第122話 茉那の家に帰る②

今にも泣きだしてしまいそうな顔をした美紗兎を横に連れて歩くのは罪悪感があった。


真夜中に歩く帰り道は思ったより静かで、美紗兎の憂鬱な感情がのしかかってくるような圧を持っていた。


「……美衣子さんだって茉那さんのこと嫌いなわけじゃないんですよね?」


美紗兎が小さな声で呟いた。


「ええ、当たり前じゃないの」


「だったら、なんでこんな意地悪するんですか?」


「意地悪って……」


美紗兎は、いまだに茉那が美衣子のことが好きと信じているにも関わらず、その恋敵に該当する美衣子が去ることを意地悪だと認識している。


美紗兎は茉那と2人だけで一緒にいることよりも、美衣子が茉那と一緒にいることを求めているのだ。それも、とても強く。思いが強すぎて、歪んでしまっている。


今度は、美紗兎が美衣子の手首を両手でギュッと握って、少し怖い顔で美衣子のことを見つめた。


「何?」


美紗兎はゆっくりと空気を吸い込んでから、しっかりと言う。


「美衣子さんが茉那さんの元から離れたら、茉那さんきっととっても悲しんじゃいます。茉那さんのこと、傷つけるつもりなら、わたしは相手が美衣子さんでも許せないです」


美衣子の感情が翻ることはなさそうなことを確信して、覚悟を決めたのだろう。美衣子の良いように流されていた美紗兎の口調が強くなっていた。


「意図的に傷付けるつもりはないけど、結果として傷つけてしまうかもしれないわね」


「わたしの大切な茉那さんのこと、傷つけないでください!」


歪んだヒーローと化している美紗兎のことを見て、ため息をついた。


「大切な茉那さんねえ……。恋ではないけど、わたしだってその感情は同じよ」


「じゃあ、なんで茉那さんが傷つくようなことするんですか? 家から出て行こうとするんですか?」


「美紗兎ちゃんにとって、茉那は大切な幼馴染であり、愛する人かも知れないわね。でも、わたしにとっても、茉那は大事な友達なの。大事な友達が大切な幼馴染と一緒に壊れていく様子をわたしはとても直視できないわ。きっと本当はもっと純粋な好意でできていたであろうあなたたちの関係が今も壊れ続けていっているのを知って、無視できるわけないでしょ?」


さっきの美紗兎の話は壊れて行く2人の関係をしっかりと教えてくれていた。


高校時代の茉那の優しくて穏やかな性格を思い出すと、きっと昔は本当に美紗兎のことを心の底から可愛がっていたに違いない。


それが、今や茉那は自分の都合で美紗兎を動かし、美紗兎は何の違和感も抱かずに茉那に従い続けている。


美紗兎は茉那が危うい道に行かないように正してあげているつもりなのだろうけど、美衣子から見たら手を繋いで危うい道を仲良く歩いているようにしか見えなかった。どちらも本来望むべきではない関係になっている。


お節介なことはわかっているけれど、本来ならばお互いのことを優しく思いやれる関係であろう2人の愛情がどんどん歪になっている様を黙って見守ることなんて、とてもできなかった。


そして、その2人の関係は2人だけで育むべきなのである。そこに、美衣子は不要なのだ。自虐でもなんでもなく。


「わたしは美紗兎ちゃんになんと言われても。絶対に茉那の家から出ていくから」


茉那の言葉を、美紗兎は静かに聞いていた。その考えは変わらないことは理解してくれたみたいだった。


「だから、もし茉那が傷ついて、また感情が無くなったようになったりしたら、今度こそ、美紗兎ちゃんが、美紗兎ちゃんとして茉那のことを引き戻してあげたらいいでしょ? 本当に大好きなら、そのくらいしてあげなさいよ。きちんと茉那のこと助け出してあげなさいよ! 一緒に暗闇に飲み込まれてるんじゃないわよ!」


「わたしじゃ助けてあげられないんです……。だから、美衣子さんが助けてあげてくださいよ……」


美紗兎の言葉はどんどん弱々しくなっていくけど、美衣子は気にせず続けた。今が美紗兎にとって、茉那との関係をやり直すための最後のチャンスになるかもしれないから。


「あのね、甘ったれてんじゃないわよ。もう一度聞くわよ?」


美衣子が美紗兎の肩を掴んで、ぐっと至近距離で美紗兎の瞳をみる。それこそ、いまにも口づけでもしてしまうんじゃないかというくらい、近くで。瞳に映るじぶんの姿が見えてしまいそうなくらい近づきながら、尋ねた。


「美紗兎ちゃんは本当に茉那が好きなのよね? 愛しているのよね? 茉那のためならなんだってできるのよね?」


美衣子が力強く尋ねたのとは対称的に、美紗兎は消え入りそうな声で、だけど、心の底から絞り出すみたいに、「はい」と頷いた。


「なら、そのうえで聞くわ。今のあなたたちの関係は本当に茉那のためになっていると思っているのかしら? 美紗兎ちゃんは、今の茉那の姿がずっと見ていたい茉那なの?」


「それは……」


美衣子が尋ねると、美紗兎は口をモゴモゴとさせて、言葉を探していた。


「わたし……」


酸素が足りないみたいに、大きく息を吸ってから、飲み込む。だけど、言葉は出てこないようだった。


そして、そのまましゃがみこんで、両手で顔を覆った。鼻を啜って、嗚咽している。


「わたし、一体どこで間違ったんですかね……? わたしはずっと、茉那さんの力になってあげたかっただけなのに……。ただ、ずっと一緒に仲良くしたかっただけなのに……」


「わからないわ」と素直に答えた。「こんなの正解なんてないと思うし」


美衣子の答えを美紗兎は泣きながら聞いていた。そのまま美衣子は続ける。


「でも、あなたたちはわたしの恋とは違ってまだ十分取り返しがつくんだから。美紗兎ちゃんがどれだけ突き放されても、めげずにずっと茉那と一緒にいたおかげで、今からでもゆっくりやり直していけるんだから」


少なくともこの2人の関係は、恋人を取られてしまい、そのまま拒絶を続けてしまっている、みたいな、取り返しのつかない、後戻りのできないところまでいってはいないのだから。

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