第133話 ちょうど良い距離感①
1回生の夏休みに入った。バイト先でのゴタゴタがあったから、それを忘れるのにちょうどいいタイミングで助かる。一度大学から逃げて、気持ちを落ち着かせたかった。
茉那は夏休みに帰省はしたけど、そのことを美紗兎には伝えなかった。早く美紗兎のことを忘れたいのに、伝えると会ってしまうことになるから。会ってしまったら、また色濃く美紗兎のことを思い出しちゃうから。
その代わり、茉那は別の高校時代の友達を喫茶店で待っていた。
席に着いた茉那は、お店をぐるりと見回した。静かで大人びた店内の雰囲気は高校の時に放課後行った時から変わらず、まるでお店をまるごと冷凍保存していたみたいに感じられた。
「相変わらず、素敵な雰囲気のお店ですね」
「相変わらず閑古鳥が鳴いちゃってるけどね」
店長の透華は苦笑した。高校時代灯里と話す時に何度か使ったカフェ。茉那よりも5つ程年上だけど、丸顔で小柄なことも相まって、見た目はまだ中学生と言っても通りそうだった。
若いのに、すでにお店を持っている透華にすごいな、と思いながら美味しいコーヒーを啜る。当然、砂糖をたっぷり入れて甘くしてから。
「でも、茉那ちゃん雰囲気すっごく変わったね」
待ち合わせ相手が来るまで、透華は向かいの席に座って、茉那の方を人懐っこそうな笑顔で見つめた。
「そう……ですかね」
間違いなく高校時代からは見た目が変わっていたから否定はできなかった。
「うん、すっごい変わってるよ。わたし、はじめ茉那ちゃんって気づかなかったもん! どっかのアイドルの子とかが来たのかと思ったよ」
「それはちょっと大袈裟すぎないですか……?」
「大袈裟すぎないよ、そのくらい可愛いって。これから灯里が来るんだったら2人で並んだらなんだかドラマの撮影みたいになっちゃうかも。わたしだけお邪魔かもねぇ」
透華が頬を押さえながら、恍惚とした表情で語っているときだった。カランと爽やかな音が鳴って、入口のドアが開く。
「お待たせ、久しぶりね、茉那」
小さな声なのに、はきはきとして透き通っているから、灯里の声は聞き取りやすい。相変わらず、すらりと手足が長く、スタイルが良い。長かった後髪はさらに長くなり、高校時代よりもさらに色白になっていた。ゆったりと微笑む灯里は本当に気品のある美人だった。
「久しぶりの連絡だったけど、来てくれてありがとう」
「いいえ、こっちこそ、声かけてもらって嬉しいわ」
灯里が頼む前から、透華が灯里の前にカプチーノを置いていた。そして、灯里もそれを当たり前だと言わんばかりに置かれたカプチーノに口をつける。
「大学からここまで遠かったんじゃないの?」
「3時間くらいかなぁ」
「大変だったのね。お疲れ様」と労いの言葉を入れてから、灯里は一呼吸置いて続ける。
「一応聞いておくけど、美衣子には会ったのかしら?」
穏やかな声で聞かれて、茉那は大慌てで首を振って否定する。無害そうな優しい微笑みに一瞬騙されそうになるけれど、この質問は多分危険な質問。
灯里はとても優しく気品の溢れる人だけど、その優美な状態を保持するための大事な前提条件に、茉那と美衣子が会わないこと、というのがあるから。
「灯里ちゃんはまだ美衣子ちゃんのこと好きなの?」
茉那が恐る恐る尋ねると、灯里は微笑みつつも、少し強めの口調で返す。
「何を当たり前のことを聞いているのかしら?」
「だ、だよね。ずっと美衣子ちゃんのこと好きだもんね」
茉那が乾いた笑いで返した。
「恋心に鈍そうな茉那にも気付かれてるのに、美衣子本人はまったく気づいてくれてないのよね」
灯里が大きくため息をついて、珍しく弱みを見せるような表情を見せた。
「灯里ちゃんは美衣子ちゃんに告白したりはしないの?」
「センスのない質問ね。今の状態でわたしは美衣子のことを独り占めできているのだから、これ以上を求める必要はあると思う? 茉那みたいにリスクを冒してでも美衣子に近づく子も今はいないし。美衣子がわたしだけを大事にしてくれるのなら、わたしは無意味に状況を変えていく必要なんてないわ」
「なるほど……」
灯里と美衣子は近場とはいえ同じ大学に行ったわけではないのに、そんなに信頼しても大丈夫なのだろうか、ということも思わなくはなかった。けれど、それを言うと、また灯里が機嫌を損ねそうだったから、言わなかった。
「わたしも、好きな子に告白できないけど、灯里ちゃんみたいに強い理由じゃないや……」
「ふうん」と灯里がつぶやいてから、フッと息を吐き出す。
「美衣子には告白できたのに、その子にはできないのね」
茉那は素直に頷いた。
「きっとその子のことは本当に好きなのね。美衣子のときみたいに、かりそめの恋ではなく、本気で向き合ってるから、悩んじゃうのよ」
どう返したらいいのかわからず、茉那が困ったように笑う。
「ま、そんなことはどうでも良いわね」
灯里が空気を変える。
「何か困ったことがあったから、わたしのことを呼び出したのよね?」
「えっと……」
「いいのよ。気を使わなくても。茉那が無意味にわたしと会おうとするとは思えないし」
「無意味に呼び出したら不味かったかな」
「ううん、むしろ嬉しいわ。でも、茉那はきっとまだわたしのことをそこまで信用してくれてはいないと思うから、意味もなくただ会いたいから誘ってくれるなんてことはないと思うのだけど、どうかしら?」
灯里が優しく微笑んだ。思ったことをそのまま言える灯里はとても強い。その言葉が真実だとしても、茉那には肯定する度胸がない。だから、そんな質問は無かったことにして、本題に入る。
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