いてから茉那の指示通り動いてくれた。
美紗兎のほとんど日に焼けていない、柔らかそうな素肌が全て露出した。一糸纏わぬ美紗兎の姿。もう戻れない。茉那も立ち上がって、ゆっくりと衣服を脱ぎ始めた。
茉那も同じように何も纏わない、とても無防備な姿になってから、また座る。暗い部屋の玄関で、茉那は美紗兎と裸のまま向き合った。
緊張している美紗兎と比べると、現実感が無さすぎて、茉那はずいぶんと落ち着いていた。
普段していたみたいに、美紗兎の柔らかい髪の毛をソッと撫でてみる。普段と変わらない柔らかい髪を撫でながら、ギュッと抱きしめた。
申し訳ないくらい、美紗兎は緊張していた。続いて、抱きしめたまま、ゆっくりと耳たぶを舐めた。高校時代のお泊まり会のときは、寝ている時に勝手に舐めてしまったけど、今度はしっかりと起きている時に。
柔らかい美紗兎の耳たぶに舌を当てると、美紗兎のヒャッ、という驚いた声が小さく漏れた。
「かわいい……」と思ったことが声に出てしまっていた。美紗兎の耳が薄暗い部屋の中からでもわかるくらい、真っ赤になっている。ソッと縋ってくるみたいに、美紗兎が茉那の脇腹の辺りに手を添えていた。くすぐったくて、自然と口元が緩んでしまう。
今までエッチをしてきた男の人たちとはまったく比にならないくらい心地良い。美紗兎の純粋な反応がとても可愛らしかった。
ゆっくりと、美紗兎の体を廊下に寝かせ、上から覆いかぶさるようにして、茉那が顔を近づけた。鼻先が触れ合うくらいの近さで美紗兎の顔を見ると、薄暗い中でも、とっても緊張しているのがよくわかった。
目を瞑って、ゆっくりと唇をくっつける。鼻先をぶつけながら、美紗兎にキスをした。少し乾燥している唇に茉那の唇を当てる。梨咲とは違い、全然コスメの匂いがしない、自然体の匂いが鼻腔をくすぐった。
美紗兎の喉の奥から小さく声が漏れた後、美紗兎の方も求めるみたいに、茉那の口内に舌を入れてくる。
(みーちゃん、大好きだよ……)
ただキスをしただけではあるけれど、今までしてきたどんなエッチよりも気持ちがよかった。
長い時間のキスをしていると、その間に少しずつ冷静になってくる。ずっと寄り添ってくれたおかげ。美紗兎の温かさのおかげで、現実感を取り戻してくる。
それと同時に、大変なことをしてしまったことに、ようやく気づいた。美紗兎との仲は、姉妹みたいな幼馴染から一線を超えてしまった。関係が崩れてしまう……。
(どうしよ、わたし、みーちゃんに……)
まだ浸っている美紗兎からソッと離れて、体を起こした。本当はまだまだ触れていたいけど、そういうわけにはいかない。
(みーちゃんとこんなことしちゃって良いわけないよね……)
現実感なく横たわっている美紗兎のことを見て、茉那は動揺していた。そんな時に、とてもじゃないけど、冷静な判断なんてできなかった。
どうしたら良かったかなんてわからない。けれど、この時選んだのが誤っている選択肢だということは、美紗兎が帰った後で冷静になってからすぐに理解できた。取り返しのつかない選択をしてしまったのだということを。
でも、このときには、こうするしかないと思っていた。
美紗兎とは目を合わせずに小さく呟いた。
「みー……子ちゃん、ありがと」
表情を見なくても、困惑していることはわかる。美紗兎の息遣いが変わっていた。幸せから、不安に。
「えっと……、茉那さん、わたし美衣子さんじゃなくて——」
「美衣子ちゃん、ありがと」
今度ははっきりと伝えた。茉那は、美紗兎を美衣子にした。服を脱がせて抱き合った相手は美紗兎ではなく、美衣子ということにして、自分の中で言い聞かせることにした。
えへへ、と苦しそうに笑う美紗兎の声を聞いて、胸が痛くなったけれど、これは自分が選んだのだ。
美紗兎が帰って部屋に一人残された茉那は酷い自己嫌悪の感情に陥った。今までもすでにめちゃくちゃなことばかりしてきたけど、今回のできごとは、いつも以上に酷いと思った。
この日のできごとを無かったことにしたかったし、これ以上美紗兎と一緒にいたらまた気持ち良くなりたい気分になってしまう。そして、それはこれからもさらに美紗兎を傷つけてしまうことに他ならなかった。
茉那は次の日から早速退学と引っ越しの準備を始めて、夏休みが終わるまでに実家に帰ることに決めた。
また、美紗兎から逃げてしまったのだった。
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