第135話 恋とクラッシャーと恋①
「ねえ、文学部の月原さんって子の話聞いた?」
「なに、それ? 知らない」
「行く場所行く場所で人間関係壊し回ってるやばい子」
「サークルクラッシャーとか、その類? オタサーの姫的な」
「多分近いと思う。でも、バイト先もゼミも通ったとこ全部壊してくから、関わられたら大変だよ」
まだ11月なのに、すでに冷たい空気が流れていた。今年はきっと厳冬だ。
茉那は人目を避けるようにして、いつも以上に俯きながら道を歩く。大学の子たちはほとんどが敵に見えてしまっていた。
梨咲の家だけを目指して歩く。耳に入れたワイヤレスイヤホンは、外の音が聞こえないくらい大きな音を出していた。見慣れた梨咲のアパートは、まるで実家みたいに温かい場所に見えていた。
ドアの前に立っている茉那を見て、梨咲が首を傾げた。
「あれ? ナー子、今日の3限って講義入ってるんじゃなかったの?」
「サボりました」
「珍しいね。ナー子って全部ちゃんと講義に出ているイメージだった」
「わたしもたまにはサボりたくなるときがあるんです……」
茉那が俯いたのを見て、一瞬不安そうな表情をした梨咲は、無理に明るく振る舞った。
「今日冷えるし、立ち話もあれだから早く入りなよ。昨日ちょっと高い牛乳かったから、ホットミルクにしよっか。寒い体にはすっごく良いよ」
返事をする前に、梨咲はミルクを温め始めた。茉那はいつものように梨咲の部屋の床置き机の定位置に座る。
「あったかいうちに飲んじゃって」
「ありがとうございます……」
一口飲むと、体の中が一気に暖かくなる。ほんの少しだけ気分が軽くなった。
梨咲の部屋は、まるで茉那のことを守ってくれるみたいに暖かく見えた。すぐ横に座っている梨咲の柔らかい桜色に染めた髪の毛が安心を与えてくれた。
「梨咲さんの頭、撫でても良いですか?」
茉那が泣きそうな顔で尋ねると、梨咲は優しく頷いた。茉那そっと梨咲の髪の毛を撫でた。
美紗兎よりも少しパサついているけど、梨咲の髪の毛は優しい匂いがしていた。
「好きだった子の髪の毛、よく撫でてたんです……」
「そっか……」
「いっつも気持ちよさそうにしてくれてて、嬉しかったんです……」
梨咲が静かに頷いた。美紗兎を忘れるために何人もの恋人を作ったのに、付き合うたびに美紗兎のことが恋しくなってしまった。彼氏と一緒にいるときとは比べ物にならないくらい、美紗兎と一緒にいるときは楽しかった。
結果的に、彼氏をたくさん作って得られたものは何だったのだろうか。美紗兎への恋心は忘れられず、学内では周りの子から孤立してしまった。
「あたしで良かったら、好きなだけ撫でてくれていいからね。ナー子撫でるの上手だから、あたしも嬉しい」
「ありがとうございます」
ゆったりとした時間が流れていく。
「梨咲さん、わたし後期に入ってから、ゼミの男子と付き合ったんです……」
うん、と梨咲が静かに頷いた。
「彼にはわたしとは別に彼女がいたらしいんです。わたし、彼と付き合ってる時に、別の男子からも告白されたんです。でも、彼と付き合ってること伝えたら、その子が彼女さんのところに言いに行って、ややこしいことになって、わたしはゼミにいられなくなりました」
もちろん、ゼミから追い出されたわけではないけれど、少なくともそんなややこしい場所に居続ける度胸は茉那にはなかった。
「恋することに疲れました……」
茉那が大きくため息をついた。
「ごめんね、ナー子。わたしが変なこと言っちゃったからだよね……」
この無意味な恋たちを始めたきっかけはたしかに梨咲の助言からだけど、それを実行したのは茉那自身。
「別に、梨咲さんのせいじゃないです。みーちゃんへの恋心を忘れるには、そのくらいのことしないといけないですから……」
そっと、机の上に置いていた梨咲の手の上に手を重ねた。
「本当はみーちゃんの愛を受け入れちゃうのが一番楽なのかもしれないんですけど、わたしは弱虫なんで、その自信がないんです……」
「ナー子は優しいから、きっと傷つけたくないんだよ。そのみーちゃんっていう子が大切だからこそ、愛せないんでしょ?」
「優しくなんてないです。みーちゃんのことが大切なのは間違いないですけど、結局はわたしが傷つきたくないから、みーちゃんと真正面から向き合えないだけなんで」
「そんなことないよ。ナー子は良い人だってあたしわかるもん」
「お立てても何も出ないですよ……」
「本心だよ」
梨咲が微笑んだ。柔らかい微笑みを見ていると、茉那の心も温もってきた。
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