第120話 茉那はどこへ④

「茉那さんはわたしのこと嫌いだったんですか?」


「嫌い……」と茉那が言ったところで、美紗兎が泣きそうな顔をしたら、言葉は付け足された。


「……じゃないけど、でも、みーちゃんにはもう会いたくないんだ」


理由はわからないけれど、茉那は美紗兎のことを遠ざけようとしている。


「わたし、一体何しちゃったんですか……?」


「みーちゃんは何もしてないよ、本当に。ただ、わたしが悪いだけだから」


「理由言ってくれなきゃわかんないですよ……」


「別にわかってくれなくもいいよ。わたしが自分勝手な都合でみーちゃんと会いたくないだけだから」


茉那は美紗兎のほうは見ずに、ずっと俯いたまま、静かに告げる。意地でも美紗兎のことを遠ざけようとしていた。


このままだと本当に茉那と離れ離れになって、もう会えなくなっちゃう気がする。それは絶対に嫌だった。


気付けば、自然と口から言葉が出ていた。


「わたしも大学辞めます」


「え!?」


慌てて顔をあげて、美紗兎を見た茉那は、目を大きく見開いて、薄っすらと目を潤ませていた。


「バカなこと言わないでよ! せっかく一生懸命勉強して入ったのに、退学なんてしちゃダメだよ!」


「先に辞めたのは茉那さんの方じゃないですか」


「わたしが辞めたからって、みーちゃんが辞める必要はないでしょ?」


「茉那さんに会いたくて、わたしは同じ大学に進学したんです。茉那さんに会えないんだったら、もう大学にいる意味ないので」


普段よりも強い口調で、文句に近い言葉を投げてしまった。茉那は口元に手を当てたまま、何も話せなくなってしまっていた。


「だから、会ってくれないんだったら、わたしは大学辞め損になっちゃうんです。もう引き下がれないんです……」


茉那がとても悲しそうな顔で美紗兎のことを見つめるから、胸が痛くなる。


「みーちゃんのバカ……」


茉那が俯きながら目元を人差し指で拭い、ゆっくりと尋ねる。


「ねえ、みーちゃんはどうしてわたしなんかとずっと一緒にいようとするの?」


「どうしてって……。茉那さんのことが好きだから、ずっと一緒にいたいんです」


えへへ、と曖昧に笑って答えた。そんな美紗兎のことを、茉那がギュッと抱きしめた。


「みーちゃんのバカ! もっとわたしのことよりも、自分のことを大事にしてよ! わたしのことなんてさっさと捨てて自由に生きなよ」


抱きしめる力が強まる。小さな茉那のどこにこんな力強さがあるのかわからないくらい、力任せな抱きしめ方だった。


「みーちゃんはわたしといても、またわたしの都合で振り回されちゃうだけだよ? みーちゃんの求めてる愛し方なんてできないよ?」


「どんな扱いしてもらっても構いませんよ。わたしはただ茉那さんのそばにいたいだけですから」


「わたしはみーちゃんの思っているよりも、ずっと自分勝手だよ?」


「もう知ってますよ。いっぱいふりまわされてるんですから」


茉那がいつものようにあえて自分のことを下げているのかと思って、美紗兎が苦笑いをした。だけど、茉那はどこか感情の篭っていないような、冷たい声で続けた。


「多分、みーちゃんが思っているよりもずっと自分勝手だけど、それでも良いのかな?」


美紗兎は思わず固唾を飲んでしまう。なぜだかわからないけど、いつもの和やかな雰囲気ではなかった。


「もちろん、大丈夫ですよ」と答える声に自然と力が入る。


「一緒に居続けたら、きっとみーちゃんはもっともっと傷ついちゃうよ? それでもいいの?」


茉那は美紗兎との距離をつめた。感情の読めない瞳で美紗兎を見つめながら、そっと頬を撫でてくる。


美紗兎は恐る恐る頷くと、茉那はフッと小さく息を吐いた。


「引き下がっておくなら、きっと今だと思うよ? いいの?」


もう一度念を押されたけど、美紗兎は今度はしっかりと頷いた。茉那の言葉は少し怖かったけれど、このまま会えなくなってしまうことに比べたらマシだ。


「じゃあ引っ越し先教えてあげるし、わたしの家に一緒に住んでくれても構わないよ」


ゾッとするほど冷たい声で、茉那が美紗兎の耳元で囁いた。こんな冷たい茉那の声を美紗兎は初めて聞いた。


「……わたしは自分勝手だから、この間の夜みたいなこといっぱいしちゃうと思うけど、受け入れられる? になれるの?」


美紗兎が「はい」と今度はしっかりと頷いたのを見て、茉那が微笑んだ。


「わかった。じゃあ引っ越し先、教えてあげるね」


可愛らしく微笑む茉那の笑顔を、美紗兎は初めて怖いと思ってしまった。


だけど、そんないつもと違う状態の茉那なのに、それでもなお美紗兎はそばにいないといけないと思ってしまった。ううん、むしろそれだけ不安定なら美紗兎がそばにいて支えてあげないと、と思ってしまった。


だから、美紗兎は今でもずっとそばにいるし、一緒にいない時に茉那に呼ばれたら、絶対にすぐ駆けつけられるようにしているのだ。この人は、きっと一歩間違ったらとっても危うい道を歩いてしまうから。


子どもの頃に美紗兎のことを大切に面倒を見てくれた茉那のそばにいてあげたいから、どんな扱いだって受け入れるつもりでいる。


たとえ、茉那が美紗兎ではなく美衣子のことだけを見ているのだとしても、そばにいられるのなら、それで満足だった。

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