第121話 茉那の家に帰る①

「それからわたしは茉那さんに呼び出された時に、美衣子さんとしてエッチをし続けたんです。大好きな茉那さんのために……。再会してからの茉那さんは、わたしのことを気まぐれに突然呼び出しては、今日みたいに愛してくれました。これが、今夜美衣子さんが見た、わたしと茉那さんの関係ができてしまった経緯です。わたしは茉那さんのことが当然大好きです。茉那さんが好きなのは美衣子さんのことですけど、わたしが美衣子さんである限り、わたしごと茉那さんは愛してくれてたので、今の関係に文句はなかったです。ただ……、そんなふうに勝手に名前を使ってしまったことは本当にすいませんでした」


そこまで話し終えて、美紗兎はテーブルに髪の毛を垂らしながら、頭を下げた。美紗兎の話の終盤くらいから、美衣子はずっと頭を抱え続けていた。理解が追いつかなかった。


「とりあえず、その本人が目の前にいて、よく今の話ができたわね……」


美衣子がため息をつくと、美紗兎はもう一度頭をさげた。


「本当にご迷惑おかけしました……」


「まあ、別にわたしは直接迷惑はかけられてないから、その件に関しては一旦置いておくわ」


もちろん、気分の良いものではなかったけれど、今はそれよりも追求しておくべきことがあるから、深くは触れなかった。


美紗兎は明らかに茉那から雑な扱いを受けている。美紗兎の話に登場する茉那が、美衣子が高校時代に仲良くしていた月原茉那と同一人物とは思えなかった。


「茉那からそんなひどい扱いを受けてるのに、どうしてそんなにも固執するのよ?」


「わたしにとって、茉那さんは本当に優しいお姉さんなんですよね。物心ついたときから、本当のお姉さんみたいにわたしのこと可愛がってくれたんです。わたしは両親が離婚してて母一人に育ててもらいました。母はとっても優しかったです。わたしに苦労かけないようにって、昔っからすっごいバリバリ働いて、お金を稼いできてくれたんです。だけど、その分わたしに構える時間は少なくなっちゃってたんです」


そこまで言って、美紗兎が小さく微笑んだ。


「そんなときに、茉那さんがわたしのことをずっと大切に面倒を見てくれたんです。茉那さんは、わたしが小学校に行きたくなかった時には手を繋いで一緒に行ってくれました。茉那さんの家でお泊まりをして、おねしょをしたときには、夜中なのにずっとわたしのことを慰めながら、布団を乾かしてくれました。友達とうまくやれないわたしとずっと一緒にいてくれましたし、わがまま言って2人で花火が見たいって言った時にも花火に連れて行ってくれましたし、ずっと優しいお姉さんでした」


「本当に茉那のことが大好きなのね」


はい、と頷いて、美紗兎がとっても嬉しそうに微笑んだ。美紗兎が茉那のことをただ純粋に大好きなことは理解した。それだけに、言いたいことは山ほどある。


「でも、美紗兎ちゃんの一途な愛への茉那の答えは、わたしに扮してセックスをさせることだったんでしょ? それって残酷すぎない?」


自分のことを一途に愛し続けてくれているかわいい幼馴染への感情の回答が、別人としてセックスをさせること。愛情には応えないけれど、性欲のはけ口には利用する。


茉那がそんなことをするなんて、到底信じられなかったし、美紗兎が嘘をついていると疑いたくもなった。


だけど、狂気的と言っても過言ではないくらいに茉那のことを愛している美紗兎が、美衣子の機嫌を損ねてはいけないような今の状況で、嘘をつくとも思えなかったから、信用するしかなかった。


「残酷っていうのは、わたしが嫌がっている場合のことを言うと思いますけど?わたしは茉那さんの優しい笑顔が見たくて、好きでやってるんですから」


すこし不機嫌そうに美紗兎が返した。


「わたしは茉那さんの為ならなんだってしますし、茉那さんが喜んでくれるなら、わたしは嬉しいです。茉那さんのそばにいられるなら、わたしはどんなことでもしますよ」


「ほんと、呆れるくらい茉那のことが好きなのね……。それなのに、茉那は美紗兎ちゃんと一緒にいたくないって言ったんでしょ?」


さっきの話では、茉那は美紗兎に明確に一緒に居たくないという意思を伝えているようだった。ちょうど、美衣子が高校2年生の終わりに茉那から一緒にいたくないと言われた時と同じように。


「確かに言われましたけど、それは美衣子さんになりきれない、わがままなわたしが嫌われたんだと思います。少なくとも、都美紗兎としてのわたしは茉那さんにとっては何の価値もないかもしれません。だけど、美衣子さんになっているときのわたしは、茉那さんに愛されてます。茉那さんは偽物とはいえ、美衣子さんと一緒にいられて嬉しいし、わたしは茉那さんに愛されて泣きそうなくらい嬉しいんですから、誰も嫌な思いをしている人はいません」


「なら、その空間にわたしはいらないんじゃないかしら?」


元々は美衣子に茉那の元に戻ってほしいから、美紗兎はわざわざこの秋の夜長に半裸で追いかけてきたのだ。


だけど、茉那と美紗兎はお互いにドロドロに依存し合っている不健全な関係とはいえ、一応2人でうまくやっている。そこに美衣子がいても、バランスが崩れるだけなのではないだろうか。だいいち、そんな真実を知って一緒に生活を続けるのを気まずすぎる。


「茉那さんは美衣子さんを求めているんですもん。もちろん、偽物ではなく、本物の鵜坂美衣子さんのことを」


「わたしに選ぶ権利はないってことね」


美紗兎はあまりにも周りが見えていない。だから、そもそも茉那が美衣子のことをもう好きではないという可能性にも辿り着かないのだろう。


「美衣子さんには、とても申し訳ないですけど、わたしはやっぱり茉那さんのことが大好きなんです……。だから、茉那さんが幸せになるためならどんなことでもするつもりです……。だから、お願いだから茉那さんの元に戻ってあげてください」


そう言って、美紗兎が立ち上がってから、深々と頭を下げた。そんな美紗兎の熱意とは対照的に、美衣子は頬杖をついて、呆れたように冷めた瞳で見つめていた。目の前の純粋な女性は、あまりにも茉那のことしか見えていなさすぎる。


そもそもの前提として、茉那がまだ美衣子のことを好きという部分が美紗兎の思い込みの可能性はとても高い。美衣子がここ数日3人で過ごす中で見た景色の中で、茉那は明らかに美紗兎に対して好意を持っていて、とっても自然に美紗兎のことを愛しているようにみえた。


もちろん、可愛い幼馴染の面倒を姉のような立場で見てあげているだけの可能性はある。だけど、その割には美衣子のことを美紗兎に比べると雑に扱っているように見えた。(もちろん、美衣子に対しても優しくしてくれたことには変わりないけど)


「……美紗兎ちゃんは、本当に茉那のことが好きなのね」


今日何度目かの好きの確認。だけど、今回は明確に、皮肉であったり、嫌味であったり、そういう負の感情で尋ねる。当然、美紗兎は気づかないけれど。


美衣子がため息をついても、また美紗兎は心からの純粋な笑みを浮かべて頷いた。


本当に嬉しそうなその笑みからは、茉那のことが本当に大好きなことがよくわかる。愛し方が歪なだけで、大好きなことは間違いないのだろう。


それが確信できてしまったから、美衣子はするべきことをしなければならない。少しお節介かもしれないけど、状況を知ってしまった以上、この2人のことを見て見ぬふりはできなかった。


美紗兎は茉那のことを本当に大切にしたいのだろうし、何より、茉那は美衣子の大切な友達な訳だし。


「わかった。茉那の家に帰るわ」


美衣子の言葉を聞いて、美紗兎の顔が、周辺に花でも咲かせてしまいそうなくらい、笑顔になる。


「美衣子さん……、ありがとうございます!!!」


再び立ち上がって、お礼を言う美紗兎を見て、少し心苦しくなる。


「荷物、取りに帰らないと。茉那の家から出ていけないもの。だから、一回帰るつもり」


「え……? それって……」


表情の落差を直視できなかった。美衣子は机の上のコップを見ながら、続けた。


「理解できなかった? 茉那の家から出て行くために、一回帰って荷物を取って外に出るってこと」


「美衣子さん……?」


声が震えていた。罪悪感が募るけど、これ以上茉那の家で3人で一緒にいるわけにはいかない。この壊れた関係は維持させられない。2人分のドリンクバーが記された伝票を持って、美衣子が立ち上がった。


「ま、待ってください、美衣子さん! わたし、何か間違った受け答えしちゃったんですか……? 美衣子さんに不愉快な思いさせちゃったですか……?」


「今日だけじゃない、たぶん、ずっと間違ってると思うわよ。わたしと会う、ずっと前から……」


美紗兎の静止を待たずにさっさとお店を後にすると、その後ろから、しょんぼりしながら美紗兎がついてきていることはわかった。

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